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昔よりも現代が一番!タイムトラベルしても現実を知って納得。
- コロナ禍による旅行の制限で閉塞感を感じる中、タイムトラベルの幻想に浸ります。しかし、江戸時代の暮らしに憧れても、冬の寒さや現代の便利さを考えると現代が一番だと気づかされます。
- 江戸時代の食材は棒手振りで届けられるなど、現代の便利な機器はなくても生活できました。しかし、冬の寒さや生活の不便さを考えると、現代の冷蔵庫やスーパーがある方が遥かに快適です。
- また、他の時代や国に想いを馳せることもありますが、現実を突きつけられると現代の生活に感謝するようになります。どの時代や国でもメリットとデメリットがあり、現代が最もバランスの取れた暮らしを提供していると言えます。
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昭和でも半ばごろ16年から20年 そしてその後の東京オリンピック39年頃まで 生れなくてよかったですよ。 16年~20年 太平洋戦争です。 男という男は学生を含めて戦争に駆り出され 遠い異国の地でお母さん~と泣きながら 死んでいったたくさんの人 帰りの燃料のない飛行機に乗って 敵地に突っ込む(特攻隊) どれだけの尊い若い力が失われたか 女は薙刀をもってエイやの練習(そんなもので敵兵が殺せるか) 空からは爆弾が降ってくる 防空壕に逃げ込む、 背中に負ぶった赤ちゃんに焼夷弾が当たり 助かったお母さんの嘆き 食べられるものなら草でも虫でも蛇でも食べて 生き延びた、 挙句の果てに原子爆弾を落とされて 焼けただれて死んでいった人たち そして終戦 帰らぬ息子を待ちながら、岸壁へ通った母 食べるものを求めて農家さんに物乞いをし 物々交換でなけなしの財産と交換 あふれるばかりの人々で列車から振り落とされないように 頑張って、持ってきた食料は取り上げられ、 戦争で孤児になった子供たちはスリ、盗み、靴磨き 女の子たちは進駐軍に媚びを売り身体を売る 雨が降れば焼け野原に建てたバラックは雨漏りがし 洪水になれば水洗トイレでないトイレから汚物があふれ出し しかし優秀な日本人はその中を生き延びて 東京オリンピックを迎える 高度成長期の波には乗るが 家に冷房は無く、学校も暑さの中の勉強 満員電車も、もちろん冷房無し 汗だくふらふらでたどり着いた会社も窓を開けて 扇風機に伝票を飛ばされないように気を使って、 帳簿にGペンでインクをつけて記入し 個人宅の電話はほとんどなし、債権を買うと12.3万円 ベビ-カ-は公共機関には乗れない オムツは布おむつ1日40枚くらいを洗って乾かし使う その頃やっと網戸が普及し蚊帳の生活から脱出 あぁ~書いてるうちに嫌になっちゃった。 きりがないわ。 今の生活がどんなに便利で快適か しみじみ思っています。 昔にタイムトリップしたいなんて贅沢です。
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- staratras
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「一身にして二生を経るが如し」という言葉があります。福沢諭吉が明治維新の前後の大変化について「一人の人間が二つの人生を生きるようなものだ」という意味で述べたものですが、太平洋戦争(第2次世界大戦)の前後の大変革もそうでしょうね。 興味深いことは、その「一身にして二生を経た」世代の人々に「前後どちらの時代がよかったと思うか」と聞くと、大抵は「後の時代(当時の「現代」)の方がよい」と答えるのです。理由はもちろん人それぞれですが、共通しているのは、「社会や個人の自由度が増した」という点です。 明治維新によって窮屈な身分制度ではなくなり(真の平等にはならなかったが)一応自由に職業が選べるようになりました。