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武士の性癖??
江戸時代の武士は小姓を雑用として使っていたっと授業で昔聞いたことがあります。 男色といって、夜の相手を小姓にさせていたと友人は言ってますが、これはホントの話でしょうか? そうなると、少し下品な話になりますが、男と男がSEX していたことになりますが、武士は皆ホモだったのでしょうか? これは、武士としての誇りがけなされる行為ではないかと自分は思うのですが、江戸時代の武士の間では普通だったのでしょうか?庶民もそういう趣向があったのですか??
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小姓については必ずしも性の対象ではない、というよりそうでなかった方が一般的であったでしょう。それじゃ今でいうと社長秘書といえばすべて社長の愛人かと考えるのと同等です。 とはいえ少なくとも明治以前の日本において一般的にホモ行為そのものがタブーではなく、むしろ高尚な趣味、と考えられていたようです。衆道というのがそれです。特に未成年の男子、というものは性を超越したものとして捉えられる考えがありました。 大元はわかりませんが、少なくとも中世の日本ではこれは寺院に起源を持つ思想のようです。田中貴子「性愛の日本中世」 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480088849/249-7932277-6597123 の所収論文「「稚児」と僧侶の恋愛」によれば、寺院内におけるそれについては詳細な作法や理論が立てられていたようです。まあ現在ではその種の文書そのものが門外不出となっていたりしますが、かつては少なくともいわゆるお稚児さんの存在は隠されておらず、不道徳ないし変態的と思われてもいませんでした。 ただ、同性の性行為では子供が作れないので、仏教寺院はそれでいいのですが、中世の日本においては今以上に重大な問題を含む事にもなります。ですから一般に「高尚な趣味」ではあっても、武士の場合、特に江戸期以降は奨励されるものではなかったわけです。したがってこのあたりから差別的な言辞が始まってもいるのですが(陰間についての悪口)。 なお、仰る「武士の誇り」なるもの、いわゆる武士道は本来そのようなものではありません。新渡戸稲造あたりが書いた事は現実にあった武士のありようというよりあくまで新渡戸が頭の中で組み上げた空想の産物です。また明治に喧伝された日本精神のごとき「明治武士道」とも、江戸やそれ以前の武士道とも新渡戸のものは違います(この二つもまた別のものですが)。このあたりは、 菅野覚明「武士道の逆襲」 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061497413/qid=1139609487/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/249-7932277-6597123 とか、 佐伯真一「船上の精神史 武士道という幻影」 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140019980/qid=1139609555/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/249-7932277-6597123 に詳しいです。 とりわけ前者には葉隠のなかの「主君に対する恋」(むろん同性です)に触れている部分もあります。 というわけで江戸時代に限らず一般的に存在し、特に江戸初期以前は特に咎められるいわれのないものであったこと、また庶民においても「陰間茶屋」というものがあり、少なくとも半ば公然とそういうものは存在していたようです。
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- yksin
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#03で回答したものです >>近隣の村の女性を襲うより内部で処理する分マシ >内部の小姓って元服を向かえていない子供ですよね? >相互の理解を得て行為を行っていたのでしょうか? http://web1.aaacafe.ne.jp/~yataro/sy-chouai.htm より ただ単に慰めとしたばかりではなく、主人の小姓へ対する愛情、そしてそれに応える小姓の忠義といった、「武士同士の体制固め」「義兄弟としての契り」等といった意味合いもあるようです。 簡単に言ってしまえば、 武家社会での男色は、体制固め(団結)をするための行為に発展していったのです。 とも書いておられる人もいますこの場合は相互理解が有ったとも解釈できますが >小姓にとっては何一ついいことがないように思えるのですが、、 果たして本当にそうでしょうか? 小姓でも武士に仕えるということは農民の生活よりは良い生活が出来たと思いますが、とくに気に入られていたら >また小姓が成人して女性に興味が出始めるた時、トラウマになりますよね。。(笑)確実に。 それは否定しませんが・・・。男色が普通の時代にトラウマになったかどうか・・・。 それを言うなら近隣の村の女性を襲った場合の襲われた女性の方がよっぽどトラウマになると思いますが? 少年愛とはby wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B7%E8%89%B2
お礼
再度回答有難うございました。 >近隣の村の女性~ たしかに、そうかもしれませんね。 有難うございました。
- Ichitsubo
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聞きかじりですが、 江戸の中期までは、男性が結婚する平均年齢は今よりもかなり高かったそうです。その理由としてあげられるのが、若いうちは男同士でつきあうものだという風潮もあったとか。女性とばかりの場合、女の尻を追いかけ回す破廉恥な輩と見られたとも聞きます。 名前は失念しましたが、ある武将は小姓と夜遊びを使用としないので、家臣が選りすぐりの小姓をあてがったという話も聞きました。 ところで、「武士としての誇りがけなされる行為ではないかと自分は思うのですが」というのは、暗に同性愛者に対する差別感の表れではないでしょうか? 人が人を愛すると言うことにはたいした差がないと思うのです。
お礼
ご回答有難うございました。 >女の尻を追いかけ回す破廉恥な輩と見られた なるほど。このような常識があったのですね!! 有難うございます。
補足
