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勝海舟について

勝海舟に興味を持ち、子母澤寛の「勝海舟」や「父子鷹」、また「氷川清話」 「幕末の三舟伝」など読みました。貧しい生い立ちから苦学して出世したことはとても感動しました。しかし、小説で読むと勝の人物象が脚色してあるという印象を受けました。また勝は法螺吹きだったらしいので、彼が晩年に語っていたことがすべて正しいわけではないという意見もありました。他にも江戸城無血開城の際、山岡鉄舟が大きな功績を残したが、それをすべて自分の手柄にしてしまったという話もありました。明治維新の影の立役者と言われますが、一方では実際は口先だけの詐欺師だとか批判的な意見があり、勝海舟がどのような人物であるかよくわかりません。勝海舟の実像を教えて下さい。

みんなの回答

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.2

勝海舟、子供っぽいところのある、憎めない人物のようです。 目立ちたがりやで、法螺吹きのところがあります。 しかし先見の明があり、物事の処理能力に優れていました。   後者は大石内蔵助と肩を並べるでしょう。 明治維新のシテ(主)でもツレ(副)でもありませんが、立派な脇役でした。 江戸を火の海より救うというより、江戸幕臣が恭順の意を示している慶喜をかついで立ち上がれば、日本が東西で争う大戦乱になり、日本が列強の草刈り場になると、恐れこれを防ぐのに注力しました。 慶喜を水戸へ、新撰組を江戸より追い出し、幕臣の強硬派は彰義隊として、寛永寺へ移した手腕は大したものです。 江戸城無欠開城も、山岡鉄舟の助力で非常に順調にできました。   しかし山岡がいなくとも何とか出来たとおもいます。   他方勝がいなければ出来なかった事はたしかです。

  • tadagenji
  • ベストアンサー率23% (508/2193)
回答No.1

思想家とは、派手な行動をする人ではありません。 同時代の吉田松陰も密航以外に派手な行動はありません。 その時代に明確な思想を述べ広めることがギリシャ時代からの思想家の役目ですから、それに感化した各人物が行動した事蹟を思想家の行動と捉えることに異論はないでしょう。 海舟と竜馬は共に作家の筆に拠りフィクションの部分が過大になりすぎた師弟でしょう。 歴史は、誰が為したことより為したことの背景が大切です。

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