また戦後改革では、窮屈な「万邦無比の國體」の縛りから解放され、徴兵制度もなくなり、一応言論の自由が保障されました。 デジタル化・ネットの発達による変化に関しても同じように「一身にして二生を経る」と言えるかもしれません。ただ短い期間内に大政奉還から新政府の実質支配につながった明治維新や、「日本の敗戦と戦後改革」などと異なり、徐々に普及して部分的に置き換えられていったためその変化の大きさに気付きにくいのでしょう。 問題は、このデジタル化やネット社会の発達によって、「社会や個人の自由度が増した」かどうかということです。昔は家庭生活でも職場でも、いったん外出すれば帰宅(帰社)するまで基本的に連絡が付かなかったものが、ポケットベルで少し変わり、携帯電話で大きく変わりました。ただ「常に連絡できる」のは良いことばかりではなく「人間関係のあつれき」や「いじめ」につながる悪い面もあることはいうまでもありません。 現代が幸福かどうかも結局、「社会や個人の自由度が増すか否か」にかかわっているように思います。
お礼
>問題は、このデジタル化やネット社会の発達によって、「社会や個人の自由度が増した」かどうかということです。 なるほど〜。物理的には自由度は増しましたが、現代人は承認欲求や同調圧力に悩まされ、知らず知らずのうちに心の自由度を失っているのかもしれませんね。 せっかく自由な世の中になったのだから、充分にその恩恵に預からなくては先人の苦労が台無しになってしまいますね。 ご回答ありがとうございました。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
「旅行も行けない」って、旅行に一般人が自由に行けるようになったのはせいぜい昭和30年代以降のことです。日本の学校は昔から「修学旅行」がありましたが、「学校を出たらほとんど地元で一生を過ごす卒業生(地域差はあるが、特に地方では大半を占めた)が「世の中を知っておく」ために社会勉強の一環として始まったものなのです。戦前の日本人は農民が大半を占め、勤め人などはごく限られていましたから「生まれてから死ぬまで地元から10キロ以上離れたところに行くことなく一生を過ごす」人も少なくありませんでした。日本人は「お土産」を大量に買っていく習慣がありますが、これなどは「地元から出たことが無い人のため」に旅行に行ける数少ない人の義務のようなものでした。
お礼
おっしゃる通り、戦前までの農民のほとんどは、生まれてから死ぬまで旅行なんてできなかったのでしょうね。働いて食って寝て、子供をこさえて育てて歳を取っていく。楽しみは祭りくらいでしょうか。現代人には退屈な毎日でとても耐えられそうにありませんね。 ご回答ありがとうございました。
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2724/12278)
>宦官のフリして中国皇帝の後宮で楽しく暮らす 宦官は女性との交流を一切禁止させるためにあそこを切断したのだそうですね。だから、狂った宦官は拷問を趣味にしたりしていたそうです。そんな狂った世界に身を置きたいですかね。女性と話すチャンスすら無さそうな世界に身を置くのですよ。 >身分差の無い縄文時代の暖かい九州で気ままに暮らす 生活できる体力があれば、問題ないでしょうが、おそらく動けなくなった時点でポイされると思います。自力で生きられない人を活かしておくだけの余裕がある生活をしていたとは思えないのです。病気をしても同じくです。現代社会では簡単に治る病気でもかかれば、遠くに捨てられて、自力で治らなければ、戻ってこれないのでは? >ゴールドラッシュのアメリカで一攫千金とか夢見ちゃう 当時は無法地帯だったでしょう。犯罪怖いなあ。一攫千金できても生きて帰れるかな。 なんだかんだ言っても安全で便利で平等に生きれる現代が一番楽なんだと思います。バブルの時とか、ちょっと前に憧れる気持ちがないとは言えませんが、今でいいでしょう。
