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古今著聞集 151の内容に関して
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前半は、「平等院僧正」(行尊)が、諸国で修行中の身だったときのエピソードです。「僧正」の身分になるのは、もっと後になってからの話です。 なお、行尊も、住吉大社の神主・国基(津守国基)も、歌人として知られる人です。ちなみに住吉大社は和歌の神としても知られています。 で、前半は、修行中だった行尊を、国基が気に入って引き止めたところ、行尊は和歌で断りの返答をした、という話です。 後半は、行尊が天王寺(四天王寺)の別当になってからの話。当時、四天王寺と住吉大社は、領地の境界のことで争っていたそうです。なので、この国基の行動も、相談ではなく、四天王寺にお互いの領地の境界にクレームを申し入れに行った、と考えられます。 国基は、「別当」が、かつての修行僧だと言うことは知らなかったのではないでしょうか。 だから、話を申し入れに行った相手が、かつて「世を捨てて…」の歌を詠んだあの修行僧だとわかって、「これは敵わない」と驚いて退散した…というところではないかと。 それだけ行尊の歌や態度が威厳に満ちて素晴らしかった、ということではないでしょうか。
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- kzsIV
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托鉢僧が過大な歓待と布施を断っても失礼にはあたりません。 行尊は国基と知己だったのですぐ対面したのですが、国基は初見だと思っていたので、奥まで通されて、違和感を感じていたのです。 行尊の提案は、寺方のものは寺域に、社方のものは神域に住む、という地方(じかた)中分(ちゅうぶん)です。社寺には僧侶・神主・巫女のほかにも雑務に従う俗人が多数います。神仏習合の習いもあり、俗人の雑居は寺域・神域の別を不分明にします。俗人の所管をはっきりさせ、それによって居住域を定める、ということでしょう。
お礼
なるほど、ありがとうございます。 行尊の交渉内容も古文からはわからなかったので、補足説明大変勉強になります。
- kifimi
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No.1です。お礼コメントありがとうございました。 追加のご質問の、 >修行者の僧正に神主の國基が教えを乞うようなことを言うにはおかしな言葉だと思っていたのですが この時代は神仏習合ですので、神職が仏僧を尊敬する、というのは、おかしなことではないと思います。むしろ、仏教>神道と見なされていた時代の話ですし。 ただ、「聽聞仕らん」は、そのまま訳せば「聴聞申し上げたい」ということで、特に「教えを請う」まで意味はないと思います。行尊の御経が素晴らしいので、ぜひ聞きたい、という理解で十分かと思います。 「あやしく」については、手元で見られる注釈書にも特に記載がなく、断言できる知識が私にはありません。すみません。
お礼
ありがとうございます。 神仏習合の話は調べてみたのですが、神社とお寺の関係等なかなか奥が深くて、いまいちストンと落ちるところまで理解できませんでした。 古文は学校で学ぶことの何万倍も奥深いですね。 受験用の教材にはこういった背景や解釈は無いのでとても勉強になります。
- kzsIV
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手元の本には 住吉とてもとまるべきかはゝ、いかに、と仰られたりけるに、 とあります。「~~は、いかに。」のほうが自然ですので、このようにして解釈してみます。 あの「住吉とてもとまるべきかは」は、いかに。 ==前回同様、「住みよいからといって、住吉に泊まり込みはしない」 ではどうでしょう。 前回は国基の方から、ここ、住吉にとどまってくださいと、頼んでいます。今回は、国基があきれまどい、いうべきことも言わずに逃げだしましたから、「前回同様、国基が住吉にとどまってくださいと要請し、行尊が仏僧である自分は神域の中に留まらないと断ったこと」が自然成立しています。
お礼
ありがとうごさいます。 じっくり考えて読んでみましたが、やはり状況がよくわかりませんでした。 勉強不足でお恥ずかしい限りです。 神道と仏道の考え方から学ぶ必要がありそうですね。
お礼
ありがとうございます。 國基の方が立場的に上ではないのか?何を逃げ帰ることが有るのか?と思ってたんですが 修行者だったころの御経と歌が才覚の違いをまざまざと見せつける殆ど素晴らしかったということだったんですね。 もしご迷惑でなければ下のところも教えてください。 國基の発言の 御經の聽聞仕らん は修行者の僧正に神主の國基が教えを乞うようなことを言うにはおかしな言葉だと思っていたのですが 僧正の御経が素晴らしかったので、僧正の聴聞を聞きたい、とそのまま訳してかまわないのでしょうか? また、後半 しばし候へとてあやしく御前へめされければ、かしこまりつゝ參りたりけるに この部分がよくわかりません。 ここの「あやしく」は不思議だの意味なのでしょうか? それとも通常では僧正と面会は許されないのに、僧正と面通りが叶ったので「通例とは違って」というようなニュアンスなんでしょうか? よろしくお願いします。