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宮沢賢治「タネリはたしかにいちいち噛んでゐたやうだった」
この小説を読んだのですがよく意味がわかりませんでしたので教えてください。 個人的には・・・ キーワードだと思ったのは、藤蔓と数字の4です。 藤蔓は最後にその用途がわかります。 服か何かを縫うものに使うのだと思います。 しかしここでわからないのは、最後の場面で噛んではいたものの、タネリは藤蔓を捨てて行きます。 これに対してお母さんは、噛んでいるんだったらいい、というようなことを言います。 タネリの仕事が藤蔓を噛むことだとするならば、噛んだものを持って帰ってこなければ意味がないように思います。 子どもだから? 仕事をしたことが評価されているのでしょうか。 2つ目は数字の4が頻繁に出てくるところです。 数字が出てくるときは「萱の穂が、三本倒れて」というところ以外は「4本の柏」「丘を4つ越えました」「4本の栗の木」と4の数字です。 この時代に4は特別な何かを表すものであったのでしょうか。 全体的にはタネリが他のものたちに拒否をされているところから、宮沢賢治の孤独を表しているように思いました。 以上は自分なりの読みと疑問なので、タネリはどういう物語なのかを教えてください。
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>藤蔓は最後にその用途がわかります。 >服か何かを縫うものに使うのだと思います。 藤蔓の繊維をやわらかくして、裂いてそれをつなげて糸のように細くし布地を織って服をつくるのです。普通は噛んでやわらかくしたりはしませんが、東北の寒村では貧しく道具もないので、実際噛んでいたのでしょう。子どもに遊び感覚でやらせていたことも十分考えられます。 >しかしここでわからないのは、最後の場面で噛んではいたものの、タネリは藤蔓を捨てて行きます。 >これに対してお母さんは、噛んでいるんだったらいい、というようなことを言います。 >タネリの仕事が藤蔓を噛むことだとするならば、噛んだものを持って帰ってこなければ意味がないように思います。 >子どもだから? 仕事をしたことが評価されているのでしょうか。 この物語では、藤蔓を噛む動作は、「孤独の裏返し」というか象徴としているようです。孤独な時などに何かを噛む行為は、例えば「爪を噛む」など身近にもあります。噛んだものを吐き出す行為は、気持ちが少し落ち着いた際に、次のステップに進もうという動機になっているように感じました。 お母さんがタネリに「噛んでいたんだったらいい」と言ったのは、そういったタネリの気持ちを察しての「なぐさめの言葉」なのかなと思います。本来は持って帰らなかったことを叱りたい気持ちはあるが、タネリの気持ちを慮ったのかなと。 >2つ目は数字の4が頻繁に出てくるところです。 「1、2、3、たくさん」というように、3までは数える対象ですが、4以上はたくさんあるといっしょくたにすることは今でもあります。「多数」を象徴しているのだと思います。 >全体的にはタネリが他のものたちに拒否をされているところから、宮沢賢治の孤独を表しているように思いました。 多分間違ってないというか、そういうことをテーマとして書かれていると思います。
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- suz83238
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この話は実に結構深いんです。 こちらを参考にしてください。なるほどと思うところもあります。 http://comet.tamacc.chuo-u.ac.jp/kenji/taneri/taneri.html
お礼
ありがとうございます。 ネットで検索はしみたもののこのページは見つけていませんでした。
お礼
ありがとございました。