お礼
>そんな狂った世界に身を置きたいですかね。 勘弁ですね〜!中国の後宮にしても、江戸時代の大奥にしても、ハーレムといってもそこは陰謀や愛憎うずまく閉じた世界。慶喜なんかは大奥に入ることがなかったようですから、現代人が思うほどいい所じゃないんでしょうねぇ。 >生活できる体力があれば、問題ないでしょうが、おそらく動けなくなった時点でポイされると思います。 最近言われるのは、人類は穀物を得たことで増えたけれど、炭水化物メインの食事は多くの病気の原因になったし、腰に負担のかかる農作業をするようになって健康を害したようですね。農耕以前の狩猟採集生活の方がよほど豊かで健康的に生きていたとか。 >当時は無法地帯だったでしょう。犯罪怖いなあ。一攫千金できても生きて帰れるかな。 金を掘り当てて一攫千金を実現したのはごくごく一部で、実際儲けたのは船の帆からジーパン作って売った人だったりしますからね。 ご回答ありがとうございました。
- isoken
- ベストアンサー率32% (596/1825)
mikasa さん、こんにちは。 旅行出来ないのは フラストレーション が溜まりますねぇ、現在 今年の10月中旬までに消化しないと失効してしまう、1年 オープンの マイレージ 特典旅行 ・・ 2万マイル ( 国内2人分 ) を抱えているのですが、どうこう出来る状況にありません。 みすみす 航空会社に取られるのは惜しいし、本音では 北海道 か 南紀 辺りに飛びたいのですが、諦めるしかなさそうです。 >昔よりも現代が一番!!! 何だかんだ言って、国家権力が弱い時代に生まれて 幸せだったと思います、先人の皆様には悪いのですが、日本史上最悪なのが、恐らく 明治維新 前後 ~ 太平洋戦争 に掛けて。 それまで 日本人が経験した事が無い 中央集権 ですしね、特に 明治 なんて 国家権力が一番重かった時代でしょう、そりゃ 維新 の意義は認めます、 国家100年の計 を考えた場合、方向性として あれしかなかったとも思う、ただ 自分がそこに身を置くのは勘弁願いたいですね。 明治 に生きた方々の苦労が実る 経済的恩恵に至っては、下手をすれば 戦後生まれの我々世代辺りからですよ、何せ 新政権は 税は高い ・ 戦争に駆り出されるはで、どう比較しても 徳川政権の方が100倍マシ ・・ 、江戸時代は 職業軍人であるはずの武士ですら、島原の乱 以降 長らく戦争してない訳ですから。 もっとも 私だって、 祖国の一大時には 鉄砲を担ぐ程度の覚悟はあります 、ただ 作戦とも言えない 司令部の一存で、 二百三高地 の 埋め草 になり 犬死するのだけは絶対に嫌、・・ならば ちょんまげ を結い、 吉原 で 花魁とやりまくる方を選びたい。 話は変わりますが、日本人というのは どうしようもなく日本人でありまして、どこにでも日本的生活を持ち込み、あの寒い 朝鮮半島 北部 や 果ては 満州 に於いてすら、通気性の良い 日本型家屋 で暮らしていたと聞きます。 台湾 や 東南アジア 各所で、古い日本家屋を見て来た限り、南方でも何等変わるところがない、それに引き換え こと 住居に関する限り、欧米人と言うのは 柔軟性が有ります、コロニアル スタイル も合理的ですし。 もっと言っちゃうと、 英仏 の植民地支配は やはり狡猾です、英領マレーでは 華僑 、 そして 仏領インドシナ では ベトナム人 を使った間接統治の形態にして、憎しみのやり場を 彼等に向けさせましたものね。 それに対し 我が 大日本帝国 は、 台湾 も 朝鮮 も 真っ正直に統治しました、結果は 本国を潤すどころか 大幅な持ち出し ・・、やはり 所詮は駆け出しの帝国主義国家であり、植民地支配の老舗には 敵わなかったという事でしょうか。