ここで補足をさせてもらいます。 >暗に同性愛者に対する差別感の表れ 言葉を選び間違えたようです。自分は同性愛を否定するつもりはありません。お詫びと訂正をさせていただきます。
- z-knight
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こんにちは 男色は日本にも古くからあるようで、特に戦国時代の「織田信長と森蘭丸」は有名です。(ウィキには『名高い戦国武将のなかで、男色の志向がなかったのは豊臣秀吉のみであったと言っても過言ではない』という記述もあります) これは精神的な主従関係の強化の一貫であると同時に、戦国大名にとって正室・側室との子作りは「仕事」、小姓との行為が「嗜好」という意味もあったようです。 このように戦国時代以前から社会的にも「美男子」への執着は強く、また大衆芸能であった歌舞伎に女形が存在するなど男色を助長する下地は出来ていました。 武士や庶民の間でも盛んであったようです。
お礼
ご回答有難うございました。 織田信長と森蘭丸は聞いたことがありました。 URLを見て勉強します。
- Toshi0230
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たぶん本当でしょうね。 元々、戦国時代の頃から小姓相手の男色は盛んに行われていました。かの信長と前田利家も若い頃はそういう関係だった、という話を聞いたことがあります。 ただ、これは「ホモだった」と言うよりは、戦場に女性を連れて行くことが出来なかったためにできあがった、一種の文化みたいな物で、両刀遣いがあたりまえの世界だったようです。 江戸時代も初期の頃は戦国の文化が色濃く残っていましたから、お小姓相手の文化も当然残っていたでしょうね。 そういえば「徳川家光は若い頃男にしか興味を示さなかった」という話(嘘か誠か知りませんが)も残ってます。春日局が女を与えて、ようやく女に目覚めた、とか…… 探せばその手の話題は結構見つかりますよ(^^;。 ちなみに同性愛がタブーとされるのは、どちらかといえばキリスト教に基づく西洋的な物であり、日本古来の文化はどちらかといえば同性愛に(も)寛容なのだそうです。
お礼
ご回答有難うございました。 >徳川家光は若い頃男にしか興味を~ 徳光と言えば、名将軍ではないですか!! 日本は同姓愛には寛容だったのですか!勉強になりました。。
- yksin
- ベストアンサー率35% (65/184)
まず最初に 私は専門家でもなんでもないので間違っているかもしれませんが 質問者さんと同じ話を学校かどこかで耳にした記憶があります そのときの話では 合戦中でも性欲が沸くからといって女性を戦場に連れて行くわけにはいかないので、性欲を処理するために小姓に相手をさせていたとかなんとかそんな話だったと思います >武士は皆ホモだったのでしょうか? まぁそういうことを続けてたら男色に目覚める人間も出てきたかと思います >武士としての誇りがけなされる行為ではないかと自分は思うのですが 性欲処理のために近隣の村の女性を襲うよりは内部で処理する分マシな気もします。(襲っていた者もいたかもしれませんが・・・) また昔は長期の船旅等では船に動物を連れていってて性欲を処理していたとか、本当か知りませんが。
お礼
ご回答有難うございます。 ここで少し分からないのですが、 >近隣の村の女性を襲うより内部で処理する分マシ 内部の小姓って元服を向かえていない子供ですよね? 相互の理解を得て行為を行っていたのでしょうか? 小姓にとっては何一ついいことがないように思えるのですが、、 また小姓が成人して女性に興味が出始めるた時、トラウマになりますよね。。(笑)確実に。
- popesyu
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江戸時代の話ではなく戦国時代の話ではないでしょうか。 有名所では織田信長と森蘭丸や武田信玄と高坂昌信とか。武田信玄の場合は恋文すら残っていますし。 ただこれは特に日本の武士に限らず中世ヨーロッパの騎士などでも見られたことで、危険な戦場には女性はいないものですから、戦場で気が立てば(一説には死を身近に感じるためDNA的本能から性欲が活発になるともいわれています)それを抑えるために、普通に男色は行われいたといわれています。男色に限らずヤギとかヒツジの類も犠牲?というか相手にされていたそうです。 ですので現代風に言われる性同一性障害からくるものとは若干ニュアンスが違います。 また性に対する感覚は今よりもずーっとオープンなものですし、たとえば江戸時代の風習で言えば一種の乱交でもある夜這いや、混浴が当たり前の銭湯とか、トイレなども共同だったそうですし。 まぁ質問者さんが感じられている下ネタ的なモノに対する拒否反応というのは、特に日本人にとってはアメリカ文化の影響によって戦後になって培われたものにすぎませんから、あまり深く考えることもないかと思います。
お礼
ご回答有難うございます。 >ヤギとかヒツジの類も犠牲 す、すごいっとしか言いようがないですね。 >アメリカ文化 まあ、どういった文化の影響を受けてるのやら、私は無知なので知らなかったのですが、その時代の慣習ってその時代の人しか分からないもんなんですかね~。
- ukimoki
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本当です。 現在では、同姓同士はおかしなものとして扱われていますが、その当時は普通だったんです。 別に誇りが貶される行為ではありませんでした。 合戦場に女を連れて行くことは出来ず(確か、不吉とされていたからだったと思います)、けれど、そういった気持ちを抑えられない人もいるため、そういった形をとったんです。 別に、ホモだというわけじゃありません。 奥さんもいましたし、あくまで夜伽の相手です。(と言っても、中にはそのままま・・・というパターンも無くはなかったようですが) また、城中でも、女性がいながら、男を呼ぶということもあったそうです。 詳しくはおぼえてませんが、癖になったんですかね?w 庶民にそういった傾向があったかは、すいません、分かりません。 また、いつの時代から今のようになったのかも不明です。 ただ、戦国の世と言われていた世の中では、いたって普通の行為でした。
お礼
ご回答有難うございます。 >あくまで夜伽の相手です。 う~ん。なるほど。 小姓とはどのくらいの年齢をさすんですか? 女性と子供は戦場には連れて行けないはずじゃ?
お礼
ご丁寧に有難うございました。 社長と秘書の関係ですか!?なるほど。分かりやすい例えですね。 僧侶と稚児の関係ですが、僧侶は十戒にもありましたが、姦淫不可ですよね?男の子はOKなのですね(笑) 少し、矛盾を感じます。 陰間茶屋とはどういったものなのでしょうか? 風俗の男版なのでしょうか?