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小説家の宮沢賢治は晩年、砕石の職人として働いていた
小説家の宮沢賢治は晩年、砕石の職人として働いていたって本当ですか? 小説家で売れなくてお金がなくなって単純労働者になったの? 晩年って何歳から炭鉱みたいな重労働して、小説はもう書いてなかったのでしょうか? 宮沢賢治ってお金持ちじゃなかったの?
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晩年のわずかな期間 石灰を 肥料と 壁材料にする 研究開発と 販売営業 のほうです。 炭鉱みたいな重労働ではありません。
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- agehage
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回答No.3
1930年(昭和5年)、体調が回復に向かい、文語詩の制作をはじめる[81]。5月、東磐井郡の陸中松川駅前にあった東北砕石工場主の鈴木東蔵が来訪。鈴木は石灰岩とカリ肥料を加えた安価な合成肥料の販売を計画しており、賢治も賛同する[82]。 1931年(昭和6年)2月21日、東北砕石工場花巻出張所が開設。父の政次郎は病弱な賢治を外に出すのを心配し、工場に融資を行って花巻に出張所を作り、仕事をさせようとの考えだった[83]。しかし技師となった賢治は製品の改造、広告文の起草、製品の注文取り・販売などで東奔西走する[84]。 Wikipediaより抜粋
- kaitara1
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回答No.2
どんな情報源からの質問(?)なのでしょうか。ぜひ教えてください。
- awooooon
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回答No.1
そんな事実はありません
お礼
みんなありがとう