お礼
イソケンさん、こんにちは。 >マイレージ 特典旅行 ・・ 2万マイル ワクチン接種も進んで、もうぼちぼち収束するのではないでしょうか。ダメ元で旅行の計画立てて使ってしまってはどうですか?なんなら私が使いますよ♪ >何だかんだ言って、国家権力が弱い時代に生まれて 幸せだったと思います、先人の皆様には悪いのですが、日本史上最悪なのが、恐らく 明治維新 前後 ~ 太平洋戦争 に掛けて。 そうですねぇ。坂の上の雲なんかだと、江戸時代と違って、平民でも努力さえできれば将軍でも教師でもなれた国民国家の誕生に日本男児は高揚感を持ったそうですけど、おっしゃる通り、二百三高地でマシンガンの的になるのは嫌だなぁ。それでもロシアには勝ったし、乃木司令官は高潔な将軍であったから無駄死ににはならないと思うけど、インパール作戦で餓死病死して、牟田口が戦後ものうのうと生きていたんじゃ死んでも死にきれませんね。 やっぱ平和な江戸時代がいいっすね♪ 話は変わりますが、日本人というのは どうしようもなく日本人でありまして、どこにでも日本的生活を持ち込み、あの寒い 朝鮮半島 北部 や 果ては 満州 に於いてすら、通気性の良い 日本型家屋 で暮らしていたと聞きます。 コロニアル スタイル ・・・植民地時代の建築様式。コロニアル様式の建築は,その土地の材料や風土と母国の建築様式の結合 なるほど勉強になりました。通気性の良い日本家屋は冬寒いけれど、木造でも長持ちしたんですよね。囲炉裏で火を焚けばそのまわりは暖かかったし、煙で防虫にもなって合理的だったかもしれませんが、江戸は大きな火を使えなかったから寒かったでしょうねぇ。 北欧や北海道などは高気密高断熱住宅が発達しましたが、今でも本州ではそうゆう高機能住宅の意識が低く、大手ハウスメーカーでもいまだに寒い家を量産してますね。 >英仏 の植民地支配は やはり狡猾です >それに対し 我が 大日本帝国 は、 台湾 も 朝鮮 も 真っ正直に統治しました ホントですよね。英仏の旧植民地の中東やアフリカが今も混迷しているのが良い証拠。対して日本の支配地域だった地域は戦後みな列強からも独立して発展している。 >所詮は駆け出しの帝国主義国家であり、植民地支配の老舗には 敵わなかったという事でしょうか。 日本の植民地支配は、列強の搾取するだけのそれと違い、共に発展しようという意識があったからと信じたいです。 ご回答ありがとうございました。
- 31192525
- ベストアンサー率19% (704/3540)
mikasaさん、こんにちは。 うーん、ちょんまげという名の弁髪はイヤだなあ。。。せっかく髪は長い友達でふさふさなのにぃ(笑) 『江戸時代なら死んでた』 心臓を一度、胆管を二度手術してるので、昔はできなかったのでとっくに死んでました。やっぱり今が一番。とりあえずここまでの人生で戦争もないし。
お礼
31192525さんこんばんは。 確かにちょんまげはめんどくさいですね〜。毎日カミソリで剃り上げるんでしょうか。それをしてないと浪人とかならず者扱いされるんでしょうね。 外科手術がほぼできないですもんね。盲腸になったらアウトじゃ嫌だなぁ。でも世界で初めて麻酔薬の開発に成功したのは江戸中期の華岡青洲で、世界初の全身麻酔での乳ガン摘出手術をしているわけだから、同じ時代なら日本が一番良さそうですよ♪ ご回答ありがとうございました。
- ミッタン(@michiyo19750208)
- ベストアンサー率15% (3892/25655)
m社長お邪魔します 私は小さい頃、近所のおねーさんのお下がりの服か手作りの服ばかり着さされていました それがどうしても似合わなくて嫌だったんです 今は洋服代で散財しましたが、毎日好きな服が着れるので幸せです(*^^*)
お礼
