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仏教は無常なのになぜ安定した極楽や地獄があるの
常に移ろって固定された絶対物はどこにも無いとしたら東大寺や京都にあるような仏像は何なんでしょうか。 全くの素人の自分が解釈すると「空」と観光地にある像は矛盾しているように見えます。 念仏のような呪文もです。 ぜんぜん分かりません。教えてください。
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そもそも、日本の仏教は国家像の構築の過程における権力システムが大元。 釈迦が目指したものとは、まったく異質で別なものではないですか?
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- nekosuke16
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無常。 仏教の修行の目的である精神の解放、解脱に至る経緯の中で、まず知らなければならない現実世界。 戦乱や飢饉、飢餓、天変地異などにより常に心の拠り所の無い不安な世界の中を何の学問も知識もない一般の民衆がひたすらさまよう状況の中に、一体の仏像、或いは、一巻のお経、念仏があることで、そこに、僅かな光明を見出だす。 大仏や巨大な伽藍を持つ大寺院の建立目的が、たとえ権力の誇示するものであったとしても、それは、全体的視点に立つ大乗仏教という大きな乗り物の象徴として、それぞれの時代背景の中で必要だったのではないですか? こうしたものに手を合わせ、念仏を唱えることには、この世の無常などという学問的な理屈ではない、もっと差し迫った、地獄絵図さながらの生き死にの絡む現実世界があったからこそ必要だったのだと思いますよ。 無常や極楽浄土、或いは、地獄などの仏教用語とは無縁の一般民衆にとっての心の拠り所としてのものであり、戦乱の世から現在の平和な時代に至る長い歴史の中で、もうすぐ迎える正月元旦に、願い事を心に秘めながら、神社であれ、寺院であれ、人々が手を合わせ、頭を垂れる光景は、今も昔も変わらないのではないですか?
お礼
釈迦の言ってないことを主張したり 釈迦の言葉と新逆のことを言うならその主張をした人の名前の宗教名で良いのでは なぜ釈迦の名前を流用するのですか
- princelilac
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寺や仏像の他に、仏画や経文などは人間が作ったもので、たとえどんなに硬い石などで作っても、やがては壊れて消滅してしまうのです。仏という霊体そのものではないからです。 初心者向けのお経の解説本も書店に行けば直ぐに見つかると思います。
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
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ブッダ(釈迦)ことゴータマ・シッダールタの教えは言わば「哲学」であり、今日本に伝わっている「仏教」とはブッダの「仏教」とは異なるものになってしまいました。 本来の「仏教」では「偶像崇拝」は禁じられているそうです。 ですが、ブッダの死後に菩提樹などの間接的偶像崇拝が始まったとか。 何故仏像がこんなにも増えてしまったのは仏教の方はいろんな説があるそうでわかりませんが、同じく本当は偶像崇拝禁止のキリスト教では布教のためだとか。 そして次第に信仰の拠り所となっていったそうです。 ちなみに仏像が作られるようになったのは1世紀頃だそうです。 ギリシャやローマの影響を受けているそうです。 「地獄」はただの転生先(六道)であって、「極楽」は悟って輪廻から解脱した者だけが行く場所です。 その後は語られていません。 (私の解釈では解脱したら消える) もちろん現世で悪行を重ねて地獄に落とされてもそこで善行したら来世は人に戻れるし、天(神)に生まれ変わっても悪行をしてしまったら畜生(動物)などに生まれ変わるのです。 そんな輪廻観は元々の仏教以前からあるようですが、分かりやすく布教する為に「永遠」という矛盾が生れました。
お礼
ありがとうございます やっぱ権力者の思想を補強する装置として仏教が悪用されてるんですね