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天皇を哲学する

 1. 万世一系とは いま生まれて来ている人の誰についても例外なく言えることです。  1-1. 記録がないだけでしょう。    1-2. 男系は 家筋としては途絶えているかも知れないけれど 血筋は とうぜん辿れるわけです。  1-3. 一般の人びとの場合は 側室による男系一系が少ないだけでしょう。  2. 天皇家は 祖先を遡るとアマテラスオホミカミにたどり着くと言う。けれども アマテラスは アメノミナカヌシらの神々のあとに出て来た神である。  2-1. そして――出生の謂われは生殖のかたちが微妙だけれど――スサノヲのミコトの実の姉である。  2-2. つまり 一般の人びとは スサノヲの子孫となっているが 天皇家も スサノヲの子孫である。スサノヲも 天皇家の祖先である。  3. 象徴天皇という社会的役割りは 決してめづらしいことではない。  3-1. 《スサノヲ市民社会 - アマテラス公民圏》なる連関制としての社会形態は 二階建て構造を成す国家という状態にかんして 世界において一般性を持つ。  3-2. アマテラス公民は 《公務員一般(狭義のアマテラス)とアマテラシテ》とに分かれるが この・象徴を意味するアマテラシテが やはり世界において一般的な元首のことである。  3-3. 具体的に 国王・象徴天皇・大統領などがある。  3-4. 一党独裁の党総書記は ふつうの国家におけるふつうのアマテラシテであると言えるかどうか。  ☆ 具体例を三件挙げました。――人びとはなぜ 天皇について哲学しないままでいるのか?

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回答No.5

聖霊と精霊の使い分けはおおむねこのようにしている。 タイプミスも多いから一応の目安だ。 神として祀られる身分でありながら、認められていないキリシタン大名という神性を備えた魔性、人には決してとどめがさせない悪を象徴する不滅のケモノ ポケモンでいうゾロア。 本来は神が怒りあらぶれる姿の象徴で「聖霊」だ。 でもこの手は慎重に精霊として格下扱いしないといけないんだ。 もはや申し開きができないほど、悪とは人間の生み出した幻だとV字開脚を強要させるまで保留していることだ。 こうした私の忍耐が、君たちにどのような落とし前をつけさせるか楽しみにしてくれ。 私は友情を全うできない苛立ちを怒りに託しているんだ。 悪魔をかわいそうだなんて思わない。 これから自覚する君たちは、怒りが収まればある意味かわいそうかもね。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  次のような分類もあるよ。  ▲ (ヰキぺ:荒魂(あらたま、あらみたま)・和魂(にきたま(にぎたま)、にきみたま(にぎみたま))  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E9%AD%82%E3%83%BB%E5%92%8C%E9%AD%82

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回答No.4

あとね、 君なら目を通してくれただろうが、神の存在証明という莫大な懸賞金ゲットに取り組んでいてね。 名のある神とは要するに聖霊の姿で現れて、それで神の一部として機能するとでもいった、かなり乱暴でまだ補足の必要な論説をしたよ。 観念からの案内人として聖霊が話しかけて、その背景にある観念そのものが同根であると、多神教というのはどうでもいい看板だけのことになる。 私の身近はセレビィをアイドルにするポケモンファンクラブだよ。 ジラーチちゃんは議長の立場なので、対立関係にある神々との和解のために、私をお父さん扱いしてかわいらしくおねだりだ。 で、人間にはそもそも耐えられないであろう死にそうな目に合い、仮面ライダーとして活躍だ。 対立の必要が無い天界の住人の懸念を解決するには、原因である人間を仲介しなければならないからだろう。 セレビィの父親としての責任だよ。