みったんこんばんは! 似合わないお下がり、確かに嫌ですね〜。 お下がりって私ら世代が最後かな〜って思ってたら、今もウチの娘の服が親戚に下ろされてますよ。今の子たちはお下がり嫌がらないというか、服も傷んでないしお下がり感ないんでしょうね。 ご回答ありがとうございました。
- keaget09
- ベストアンサー率19% (583/2929)
mikasa1905さまお晩でございます。 Keaget09です。 >どの時代どの国でも結構です。「昔よりも現代が一番!!!」という趣旨で、具体的な事例を挙げていただければと思います。 そうですね~。 私が小学生だったころの日本。 平成10年代ですね。(平成12年から17年くらい。) 今でこそ、先生が生徒に手を挙げれば一発でアウトですが。 そのころはまだその辺がゆるかったようで。 ある意味何でもありだったようです。 なので、小学校6年生の7月に、担任が私にしたことも、罪にはならなかったそうです。 今ならあのケダモノは、すぐにでも懲戒免職なんですけどね~。 今の時代の子どもたちは、ホントに幸せです。 ・・・・あんまり昔のことをよく知らないので、質問の趣旨と違っていたらごめんなさい。
お礼
Keaget09さんこんにちは〜。 挙げていただければと思います。 今ならあのケダモノは、すぐにでも懲戒免職なんですけどね~。 今の時代の子どもたちは、ホントに幸せです。 その話前回お聞きしましたけど、平成の時代でもあり得ないし、昭和だってあり得ないですよ! 私の子供の頃は先生の体罰は時々ありましたけど、ゲンコツやビンタなど瞬間的な傷みであって、さらし者にするような精神的苦痛を与えるようなのはさすがに無かったなぁ。 あと、一度驚いたのが、いつも優しい30代の男の先生が、すごい勢いで廊下を走ってきて教室に飛び込んだと思ったら、ある悪ガキに襲いかかってマウント取ってなんか叫びながらぶん殴り、悪ガキの方は泣いて謝ってたこと。どうやら悪ガキがクラスの女の子に酷いいじめをしたことへのお仕置きだったようですが、あれは驚いたなぁ、、、まぁ、悪ガキに対してはバシッと一回キツくしめるのが一番なんでしょうね。 ご回答ありがとうございました。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11073/34515)
やっぱりつくづく思うのは、1920(大正9)年から1926(大正15・昭和元)年の男に生まれなくてラッキーだったということでしょうか。 この世代は、7分の1以上の人たちが第二次世界大戦で戦死している世代です。私は1学級35人の世代ですから、同じクラスの男子の少なくとも2~3人は戦死している計算です。私は典型的なポカをやらかす人なので、戦場で2週間と生きられる自信がありません。勝手に地雷を踏んで死ぬタイプですね。 仮に戦場で死ぬことがなくても、戦争に青春を奪われることは逃れられません。しかもこの世代は、世界中どこで生まれても戦火の影響からは逃れられませんでした。当事者の国に生まれれば兵隊にとられたし、そうじゃない国でも大戦の影響で苦しい生活を強いられました。 もっともそれをいうと1895年前後に生まれたドイツ人男子はもっと大変で、まず兵役年齢で第一次世界大戦で徴兵されて戦争を経験し、生き残っても40代後半に第二次世界大戦になって「実戦経験者だから」と1945年に国民突撃隊というのに動員させられてソ連とまた戦争をする羽目になりました。 自分が年をとってくると「未来がある若者が戦争で失われるほど無意味なものはない」と思うようになりますね。勇ましいことをいうネット右翼のおっさんたちを見ると「お前らがテッポウを担いで島に行って戦ってこい。若者に強いるな」と思います。 >身分差の無い縄文時代の暖かい九州で気ままに暮らす 約6000~7000年前に、鹿児島県南方の硫黄島あたりの鬼界カルデラで大噴火がありました。この鬼界カルデラ噴火のすさまじさは、大隅半島や薩摩半島から50キロ以上も離れているのに、火砕流が達したほどでした。