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野武士

江戸時代になると秀吉が出会った頃の蜂須賀小六のような野武士はどうなったのでしょうか? みんな郷士として帰農したのでしょうか。

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noname#26663
noname#26663
回答No.3

秀吉の太閤検地の前までは、 土地の所有者が二重、三重は当たり前でした。 (大名の領地であり、地侍の領地でもあった。) これを整理し、農民の土地と定めてしまいます。 通行税や、こう言う領地から税金を巻き上げていた訳ですが、 これのすべてが禁止されてしまいます。 ここで、地侍は収入源を断たれてしまいます。 農民は、土地の個人での所有を認められました。 しかし、逆に土地に縛られる事になります。 収入源を失った地侍は、侍になるか、農民になるかの選択を迫られます。 検地の奉行を殺す地侍もいましたが、捕らえて斬首し、さらすなど、徹底的に取り締まって検地を強行します。 毛利家では、財政難で相当な数の家臣を解雇していますから、 野武士などはさっさとリストラされたと見てよいと思います。 庭先や小丘をはじめ、余る土地無く開墾、開田して財政難を克服。 次々家臣を呼び戻しますが、野武士までは。と、言った所ではないでしょうか? 土佐の一領具足は、長曽我部から領地を頂いた半農半兵の侍ですが、 郷士として帯刀は認められますが、町民、農民として扱われます。 結局、大名から領地や石高を頂けない野武士は帰農した。 でいいと思います。 しかし、苗字や身分、帯刀関連では、専門家様からクレームが付くかもしれませんね。^_^;

noname#30350
質問者

お礼

全国が平定されると地侍は収入源を絶たれ、自ずと領主の家臣となるか帰農するかを選ぶこととなったのですね。 >毛利家では、財政難で相当な数の家臣を解雇していますから、 確か関ヶ原の後、福島など新領主からすでに徴収した税を返せと迫られて、周防大島三万石分を抵当に入れて分割返済したみたいですね。 領土が抵当に入ってるのに野武士どころじゃなかったでしょうね。 ありがとうございました!

その他の回答 (4)

回答No.5

野武士とはいえないですが、#1の方が仰るような実例を聞いたことがあるのでご紹介します。 http://longlife.city.hikone.shiga.jp/museum/letter/45.html#2 の「ある旗本の書状」の目賀田という旗本の話です。 紀州から旗本への移籍組で吉宗の近臣にも目賀田某がいて、寛政譜にはこの系統しか載ってなかったと思いますが、紀州に仕えた初代以前は不明となってます。ただ帯刀が子孫かはわかりません。一族のある者は名字の地を守り、ある者は仕官を求めたんでしょうね。 あと『集古十種』には意外と”~~国の民家から発見”という説明があります。かつてはある程度の武家であったが帰農した、というケースが多かったのだと思います。ならば野武士レベルなら推して知るべし、ですかね?

noname#30350
質問者

お礼

参考URL拝見しました。 江戸時代は大名の子でも、庶子は養子の口がなければわずかな捨扶持を貰って兄(藩主)の厄介として暮らしていたと言いますし、戦国の世だと次男三男以下の一部は農民として生計を立てていった例も結構あったのでしょうね。 ありがとうございました!

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.4

蜂須賀家のその後 明治天皇から言われたものだから、太閤記などを歴史学的に検証。 「矢作川の橋で、日吉丸と蜂須賀小六が会ったわけない!なぜならその当時橋がなかったから」 というのを論証させていました。

noname#30350
質問者

お礼

蜂須賀家も天皇にかような事を言われたら狭い貴族社会の中で立場なかったでしょうね。 ありがとうございました!

  • haifa7741
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回答No.2

蜂須賀家は徳島 鳴門あたりの 大名となり 明治まで続き 伯爵家で続き 確か明治天皇のタバコをくすねて 素性・血筋(先祖が夜盗)は争えないな と天皇に大笑いされた?とか

noname#30350
質問者

お礼

そんな逸話があるのですね。面白いです。 でも蜂須賀家は将軍家などからの養子が入っているんですけどね。小六の血はとうに途絶えたものと思いましたが女系で繋がっていたんでしょうか。由緒正しい明治天皇からすると、徳川も源氏を詐称した氏・素性の不確かなものというに過ぎないという意味でもあったのでしょうか。 ありがとうございました!

  • 6dou_rinne
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回答No.1

蜂須賀小六のような層は、大名などに把握されて軍役を負担すれば地侍であり、そうでなければ農民ということになります。 こういう層は兵農分離のときに兄が大名に仕えて専業武士となり、弟は農業経営を続けて農民に(兄と弟が逆という例もたくさんありますが)というふうになったという例がたくさんあります。 もちろん家全体が武士になったり、または農民となるという例もあります。必ずしも郷士となったとは限りません。

noname#30350
質問者

お礼

長子が専業の武士となって、弟が農業を継いだ例が多いのですね。 大名に把握され軍役を負担したか否かが重要なのですね。 ありがとうございました!

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