• ベストアンサー

冷蔵庫とは・・・

●まだ冷蔵庫がなかった時代は、『魚や野菜を長持ちさせる便利な物が欲しい』という発想は無かったんでしょうか、そもそも江戸時代ぐらいの人々は、自分達が不便な生活をしている事に気づいた人は少ないのでしょうか?(もちろん、昔でも便利な物はあったと思いますが・・・)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7249)
回答No.8

大昔からその発想はありました。 平安貴族の時代には、冬にできる氷を切り出して室の中にしまって置き夏の盛りに出して食べるという手法があり、だからこの時代に「氷室」という用語ができてるのです。 当然、この氷室に食物を置けば長持ちはしたでしょうが、どんなに冷えていても食物はなまものですからくさりはじめ氷室のなかが悪臭で満ち満ちることになります。 そういうのではなく、凍った土とかそのなかに野菜なんかを藁で包んで埋めておいて悪化を防ぐということをしているのが北国の農家では常態でした。これが冷蔵の始めですね。 あと、井戸水に西瓜を放り込んで冷やしておくという手法は一般的にどこでもやりました。マクワウリだとかキューりとかもこの手法でうまくして食べました。 明治末期から昭和のはじめごろまで、「冷蔵庫」というものは販売されていました。これは木で作った密閉箱の上に引き出しをつくり、そこに氷をいれておくものです。当然その冷気で箱の中は外の温度にくらべ低い状態を保てますので、そこに肉や魚を入れて保存したのです。 考えはずっと変わりませんし、別段冷蔵庫という思想を誰かが突然発明したわけじゃありません。 それと、ものは結局腐っていくものなので極力新鮮なものを確保したいという要望が当然ありますので、魚でも野菜でも鮮度を勝負するような市場が成立したということになります。 だから天秤棒をぶらさげてあらよ、と歩き回る魚屋がでてきたり、荷車で野菜を売り歩くものがでてきたりしたわけです。 だけどそれでも限度はありますから、魚を酢でしめるとか、干物にしてかちかちに水なし状態にするというような加工法が発展したわけです。原始時代から電力が供給され電気冷蔵庫があったとしたら、おそらく干物だとか魚の粕漬味噌漬けみたいなものは発生しなかったかもしれません。そういう加工をするには時間がかかり面倒ですから。 電気、電力というものが生活の中に活かせるようになって、初めて電気冷蔵庫という発想が浮かんだんです。 自分たちは不便にもなんにも、電気とか電力がない時代に、不便だと思うとっかかりはどこにもありません。 不便だと思うためには、自分でないところに便利だと思うものがあってそれが見えるから自分が不便だと感じる必要があります。 何もないときに自分が不便だとは誰も感じなかったはずです。

HAKAIJU
質問者

お礼

非常に役に立つ考えです、含蓄のある言葉ありがとうございます。

その他の回答 (8)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11204/34805)
回答No.9

現代のかき氷に相当するものは、平安時代からありましたよ。枕草子にも「あてなるもの。削り氷に甘葛入れて、新しき鋺に入れたる(高級品。削り氷にシロップかけて金の器に入れる)」というのがあります。 江戸時代には将軍に氷を届けてかき氷を献上するっていうのがありました。薦にくるんだ箱に入れてえっちらおっちら持ってきたようです。今でも長野県だったか栃木県だったかに「江戸時代には将軍に献上し・・・」という歴史がある氷の生産地があったと思いますよ。 200年くらい未来の人から「20世紀から21世紀にかけての人っていちいち自分で車を運転していて、不便と思わなかったのかしら」とか「世に出てきたばかりの頃のスマホって全然使い勝手がよくなくて、不便だなーと昔の人は思わなかったのかねー?」なんていわれても我々はピンときません。「最近はスマホでなんでもできて便利だなー」なんて思ったりしているわけです。 質問者さんの年代がどのくらいか存じませんが、昭和の頃はデートするときも携帯電話とかナシで待ち合わせしていましたからね。確かに個人用電話があったら便利だなとは思っていましたけれど、当時の携帯電話は平野ノラさんが持ってるあんなやつだったのでとてもじゃないけれど持ち歩けるものじゃなかったですからね。