火山灰は東北地方にまで及んでいます。 この鬼界カルデラ噴火で、西日本の縄文人は絶滅したといわれています。縄文遺跡が東日本に偏っているのは、この鬼界カルデラの影響が大きいと推測されています。 あと冬はですね、実はそんなに寒くはないと思います。日本の伝統家屋って実は保温性に優れていて、障子一枚でも寒さを防いでくれるのです。白川郷の合掌造りの家に入ってびっくりしました。一階でストーブを焚いていると、屋根裏も結構暖かかったのです。そこで蚕を飼っていたのはちゃんと理にかなってるんですね。コンクリートのビルのほうがよっぽど底冷えしますよ。 でも蛇口をひねるとお湯が出てくるということはないですから、そこはつらいですけどね。とはいえ、それをいうなら質問者さんの子供の頃もお湯が出てくる蛇口なんてほとんどなかったと思いますが。それをいうと私が子供のときも学校にクーラーはなかったし、校長先生のお話を夏の炎天下で聞かされていましたしね。当時も時々倒れる子がいましたけど「こんな程度で倒れるなんて、弱い子だなあ」って思っていましたものね。
お礼
>やっぱりつくづく思うのは、1920(大正9)年から1926(大正15・昭和元)年の男に生まれなくてラッキーだったということでしょうか。 太平洋戦争前半の快進撃ならいざ知らず、ガダルカナル戦とかインパール戦など、何と戦ってるのかわからない戦場へ送られるのは嫌ですね〜。 >もっともそれをいうと1895年前後に生まれたドイツ人男子はもっと大変で、まず兵役年齢で第一次世界大戦で徴兵されて戦争を経験し、生き残っても40代後半に第二次世界大戦になって「実戦経験者だから」と1945年に国民突撃隊というのに動員させられてソ連とまた戦争をする羽目になりました。 日本は本土決戦を避けられましたが、ドイツはベルリンまで攻め込まれて一般市民も戦いましたからね。獣のようなソ連兵が一体どれだけ横暴な事をしたか。 >自分が年をとってくると「未来がある若者が戦争で失われるほど無意味なものはない」と思うようになりますね。勇ましいことをいうネット右翼のおっさんたちを見ると「お前らがテッポウを担いで島に行って戦ってこい。若者に強いるな」と思います。 そうなんですよね〜。私もどっちかというと右寄りなんですけど、戦争末期の惨状を考えるとやはり早い段階で負け戦は終わらせるべきだったろうと。戦闘機の特攻は、当初戦果を上げてしまったために多くの若者の命がつぎ込まれてしまった。米軍に対策されてほとんど戦果が上げられなくなっても、できるはずもない本土決戦のための時間稼ぎだったんでしょうか、それとも陸軍と海軍の若者の戦死者数争いだったんでしょうか。 戦争末期にどれだけ多くの将来ある若者が命を散らしたか。彼らが生き残ればどれだけその後の日本に貢献できたろうかと思うと悔やまれて仕方がありません。当時にあって戦争が始まってしまうのは仕方なかったかもしれないけど、絶対国防衛圏を破られた時点で降伏していれば、犠牲者310万人のほとんどは死なずに済んだ。まあそれも当時にあっては不可能なことだったんでしょうけれど、止まれなくなっちゃう日本の悪癖、オリンピックを強行しようとしてる今も同じ過ちを繰り返してるのかもしれません。 >この鬼界カルデラ噴火で、西日本の縄文人は絶滅したといわれています。縄文遺跡が東日本に偏っているのは、この鬼界カルデラの影響が大きいと推測されています。 噴火によって即死するならまだいいですけど、実際は火山灰による飢饉とその後の奪い合いの戦いで縄文人は死んでいったのでしょうね。 >あと冬はですね、実はそんなに寒くはないと思います。日本の伝統家屋って実は保温性に優れていて、障子一枚でも寒さを防いでくれるのです。白川郷の合掌造りの家に入ってびっくりしました。 燃料がいくらでも使える田舎ならそうでしょうけど、大きな火を使えない江戸は寒いっすよ〜! >それをいうなら質問者さんの子供の頃もお湯が出てくる蛇口なんてほとんどなかったと思いますが。