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幕府の呼称について。
当時、武士からは鎌倉幕府と呼ばれず鎌倉殿と呼ばれ、室町幕府は室町殿と呼ばれてました。 自分が小学校、中学、高校では普通に鎌倉幕府、室町幕府と習いました。 江戸幕府は江戸殿ではなく江戸幕府の呼称のままで宜しいのでしょうか? 回答、お願いします。
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鎌倉時代、室町時代はまだ「幕府」が武家政権を指すものではありませんでした。 武家政権そのものを「幕府」と呼ぶようになったのは江戸時代中期以降です。 今のように「鎌倉幕府」「室町幕府」「江戸幕府」となったのは明治20年以降と意外と新しい言葉だったりします。 ですが、「幕府」と当時は全く使っていなかった訳ではなく、政治を行う場所(政庁・居館)を「幕府」と言っていたようです。 「御所」「館」「城」と大体同じ意味としてですね。 今で言う総理官邸みたいなモノです。 鎌倉殿は実は鎌倉政権及び将軍の別称などだけではなく、室町幕府の将軍にも使われた名称です。 混乱しやすいので一般的には源頼朝の事を指します。 室町殿は足利政権と言うより足利義満以降の足利将軍の別称かと。 江戸幕府は幕末ならば「幕府」と言っていましたが、中期以前ならば「公儀」「お上」などと呼んでいたようです。 鎌倉だと「武家」「関東」 室町だと「公方」などと呼ばれていたようです。 各幕府の初代将軍は誰一人「幕府を開く」などと宣言していません。 昔は初代が征夷大将軍に任じられた年を幕府成立の年としていましたが、現在は実質的に政権を握った年などとしています。 なので鎌倉幕府はいくつか成立した年の説があり、一応現在は1185年としています。 室町幕府も1336年ではなくて1338年説もあります。 現代に生きる私たちは学校で習った通り「鎌倉幕府」「室町幕府」「江戸幕府」でいいのです。 ですが、歴史創作をやる際は場所ではなくて政権を「幕府」とか説明モノローグじゃなくて、キャラクターに言わせちゃったら分かっている人だとガクってなります。 某歴史系漫画で幕末じゃないのに政治機関を「幕府」って言っていてガクーってなりました。
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- ichikawa2017
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>江戸幕府は江戸殿ではなく江戸幕府の呼称のままで宜しいのでしょうか? 宜しいとか宜しくないとかいうことではなく江戸殿という呼称が使われたことがありませんでしたので、お使いになられると意味が通じないということが起きてしまいます。 鎌倉殿も室町殿も当時は鎌倉幕府や室町幕府という呼称がありませんでした。 鎌倉殿、室町殿は清和源氏の棟梁を指す言葉として使われていたもので江戸幕府のように政治機構を指す言葉としては使われていませんでした。 参考 鎌倉殿 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/鎌倉殿 抜粋 鎌倉殿(かまくらどの)は、鎌倉幕府の棟梁。また、そこから転じて鎌倉幕府そのものを指すこともある。 源為義あるいはその子の義朝以降は清和源氏(武家)の棟梁を鎌倉家、鎌倉殿、鎌倉流とも呼ぶようにもなった。 「平家物語」では「鎌倉殿」とは頼朝を指し、歴史的には源頼朝と強く結びついた言葉である。 「幕府」の語は江戸中期以降用いられたものであり、鎌倉時代の武士は鎌倉幕府を「鎌倉殿」と呼んでいた。 また、室町幕府の長である足利将軍についても鎌倉幕府の継承者として捉えられ、当初は「鎌倉殿」「鎌倉将軍」の呼称が用いられていた。 例えば、二条良基が著した『連歌十様』(高野山正智院本奥書)には、三代将軍足利義満を「鎌倉将軍」と呼称している部分がある。 後に義満が京都室町に居宅を置くと、室町幕府将軍は「室町殿」と呼ばれるようになり、代わって室町殿の分家である鎌倉公方が「鎌倉殿」と呼ばれるようになった。 江戸幕府と同様に鎌倉にあった幕府や室町にあった幕府を指す言葉として使われるようになったのは明治以降の歴史学上の用語として使われるようになってからのことです。 参考 幕府 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/幕府 抜粋 「幕府」という言葉が将軍個人や空間的な将軍の居館・政庁から離れ、今日のように観念的な武家政権を指すものとして用いられるようになるのは、藩と同じく江戸時代中期以降のことで、朱子学の普及に伴い、中国の戦国時代を研究する儒学者によって唱えられた。「鎌倉幕府」や「室町幕府」という言葉はこの時代以降に考案されたものである。それ以前には「関東」「武家」「公方」などと呼ばれており、それぞれの初代将軍が「幕府を開く」という宣言を出したこともない。