HAKAIJU
質問者

お礼

含蓄のある言葉ありがとうございます。

回答No.7

>まだ冷蔵庫がなかった時代 冷蔵庫に相当するものとして氷室と呼ばれる施設がありました。 日本書紀にも見受けられます。 朝廷にはこの氷室を管理する役職も設けられていました。 江戸時代には土蔵造りのものが江戸市中にもありました。 寒冷地から天然の氷が運ばれて貯蔵されていました。 栃木県の日光市には現在も天然氷を製造販売している企業があります。 >『魚や野菜を長持ちさせる便利な物が欲しい』という発想は無かったんでしょうか ありました。 乾物、発酵食品はこの発想に基づいて作り出されたものです。 海産物を乾燥させたものは俵物と呼ばれ長崎での交易の際の主要な輸出品でした。 現在の中華料理の・鱶鰭(ふかひれ)などは日本のものが最高品質とされて現在も続けられています。 鮑や海鼠の干物は日本よりも中国で好まれ現在も続いています。 ぬか漬、納豆などの発酵食品は古くからありました。 滋賀県の郷土料理の鮒寿司のように発酵させた熟れ鮨(鮓)と呼ばれるものもありました。 食酢を米飯に混ぜる現在の寿司飯は江戸時代に入って造られるようになったものです。早ずしと呼ばれました。 >そもそも江戸時代ぐらいの人々は、自分達が不便な生活をしている事に気づいた人は少ないのでしょうか? 沢山いました。 但し、不便というよりも改良改善という視点でいろいろ工夫されていました。 現在も冷凍食品と生鮮食品とでは食味が変わるように乾燥させたり発酵させると味が変わりますので、この変わった味を積極的に活用していました。 あるいは佃煮のように加工食品にして保存期間を長くしていました。

HAKAIJU
質問者

お礼

含蓄のある言葉ありがとうございます、大変役に立ちました。

  • nijjin
  • ベストアンサー率27% (4837/17868)
回答No.6

>『魚や野菜を長持ちさせる便利な物が欲しい』という発想は無かったんでしょうか、 長持ちさせたいという発想から干物や漬物、乾物が生まれたのでは? そもそも、冷蔵庫に使われているような機械的に冷やすことのできる技術が無ければそういった発想があっても実現することはできません。 江戸時代にTVという発想が現実のものとして無かったのと同じです。

HAKAIJU
質問者

お礼

技術が追いつかないから便利な物は作れない訳ですね。

HAKAIJU
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。

noname#230940
noname#230940
回答No.5

古代から現代まで、それぞれの時代にそれぞれの生活があります。 今から見れば不便な生活でも、当時はそれが当たり前です。 冷蔵庫がなかった時代には、冷蔵庫というもの自体を知りませんから、塩漬けなどにすることで、多少長持ちさせることで満足できただろうと思います。 現代社会で、アパートでも借りて、照明以外の家電がない生活を当初強いられるとしたら、冷蔵庫や掃除機、洗濯機、そしてテレビなどの存在を知っているわけですから、ないことで不便だなと思えるわけです。 何かを不便だと思い、こういうことができれば便利になると考えることができて、それに技術が追いつくようなら、そういう人がいろいろな便利なものを発明できるのだと思います。

HAKAIJU
質問者

お礼

とても考えさせられました、ご回答ありがとう。

HAKAIJU
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。

noname#231758
noname#231758
回答No.4

貯蔵性(保存)にもデメリットがあることに気づいていないようだ。いいことずくめ(ばかり)ではないのに。 便利なものって本当に必要なものだろうか、便利になったが、反面失われているもの(こと)あることに気づいていない。

HAKAIJU
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • qwe2010
  • ベストアンサー率19% (2216/11173)
回答No.3

昔は、今でも、その時代にある物を工夫して使って、生活していました。 スイカを冷やすには、それを井戸につけていました。 野菜を保存するには、腐らせないために、塩をたくさん使い、漬け物などにしていました。 甘辛く煮込むことでも、保存食になります。 芋などは、乾かせて、長期の保存食にしていました。 味噌などの発酵食品も、保存食でしょう。 酢に漬けると、腐りにくくなります。 土の中に埋めて、保存する方法もあります。 魚は、塩づけ、ひもの等にしていました。

HAKAIJU
質問者

お礼

そういえば、ハウスという映画でスイカを井戸につけているシーンがありました、ご回答ありがとうございます。

  • notnot
  • ベストアンサー率47% (4901/10362)
回答No.2

電気冷蔵庫が普及する少し前は、保温のボックスに氷を入れた冷蔵庫が各家庭にありました。氷屋さんが行商で氷を売りに来るのでそれを買います。 それより前だと、長持ちさせるために発酵食品が発明されました。今我々も食べています。

HAKAIJU
質問者

お礼

含蓄のある言葉ありがとうございます。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

江戸時代までいかなくても、今みたいに大型冷蔵庫が普及するまでは「今日食べるものは今日購入する、せいぜい明日食べるものを購入するくらい」でした。昭和30年代後半に冷蔵庫が普及するまでは氷で冷やす冷蔵庫があったなどとテレビ番組で紹介されたりしますが、あれは全ての家にあったわけではないようです。 江戸時代となると、地元で採れるもの以外は干物や塩漬けにしたもの以外食べられなかったはずです。だからこそそういう保存法が発達しました。今でも「煮貝」といって醤油にアワビを漬けたものが山梨県の名物になっていますし、山梨では鮪の消費量が多いそうです。つまり工夫次第で結構離れたものが手に入ったわけです。長野県では冬になると「飛騨ブリ」が食べられていましたが、「飛騨」というのはもちろん岐阜県北部のことで山の中です。ここでブリが採れるわけはないので、冬季傷みにくくなったブリを富山で陸揚げし、それを飛騨経由で運んでいたわけです。当然高価だったでしょうが、食べられないわけではありませんでした。

HAKAIJU
質問者

お礼

とても含蓄があります、ご回答ありがとうございます。

関連するQ&A