それをいうと私が子供のときも学校にクーラーはなかったし、校長先生のお話を夏の炎天下で聞かされていましたしね。当時も時々倒れる子がいましたけど「こんな程度で倒れるなんて、弱い子だなあ」って思っていましたものね。 学校にはお湯もクーラーも扇風機もありませんでしたね〜。炎天下の校長の長話で倒れる子、私もそう思いましたけど、今だったら大問題だろうなぁ。 現代は過保護のようにも思えるけど、昭和の頃は雑な扱いで健康を害し亡くなったりした子供も多かったんでしょうね。SNSも無く教師の権限が強い時代だったから闇にも葬られた。やっぱ現代が一番ですね! ご回答ありがとうございました。
- haiji2021
- ベストアンサー率15% (20/127)
No.3ですが補足です。 よく調べたら、オリエント急行は2017年から冷房が設置されたそうです!これで真夏の時期でも行けるかも!やっぱり現代はいいですね(^^)
お礼
それはそうでしょう、現代なんですから笑 これで夢が叶いますね♪
- haiji2021
- ベストアンサー率15% (20/127)
みかささんこんにちは☆ そうなんですよー、もう冷暖房が無い時代になんて行けないです、私(^^) ヨーロッパのオリエント急行が、昔の車両のまま現代も走っているので、 いつか乗車するのが夢なんですが、 140年前の古い時代の電車だから、冷房が無いんですよ。。トホホ。 寝台車で一泊二日という長時間乗るので、 冷房が無いから、お盆とか夏休みの時期は無理! って思ってるくらいの横着者ですから(^_^;) あと、水道、電気、ガスは必須ですね。 現代のバストイレが使えないと無理。衛生が一番! ブラジルの貧民街は、現在も水道で手を洗える住宅環境が普及していない事からコロナ感染が広がってるとか聞いて、 そういうのはイヤですね(>_<) ガスが無くても、お風呂は炊けるけど、真冬に冷たい水で食器を洗うのは辛いし、水道をひねればお湯が出る設備は必要ですね。 だから、せいぜい昭和時代の後半がせいいっぱいです。 私は、フランスのベルサイユ宮殿の当時の貴族の生活に憧れますが、 豪華絢爛な宮殿や、ドレスや、お料理は素敵ですが、 やはり、水道問題。。。そのせいで皆、体臭がひどいから、フランスは香水文化が発達したといいますが、 香水を開発しているヒマがあったら、バストイレの設備の向上と普及に労力を使えばいいのにって思います(^_^;) 縄文時代の九州?日焼け止めクリームが無いと美白肌が保てないから困りますねー。 美容液とか乳液とかのお肌ケア製品も。。 まあそもそも人間の寿命が31歳らしいから、おばあさんになる前に死ぬからいっか(^_^;) しかし。。パソコン・インターネットがあるから、私も今のようにテレワークで在宅勤務ができているのはありがたいですね。 あと、現代は飛行機で海外旅行も自由に行けるのも楽しいですね。船で数か月かけないとヨーロッパに行けなかった時代なら無理でしょう。当時の人達からしたら、今の私たちはどこでもドアを手に入れているように見えるかもしれません。 やっぱり今現在が一番!ですね(^^)
お礼
ハイジさんおはようございます♪ 昔の列車というのはやっぱキツイんですかねー。冬は暖房がないと辛いけど、夏は窓開けておけば結構涼しいような?ヨーロッパでも夏はやっぱ暑いのかな?オリエント急行、路線図見たらパリからイスタンブールまで、歴史ある都市を環状に繋げていてめっちゃ楽しそうですね! >あと、水道、電気、ガスは必須ですね。 >現代のバストイレが使えないと無理。衛生が一番! 江戸は井の頭から引いた上水道が通っていたけど、考えたらウォシュレットが無いんですよね、紙も貴重だったろうからもしかして手ウォシュレット?