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【ヨハネ関連】
1.太初にことばあり ことばは神と偕にあり ことばは神なりき 質問:この”ことば”、そして”神”の以前には在るということがなかったと読み取れます。 在るという事がないとはどういうことなのでしょう? ないという事について教えてください。 2.萬の物このことばに由りて成り,成りたる物一つとして之に由らざるはなし 質問:そうであるならば、神の発したことばで万物はできている。 万物は神のことばである。神の当為の理念、意志である。 という事になりますか?
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聖書のことは良くしりませんが 何故「この”ことば”、そして”神”の以前には在るということがなかったと読み取れます。」と読み取られましたでしょうか。 >在るという事がないとはどういうことなのでしょう? 在るという状態がなかったということではありませんでしょうか。 創世記では「神は初めに言葉ありき」とされたとされているようですが、神が言葉ありきとされる前に言葉があるのであれば神以前にこの世があり得たということになるのではありませんでしょうか。 >ないという事について教えてください。 数字の零はないというものがあることを示す記号ではありませんでしょうか。 ないというのは零という記号が表すものというか状態ではありませんでしょうか。 この観点から言えば「神以前には在るということがなかった」と読み取らたのであれば、神が言葉ありきと言われる以は零であったということになるかと思います。 >万物は神のことばである。神の当為の理念、意志である。という事になりますか? 「神の発したことばで万物はできている」とはされておらず「由りて成り」ではありませんでしょうか。 「万物はできている」のではなくことばに由ってできたのであって「万物=ことば」ではないことではありませんでしょうか。 神が「光あれ」といわれたから光があるようになったのですから光は光であってことばそのものではあり得ないのではありませんでしょうか。 ご質問の文章だけから考えていますのでヨハネの真意とは異なる解釈かもしれません。(念のため)
お礼
ご誠実なご回答ありがとうございました。 まぁそのようにも理解できますね。聖典というのは信仰で読むと、信仰によって内容化されるので、独断的判断ともなります。 私もそんな解釈で内容化しています。補足にちょいと記載。
補足
”太”なる敬称をつけようが、ともかく初め。初めがあるものは終わりがある。無限根源である神、そのことばという理念や観念は当為であり、はじめも終わりもない。此処の初めは、根元、根源。基盤という意味なんでしょう。神やそのvibration理念にはその前もその後もない。萬はこれにより成りたる顕現なのだ。と理解しています。