古今集恋の歌 最終歌。
古今集恋の歌 最終歌。
ながれては妹背の山のなかに落つる吉野の川のよしや世の中
中の句での字余りのじれったさと言い、
恋の歌の最後にやたらと現実味がある感じと言い、
編者の何らかの意図や揶揄があるようにも思えますし、
歌自体、どこか奥歯に何か挟まっているような、そんな印象もあります。
何か、この歌の背景等ご存知の方がいらっしゃいましたら、このじりじりと痒いところに手が届かないじれったさを解消するご助力を頂戴したく思います。
そんなに、谷間をゆく川のように、夫婦間に「隔て」等生まれて来るものでしょうか。
この詠み手は結局、幸せな夫婦関係を築けなかった力不足を「世の中に良くある事さ」と思う事で、慰めているのではないかしら、と思ってしまうのですが。
それとはまた別に、「恋」でなく「妹背(夫婦)関係」を歌った数少ない恋歌、とも思われます。
それゆえ、か、妙な生々しさを感じさせる歌だなあ、と。。。
この歌に関する情報を頂きたく、質問を立てさせて頂きました。
よろしくお願いします。