(汗)私そもそもウォシュレットがないとダメだから、現代でも先進国の都市以外ムリかも(涙) >ブラジルの貧民街は、現在も水道で手を洗える住宅環境が普及していない事からコロナ感染が広がってるとか聞いて、 どうにもならないっすね〜。インドも感染広がってるのに、ガンジス川にごった煮になって入ってるし、病院のベッドが足りなくて二人で一つのベッドに寝かされてる映像見ましたよ。 >真冬に冷たい水で食器を洗うのは辛いし、水道をひねればお湯が出る設備は必要ですね。 あかぎれ必至ですよね。私が子供の頃でも、小学校はもちろんお湯が出ず木造校舎で雑巾がけしてたから、冬はずっと指先の皮膚が割れてました。 >やはり、水道問題。。。そのせいで皆、体臭がひどいから、>フランスは香水文化が発達したといいますが、 あのドレスのでっかいスカートは、庭で用を足すためのものだそうですからね。町も馬糞でいっぱいだったそうだし、住人は窓から糞尿を捨てていたそうだから、昔のヨーロッパは私たちがイメージしてるようなもんじゃなく相当ひどい住環境だったでしょうね。その点江戸は清潔♪ >縄文時代の九州?日焼け止めクリームが無いと美白肌が保てないから困りますねー。 縄文ギャルは日焼けして全員ガン黒でしょうね笑 >まあそもそも人間の寿命が31歳らしいから、おばあさんになる前に死ぬからいっか(^_^;) いやそれは、幼いうちに亡くなることが多いんであって、31歳で突然死ぬわけじゃないでしょう笑。でも縄文時代にガンとか病気になったらアウトですね。 でも日焼けもするし美容液もないし農作業で腰が曲がり、40歳くらいでお婆ちゃんかもしれませんね。50、60になっても女性が美しい現代が一番ですね♪ >あと、現代は飛行機で海外旅行も自由に行けるのも楽しいですね。 昔の人の旅は一世一代の大イベントだったでしょうね。幕末にヨーロッパ見学に行った日本人なんて、今だったら宇宙人の星へ行くぐらいのカルチャーショックだったでしょうね〜! また早く海外旅行できるようになるといいですね。 ご回答ありがとうございました。
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お礼
>どれだけの尊い若い力が失われたか まったく同感です。戦争が始まってしまったのは仕方なかったにしろ、うまく終わらせられなかったことが本当に悔やまれます。絶対国防衛圏などという線を引いたのなら、それを破られた時に降伏しなければならず、そうしていたなら大戦の犠牲者310万人の大半は生き残れたはずです。そんな歴史のifを論じても詮無き事ですけれど、その反省を未来に生かさなければと思います。 >そして終戦 おっしゃる通り、戦時中と戦後を生き抜くのは並々ならぬ苦しみがあったわけですが、どうにか生き残り、健康な心と体さえあったなら、みんな財産も地位も失った焼け野原からよーいドン!で公平にスタートできるっていう面白さがあると思うんですよね。高度成長期までは貧乏だけどみんな同じようであり、豊かでありながらSNSなどで劣等感を感じる現在より、多くの人が貧乏でも夢と希望を持っていた3丁目の夕日の頃の方が幸せだったんじゃないかって。まぁ当時は当時で公害や凶悪犯罪も多く実際は大変で、幻想に過ぎないとは思うのですが。 >汗だくふらふらでたどり着いた会社も窓を開けて >扇風機に伝票を飛ばされないように気を使って、 >帳簿にGペンでインクをつけて記入し >個人宅の電話はほとんどなし、債権を買うと12.3万円 >ベビ-カ-は公共機関には乗れない >オムツは布おむつ1日40枚くらいを洗って乾かし使う >その頃やっと網戸が普及し蚊帳の生活から脱出 このあたりは実感がこもっていて苦労がリアルに感じました笑。 現代の家電や整ったインフラが無かったら、多くの時間と労力を浪費しなければならないですね。 恵まれている現代に生きているのに、確かに昔へ行きたいなんて贅沢な話だと思いました。 ご回答ありがとうございました。