bragelonne
質問者

お礼

 次の議論を対抗馬とします。  【Q:《聖なるあまえ》から《きよらかなおそれ》への変態】   https://soudan1.biglobe.ne.jp/qa9151979.html  1. 《聖なるあまえ》は ものごころがつく前の頃のひとの心の状態を言います。  2. 赤子が母親にあまえる――つまり 全面的に考えも計らいもなく身をゆだねるかのように心をゆだねている――とき これをひとつの典型として言います。  3. ところが 誰しも ものごころが着いて来ます。《考えもハカラヒもなく》というのは おこないがたく成ります。ウソをつくことをも知るという社会的動物たることの洗礼をも受けるようになります。  4. このとき聖なるあまえは どうなるか?――幼虫がさなぎになる。  5. 聖なるあまえは きよらかなおそれへと変態する。  6. きよらかなおそれは 幼虫ないし赤子における聖なるあまえ状態とほぼ同じだと言いたいのですが むろん《ものごころがついた》という意味での変態を経て 違いが出て来ます。  7. けれどもそれでも 後の段階で――ヒトの生まれつきなる自然本性に変わりはないと見るかぎりで―― 《聖なる甘え》と同じ状態であると言うためにこそ しかも言葉を変えて《きよらかなおそれを抱く状態》と呼びます。  8. どういうことか? すなわち 聖なるあまえは 母親への本能的な寄りすがりであるとき その同じ自然本性の成すハタラキにおいてなのであるが こんどは 母親なる存在を超えてナゾの何ものかへのおそれにその《身と心とのゆだね(あまえ)》を置き換える。  9. 言いかえると 聖なる甘えのときは きよらかなおそれすら――おそれすらを――まだ持っていない状態であった。(意識としてはです)。  10. このきよらかなおそれは 確かにナゾの何ものかに対するものなのであるが その同じ内容が 主観の内面における思惟や意思決定のときにも 〔ほぼ同じおそれを何ものかに対して持ってのように〕現われる。  11. これは さなぎからすでに成虫へとさらなる変態をとげつつあるときに起こるものと考えられるが ここではまだ さなぎ段階のこととして捉えてみよう。  12. ウソをつくとき・イツハリをはたらくとき 心は胸が変に高鳴り身も顔を赤らめ言葉はしどろもどろになる。《やましさ反応》が出る。やましさを 理性で受けとめるときには 《恥ぢ・恥づかしさ》となる。  13. つまり このヤマシサ反応が きよらかなおそれのことである。その現われである。  14. つまり要するに おのれがみづからの心を省みずヘソを曲げるときに起きる《おそれ・やましさ・恥づかしさ》である。  15. 主観はつねに この・へそ曲がり(つまりウソ・イツハリ)を仕出かし 軌道修正しわれに還り また脱線したり道草を食ったりして 大筋としては《わたしがわたしである》道をあゆむ。  16. 《恥づかしさ》を 何ものかナゾなる存在に対するおそれと感じ これを聖なるあまえを継ぐものと見て きよらかなおそれと捉えるなら それは この小さなおのれの主観が 人びとにも共通の心であると受け留めたことを意味する。ひとにとって共通であると。  17. つまり きよらかなおそれは 人びとにとって普遍的な内容を成す共同の主観であると――甘えないしはユダネであるからには 無根拠において――受け容れたことを意味する。  18. 《共同主観》は 共同と呼ぶからには普遍性があると見ているし 或る種の仕方で言えばわが心なる非思考の庭においてそのように受け容れているものでしょう。(無根拠なる根拠において受け容れているという意味です)。  19. こうして さなぎは羽化し 蝶へと変態する。  20. 成虫した場合には 社会の中でおのれの――はぐくんできた――《きよらかなおそれ》が つねに〔共同主観であると見ているからには・その限りで〕有効であるが しかも単純に言ってそのおそれは 世の中の社会力学じょう既成勢力たるチカラの前にほぼ無力となる。  21. この情況における《わたし》は どう生きるか?  《きよらかなおそれ》のゆくへは どうなるか?  22. 聖なるあまえ・もしくはきよらかなおそれ あるいは 《恥ぢ》を失わないならば けっきょく世の中においてわが目の前を通り過ぎてゆくブルドーザーの《しばしば無効にしてただ力学じょう有力であるチカラ》に対して これを精神の胃袋で消化しつつ 引き受けるということ。泥をかぶるということ。  23. ここに 蝶たる成虫への変態は 成し遂げられる。ものと思われる。  24. このシガラミの中にあって 無効の有力でしかないそのやはりシガラミたるゴミを――すなわちこのゴミは しばしば社会力学じょうの栄誉をも着せてもらってその身を飾り立てている・つまり おごり高ぶるゴミを―― あたかもみづからはアース役となって 呑み込みつつ処理していく。ということ。  25. これが 名も無い一介の市民の完全に成虫した(つまり さとりを得た)蝶としての社会的なすがたであり 使命でもある。  26. 敢えて言えば そのときの《武器》は 《きよらかなおそれ》である。根拠は 無い。  27. 無根拠なる根拠において ごみ処理工場と成る。  28. ごみ清浄化工場であり きれいな酸素をも供給するらしい。    29. 義無きを以って義としているらしい。(あるいは 《無住処涅槃》)。

