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釈迦の牛と自殺のたとえ話について
釈迦が牛車のたとえ話を用いて橋にいた女の自殺を止めたという話がありますが、この話の原典を教えてください。 「お釈迦様はこう言いました」「仏教ではこう教えられています」という記述ばかりで原典がよく分りません。
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これ、有名ですけど、お釈迦様の言ったことじゃないと思います。 誰かが、生きる意味を教えたくてお釈迦さんを出しにつかったんじゃないかと思います。なぜなら、話があまりにもすんなりハマっていて結論までストンと落ちるからです。はっきりいってイソップ物語じゃないかと思うくらい。 別のことを言いますが、アラビアンナイト千夜一夜物語というのがありますね。シンドバッドの話やなにかはきっちり入っていますが、有名なものでこの中にないものがあります。 アラジンと魔法のランプです。 シェアラザードがシャリアール王の枕元で1001日語った話の中にこのエピソードはないのです。 しかし、いかにもアラビアンナイトであり、何日かに分けて語られたらシャリアール王はワクワクして毎日待ち焦がれたんじゃないかと思わせるような出来栄えです。 だけど千夜一夜物語じゃないんです。 そういうのと似たことだと思います。
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「自殺についての譬え話」ですが、釈尊が托鉢の道中での事、大きな橋の上に憚りながら一人の娘が袂に石を入れている、自殺の準備に違いない、娘の傍に行かれた釈尊は優しくその訳を尋ねられた。相手がお釈迦様と分かった娘は心を開いて苦しみのすべてを打ち明けた。(略)そして、私を哀れに思われましたらどうかこのまま死なせて下さいませ。と、よよと泣き崩れた。そこでお釈迦様は「不憫なそなたに譬えをもって話そう」ある処に荷物を満載にした車を朝から晩まで引かねばならぬ牛がいた、つくづくその牛は思ったのだ、「なぜ俺は毎日こんない苦しまねばならんのか、一体自分を苦しめているものは何なのか、」そして、「そうだ俺を苦しめているものは間違いなくこの車だ、この車さえ無ければ俺は苦しまなくても良いのだ、この車を壊そう、」牛はそう決意した。ある日、猛然と走って大きな石に打ち当て、木端微塵に壊してしまったのだ、それを知った飼い主は驚いた。こんな乱暴な牛には余ほど頑丈な車でなければまた壊される。やがて飼い主は鋼鉄製の車を造って来た。それは今までの車の何十倍の重さであった。(略)牛は自分を苦しめているものは車だと考え、この車さえ壊せば自分は苦しまなくても良いのだと思った。それと同じようにこの肉体さえ壊せば苦しみから解放され、楽になれると思っているのだろう、そなたには分からないだろうが死ねばもっと恐ろしい苦しみの世界に入っていかねばならないのだよ、その苦しみはこの世のどんな苦しみよりも大きくて深い苦しみである。そなたはその一大事の後生を知らないのだ。」そして釈尊はすべての人に後生の一大事のある事を諄々と教えられた。娘は自分の愚かな考えを深く後悔し、釈尊の教えを真剣に聞くようになり、幸せな生涯を生きぬいたという。私個人的には「良医の譬え」が好きです。
補足
「釈迦が自殺を止めなかったのは解脱した人だけで、それ以外の人の自殺は止めている」という主張を見かけました。 正式に原典から引用できるもので、「解脱していない者の自殺」について釈迦が言及した話はあるのでしょうか。