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鳥羽伏見の戦いのとき勝海舟は何をしていたのか
この間のNHKの番組を見て、いろいろ疑問がわくのですが、新政府というのは政権を確保していたのか、政府があるのにどうして旧幕府が軍隊を動かせたのか、フランスが指導していたのは武士だとしてもどこから人を集めたのかというような初歩的な疑問ばかりわいてきます。勝海舟のことも同じですが、実際はどうだったのでしょうか。
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鳥羽伏見の戦いの時、勝海舟は失脚して自宅で寝てました。 政敵の小栗上野介が実権をにぎっていました。慶喜は鳥羽伏見で負けて大阪城から軍艦で江戸城に逃げ帰って、まずしたことが、小栗の罷免と勝の再任です。
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- kitsunetoneko
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鳥羽・伏見の戦いの時は,岩倉具視氏や,西郷隆盛氏等の率いる,明治新政府(太政官)は,まだ,出来立て ほやほやですから,徳川慶喜氏も,しばらく,大阪城に逃げて,政局(大局)の様子などを,見ていました..もちろん,旧幕府軍も,健在で,フランスから,武器などを調達したり,幕府における,フランス式軍隊などの養成を担っていたと思われる,イケメン官吏の,小栗 上野介氏は,江戸に攻めてきた,明治新政府軍との対決や,抗戦も,やる気満々(?)ったようですが,結局,勝海舟氏の,江戸城無血開城によって,江戸城は,新政府側に明け渡され,抗戦派の,小栗上野介氏の意見などは,退けられたようです..その後,佐幕強硬派などだった,会津藩などが,上野に居た皇族の,輪王寺(の)宮様を,立てて(人質に取って),有栖川(の)宮熾仁親王などを中心に,北上して来る,新政府軍側と対決しようとしたのは,有名なところのようです..
お礼
よくまあ、外国に利用されずにすんだものですね、よほど運が良かったのでしょうか。
- eroero4649
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勝海舟については#1さんが完璧な説明をされているので、その通り。 >新政府というのは政権を確保していたのか 鳥羽伏見の戦いのときは、まだ明治新政府はできていません。その前に歴史の授業でやった「王政復古の大号令」というのが出まして、名目上は徳川幕府は廃止することになりましたが、「王政復古」とあるように新しい政府を作ったのではなく、古い朝廷に政権をお返しした、ということになっておりました。つまり当時の人々の意識としては近代国家が発足したのではなく、平安時代の体制に戻したというものでした。岩倉具視の考えもそういうものだったと思います。 なんていうのかな、現代で例えるなら首相が「政権を徳川幕府にお返しします」というようなものでしょうかね。 >政府があるのにどうして旧幕府が軍隊を動かせたのか この当時の軍隊は、各藩に所属するものでした。薩摩兵は薩摩藩に所属し、長州兵は長州藩への所属でした。当時の人々の意識では「我が国」というのは自分の藩のことを指しています。今の日本人に「あなたは何人ですか?」と聞くと日本人と答えるように、当時の人にあなたは何人ですかと聞かれたら長州人とか会津人などと答えていたのです。日本人という感覚は、現代なら地球人という感覚でしょうね。 ですから幕府の兵は徳川家直轄の兵、これを御家人といいますがその御家人と、徳川方の各藩の兵士なのです。 これらの兵隊さんは皆さん「自分の藩のお殿様」に忠誠を誓っています。だからいかな新政府とはいえ薩摩藩兵は長州藩の命令は聞きませんし、それはどこも同じ。だから鳥羽伏見の戦いで津藩が幕府を裏切ったときに藩兵はお殿様の命令に従ったのです。 これは現代の軍隊に例えると、藩兵がアメリカ軍やロシア軍、自衛隊の兵士で、幕府軍というのは国連軍だと思えばいいです。形式として国連軍に参加する各国軍兵士は国連軍司令官の命令に従いますが、自国から命令を受ければそれに従います。例えば自国の司令官から帰国を命じられたら、国連軍司令官が帰国するなといっても帰国しますよね。それと同じです。 >どこから人を集めたのか 武士とその従者である足軽です。当時の軍事制度は戦国時代と基本は同じです。それじゃさすがに世界には通用しないので明治政府になったら近代軍を作ろうと明治政府は四苦八苦するのですけれどね。 それはとても面白い物語ではあるのですがまた長くなるので、別の機会にでも。 ですから奇兵隊のような特殊な部隊を除けば、当時の町人や農民には戊辰戦争というのはあまり関係ない話だったのです。自分が住んでるところでドンパチが始まればえらい迷惑ですから、戦場になったところではたまったものではないですが、自分の藩が直接の戦場にならない限りは町人や農民には関係ない権力者同士の争いでした。「明治維新は革命ではない」といわれるのは、そういうことです。フランス革命やピューリタン革命のように「市民や農民が立ち上がった」わけではないのです。
お礼
疑問が次から次へと出てきます。戦場で通貨などの価値なども気になります。物品を売りつけて一儲けをたくらんだ人がいたと聞くと当時の通貨の信用度などが気になります。
- hue2011
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勝海舟は軍艦奉行として長州征伐を停止する活動をしていました。相手に交渉の余地を残したいという交渉をしているさなかに徳川慶喜が天皇から停戦の勅命なんかを引き出してその交渉をぶち壊してくれたのでこのバカがと思い、お役御免といって全役職から撤収したのです。 その後戊辰戦争の開始および鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗北しました。このとき何ら指示権も権力も彼はもっていないのです。 しかし、いよいよ官軍が江戸城に向かってくる、江戸は血の海になるだろうと判断した老中板倉勝静が、頭をこすりつけて陸軍奉行にまたついてくれないかと頼みこんできたのです。 しかたがないからひきうけざるをない。出て行って、逃げまどって帰ってきた徳川慶喜が全権力を放棄したのを待ち、フランスとの関係を切り、薩摩にフランスの手が及ばないことをたてにして西郷と談判したのです。これが江戸城無血開城につながります。 なお、ここでもし幕府と官軍の直接衝突があったら徳川家も滅亡だし日本国もダメになると考えた尾張の徳川慶勝が、尾張徳川家は官軍につくと宣言し、慶喜とは一線を画し、平和を希求したいという態度に出ました。これも江戸無血開城に役立ちました。西郷は人民が血を流すことは避けたいと思うので裏で血が騒いでいる桂小五郎とかを抑え、平和に政権を移譲してもらう交渉をしたのです。 尾張徳川家は、官軍に城を明け渡すための手伝いを徳川家として協力しました。そのため、徳川家自体は明治以後も息を永らえました。 この辺の機微に関して、フィクションですけど面白い本が出ています。 浅田次郎「黒書院の六兵衛」です。尾張徳川家の家臣が江戸城を明け渡す事務処理を引き受けるんですが、そこに武士のけじめと誇りをくずすものかという剣の名人が現れ、江戸城に居座るという話です。ここで、尾張徳川家の立場だとかサムライのプライドというものが織り交ぜられて、ある意味でのニュアンスをよく表現していると思います。
お礼
正月のこともあり自分なりに考えるとわからないことばかりであることに気が付きました。薩摩にイギリスがついて代理戦争などが起こる可能性もあったのだろうかなど素人の疑問は尽きません。疑問とは言えないような愚問がたくさん出てきて困ります。
お礼
小栗も有能ったと聞きますが、人事は難しいですね。慶喜と勝の関係にもいろいろな疑問点が出てきます。