お礼
回答ありがとうございます。 自分が小学校、中学、高校での教わり方と違い驚いてます。 自分の認識では、鎌倉殿、関東、室町殿、公方、大樹、上様、公儀、武家 の呼称程度でよいのか?と。 当時はそれでよかったですね。 回答ありがとうございました。
- あずき なな(@azuki-7)
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江戸幕府は江戸幕府です 「江戸殿」と言う呼称は聞いたことありませんね 鎌倉幕府の鎌倉殿 室町幕府の室町殿は幕府の呼称ではなく将軍に対しての呼称では? 江戸幕府では「上様」とか「大御所」と呼ばれていましたが
お礼
回答ありがとうございます。 歴史小説の中にもその様な呼称で、済ませてある場合があるのを覚えてます。 回答ありがとうございました。
- D-Gabacho
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歴史学者は、当時使われていたことばに適切なものがない場合、学術上わかりやすい適切な用語をつくって使います。鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府は、そうした歴史学上の用語ですから、当時使われていなくても間違いではありません。教科書に出てくる歴史用語の多くは、当時の呼称ではない学術上の用語です。
お礼
回答ありがとうございます。 鎌倉幕府も室町幕府、江戸幕府の呼び名の印象も歴史教科書だけでなく、歴史小説や大河ドラマの影響が大きいです。 その様な表現で済ませてしまう、人間の考えはある意味怖いですね。 回答ありがとうございました。
- kitsunetoneko
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江戸幕府は,武士達からは,御公儀とか 公方 様,大樹とかと呼ばれていたのではないでしょうか‥‥‥‥室町幕府は 御所 様ですかね‥‥‥‥
お礼
回答ありがとうございます。 時代劇ではその様な呼称で聞いた記憶があります。 暴れん坊将軍などで。 回答ありがとうございました。
- fujic-1990
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「江戸幕府」の呼称のままでよいと思います。 というのは、「鎌倉殿」というのは「組織」ではなく、「源頼朝以後、鎌倉幕府の首長の敬称」(広辞苑)または、室町時代には「鎌倉府」の長官を指す言葉だからです。 室町時代は、将軍も鎌倉府の長官も、同じ「足利」だったので、区別するために「鎌倉殿」と呼ばれたのだと思います。 閑話休題 また、「室町殿」も同様です。むしろ、「足利将軍家の邸宅のこと」という説明が、まず、出てきます。 転じて、室町幕府やその将軍の称、という解説があります。 歴史事典などは、ひくと →花の御所 と出ます。 つまり、○○殿は、本来「行政組織の名称ではない」のです。 なので、行政組織としての「江戸幕府」、老中がいて、若年寄がいて・・・ 町奉行がいて・・・ という組織を指す場合は、「江戸幕府」でいいでしょう。 江戸幕府の首長を指して言いたいなら、やっぱり「徳川将軍家」でしょうかねぇ。 「江戸殿」というと、さらに昔、江戸を開いた一族に「江戸」という一族がいましたので、そちらを指してしまうことになると思われます。
お礼
回答ありがとうございます。 私が小学~高校までは鎌倉「幕府」、室町「幕府」と学校で習いました。 今では否定され、鎌倉殿、室町殿と呼ばれてる事に戸惑い感があります。 鎌倉殿、室町殿も行政組織の名称ではなく、貴人の置き換えた名称だという事も知りました。 回答ありがとうございました。
- f272
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普通に使われていたのは「お上」とか「公儀」「御公儀」ではないですかね。
お礼
回答ありがとうございます。 時代劇などでもそういった呼び名で済ませてありますよね。 例えば、暴れん坊将軍とか?(笑) 回答ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 自分も大学では歴史地理学科に在籍してたので、自分なりに暇を持て余せてはネット程度ですけど調べました。 今の歴史番組でも、ウィキペディアでも鎌倉「幕府」、室町「幕府」も存在せず、江戸幕府も17世紀中頃から、呼称するようになったと知りました。 鎌倉政権も1185年頃で、それも段階的になったと。 回答ありがとうございました。