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桑名藩の家格はどれぐらいだった?
桑名藩の家格はどれぐらいだったのでしょうか? 高い方だったのでしょうか、低い方だったのでしょうか? また、どれぐらいの規模の藩だったのでしょうか? 重要な藩だったのでしょうか? 桑名藩について、家格等、色々教えてください。
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yvloebgst さん、こんばんは。 桑名は東海道でも要衝の地です。本多、奥平、久松松平と比較的大きな家が城主になっています。特に久松松平家分家の養子の定信の代では帝鑑間詰めから溜りの間詰目へ昇進し、彼自身左近衛少将にのぼり、11代将軍家斉の将軍補佐、老中首座になりました。だから比較的に価格も高く、表高11万石に対して、越後柏崎の飛び地のおかげで実高14万石と豊かでした。 桑名藩 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%91%E5%90%8D%E8%97%A9
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- fujic-1990
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回答No.1
<伊勢桑名藩> 藩主が何度か変わっていてその都度家格や禄高も変わっていますので、一概に言えませんが、徳川重臣(本多)以外、徳川家門が藩主となっています。 最後の「松平中将定敬」の時代、禄高約11万石。中将だから・・・ 従三位かな? 溜之間詰(井伊家も同じ)め、城主格、家門で、上中下の3屋敷を賜う。 つまり、家格は高い「ほう」ではなく、「高い」のです。 桑名は、重要地。交通の要衝(焼蛤?が名物になるほど多くの人が通った)、美濃への玄関港を持つ港湾商業地。 本多家が藩主だったとき、本多忠勝の孫は、徳川家康の孫「千姫」の婿となる。
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お礼
御回答ありがとうございました。
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