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回答No.3

いつもの前置きだ。 古代の遺跡を調査するとき、神殿が最も注目される、なぜならいかなる神の信仰をしたかが、そこに住んだ古代人の精神を知る最も有力な手がかりだからだ。 王とは、一つの社会〈文明〉が性質する創世記に同時に神であった、イエスはとっくに滅亡したイスラエルの王を名乗ることで合法的に処刑された愚か者だ。 どこもかしこも文明に起源を継承していない世界中見渡して、王と神の一帯が正当に継承された唯一の国が日本だ。 この歴史上の名誉に神国を自負することに恥じらう必要が無い。 そういう国情の正当な頂点だよ。 君、アマテラスさんの議長能力に不信感があるのかね、唯一神の成立するキリスト教とかは、実際は部族限定の唯一の神だ。いろんな神様の社が各地に立つ日本の風土は、部族の神を認めまとめ上げる代表がアマテラスさんだというだけだよ。日本に唯一神の概念を当てはめてもそれほど違和感がない。 頂点に立つ神がまとめ、各部族の神に自治を与えた多神教で、そこに住む人は身近な神を唯一としても誰も文句を言わない。手塚治を神様にする漫画家がいてもOKだ。 これは、民族問題や、宗教問題といった外来思想を無頓着にさせていて、実情では、国民は「宗教については趣味で好きなようにしてくれ」こういう人権が与えられ、人種宗教より、国民意識が大切な風土だ。 私にはフェアリーフュージョンとなずけた、伝統をより高度化させたポケモン交霊術がある。 普段は 人間畑茂夫/聖霊セレビィだ、セレビィと友達の聖霊も私をお父さんと呼ぶから、そんな友達同士を精霊の中でもポケモン扱いしている。 人間 崇神天皇/聖霊アマテラス これがジラーチちゃんの本分で、私をよりわらとしてお父さん扱いして甘えると、普段仲良くしている幼馴染のジラーチちゃんは、アマテラスとして復活というか普段と違う本性を現すというか、そんな感じになって議長能力を発揮するんだ。 大抵そういう時はひどい目にあって私はボロボロになっている。 そのほかに 人間 雄略天皇/聖霊「名前を名乗らない」 こういうのも観察した。 名もなき聖霊の詮索はともかく、アマテラスさんは末っ子とは限らないし、天皇家の家系はこういう神そのものの言葉を実際にこなしてきた実績だろう。 禅の瞑想で得られる境地も死者との一体で、自らの身体を離れて他者を回想することだが、仏教が死んだ人間との一体であるのに比べて、神道系のしきたりに案内されると、今も生きる神の聖霊の姿と一体になるんだ。 崇神天皇は一言で言って包容力がありなにもかもを認める理想の父親。 雄略天皇は、心優しくなのもかもに慈愛を傾ける聖職者。 そんな印象があるね。 私は継承が途絶えた、日本の古代のシャーマンを復活させることを楽しみの一つにしているんだ。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 古代の遺跡を調査するとき、神殿が最も注目される、なぜならいかなる神の信仰をしたかが、そこに住んだ古代人の精神を知る最も有力な手がかりだからだ。  ☆ 注意すべき点がある。かたちあるモノだけからは 信仰の姿は 必ずしも容易には見出しがたい。  日本の場合は 神社が残っており 山では いはくら(磐座)なる大きい石や神木がある。ひもろき(神籬)なる小さな神の依り代が 神社の中にもある。  つまり 神々は 目に見えない。かたちあるモノは 神の降りて来るその依り代である。山そのものが 依り代でもある。  ★ 王とは、一つの社会〈文明〉が性質する創世記に同時に神であった、イエスはとっくに滅亡したイスラエルの王を名乗ることで合法的に処刑された愚か者だ。  ☆ 《王》が出たのは 貧富の差――ちからの差?――が出来てからだ。日本では 埋葬の仕方で副葬品について厚薄があるので 分かる。  王が出る前から 神は持たれていた。  イエスは キリストを名乗ったが イスラエルの王は 民衆がそう呼んだだけである。もっとも キリスト(メシア)の場合は ユダヤの王といった意味をも持つけれど。  ★ どこもかしこも文明に起源を継承していない世界中見渡して、王と神の一帯が正当に継承された唯一の国が日本だ。 この歴史上の名誉に神国を自負することに恥じらう必要が無い。  ☆ 確かにアマテラスは 両親のイザナキによってタカマノハラの統治を任せられた。イザナキは 日本人の始祖なので 初めから《王と神との一体》が成っていたと言えないこともない。  けれども 問題はそこにはない。タカマノハラは 《神代》だけの話である。人代になって たとえばアマテラスの孫つまり天孫が アシハラの中つ国に天降りしたあとから 歴史が始まる。  はじめから アシハラで王であったわけではない。天孫のホノニニギのあと数代を経て神武カムヤマトイハレヒコの時にやっと ヤマトにやって来ていくさを経たのちにオホキミ(大君)なる王を名乗ることになる。  ところが この神武イハレヒコの代も 歴史とは言い難いところがある。実質的に初代の天皇は 300年ごろにヤマトの三輪山のふもとに興った崇神ミマキイリヒコイニヱのミコトのときからである。  ところが この崇神イリヒコの社会は 山のオホモノヌシが神であり その神主は 民間のオホタタネコであった。決して オホキミ(=崇神イリヒコ)が威張っていたわけではない。  威張りだしたのは 400年ごろの応神ホムダワケからである。うんぬん。  ★ そういう国情の正当な頂点だよ。  ☆ つまりは もともと日本人の社会は ムラヲサ(崇神イリヒコ)とムラビト(オホタタネコが代表)とそして みなが信じていた神(オホモノヌシ)との《和》の世の中であった。これが 伝統である。  やがて カフチ(河内)の応神ホムダワケからのワケ政権が 世の中を 一階と二階とに分けて 自分たちが二階にアマアガリして統治するというスタイルを築いた。ミワのイリ政権は これに《くにゆづり》をした。口で言ってやっても 聞かない連中だった。  つまり イリヒコやオホタタネコらの《和》が ワケ政権の勢力が構想するその《大和》に飲み込まれてしまった。いまにまで到る。  ★ 君、アマテラスさんの議長能力に不信感があるのかね、  ☆ アマテラスは この《和》の社会を乗っ取った《大和》さんたちの親分である。お山の大将でなくては 生きて行けなくなるといった病いに侵されていたんだ。  ★ 唯一神の成立するキリスト教とかは、実際は部族限定の唯一の神だ。  ☆ いいや。イエス・キリストは ふるくからのユダヤの神ヤハヱーをその民族の外に開いて 高いくらいの普遍神へと揚げ そのふるき神は棄てた。普遍神の信仰が始まったということだ。だから すでに神というのをもう持ち出す必要がなくなった。  ★ いろんな神様の社が各地に立つ日本の風土は、部族の神を認めまとめ上げる代表がアマテラスさんだというだけだよ。日本に唯一神の概念を当てはめてもそれほど違和感がない。  ☆ お二階または雲の上へとアマアガリしたアマテラス公民は ムラムラのマツリを束ね そのお二階からの統治をまさに統一的なマツリゴトとしておこなうこととした。  ★ 頂点に立つ神がまとめ、各部族の神に自治を与えた多神教で、そこに住む人は身近な神を唯一としても誰も文句を言わない。手塚治を神様にする漫画家がいてもOKだ。  ☆ だから 日本人の伝統としての和は 二階などは要らないみんなの――助け合い・譲り合う――社会なんだ。どうしても おれたちは高いところに上がっていないと 死んでしまうと言うものだから 社会にも神棚をもうけてやって そこに人びとは アマテラス族を住まわせた。それだけのこと。  ★ これは、民族問題や、宗教問題といった外来思想を無頓着にさせていて、実情では、国民は「宗教については趣味で好きなようにしてくれ」こういう人権が与えられ、人種宗教より、国民意識が大切な風土だ。  ☆ という世の中を お二階のえらいさんがゆるしたというお墨付きのもとに――それは クウキと成って人びとのあいだを流れて行き―― 出現させている。  世の中は つねにアマテラス印がついていないと(つけていないと) やって行けないように成っている。権威が地に落ちることをえらく嫌いいたくおそれているんだ。  一階の人びと一般は だいじょうぶですよ 心配ないですよと言ってやっている。だけなんだ。  ★ ~~~~~~~~~  私にはフェアリーフュージョンとなずけた、伝統をより高度化させたポケモン交霊術がある。  普段は 人間畑茂夫/聖霊セレビィだ、セレビィと友達の聖霊も私をお父さんと呼ぶから、そんな友達同士を精霊の中でもポケモン扱いしている。  人間 崇神天皇/聖霊アマテラス  これがジラーチちゃんの本分で、私をよりわらとしてお父さん扱いして甘えると、普段仲良くしている幼馴染のジラーチちゃんは、アマテラスとして復活というか普段と違う本性を現すというか、そんな感じになって議長能力を発揮するんだ。  大抵そういう時はひどい目にあって私はボロボロになっている。  そのほかに  人間 雄略天皇/聖霊「名前を名乗らない」  こういうのも観察した。  名もなき聖霊の詮索はともかく、アマテラスさんは末っ子とは限らないし、天皇家の家系はこういう神そのものの言葉を実際にこなしてきた実績だろう。  禅の瞑想で得られる境地も死者との一体で、自らの身体を離れて他者を回想することだが、仏教が死んだ人間との一体であるのに比べて、神道系のしきたりに案内されると、今も生きる神の聖霊の姿と一体になるんだ。  崇神天皇は一言で言って包容力がありなにもかもを認める理想の父親。  雄略天皇は、心優しくなのもかもに慈愛を傾ける聖職者。  そんな印象があるね。  私は継承が途絶えた、日本の古代のシャーマンを復活させることを楽しみの一つにしているんだ。  ~~~~~~~~~~~~~  ☆ ご自由に。  雄略ワカタケルは 日本国の正史である日本書紀の中で――なぜそう呼ばれたかの事情は割愛するけれど―― 《有徳天皇(おむおむしくましますすめらみこと)》ともまた《大悪天皇(はなはだあしきすめらみこと)》ともうわさされたとあります。

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  • ddtddtddt
  • ベストアンサー率56% (180/320)
回答No.2

 なんだかんだ言って、気づいてなくても、けっこうみんな天皇が好きだからじゃないですか?。  被災地をまわる天皇・皇后両陛下に対して、対面した人たちは何故か(?)みんな感動してるし、成人式だったら檀上で大暴れするような若い連中もおとなしくしてる(絶対にいるはずなんだが)。  対して、菅首相の場合は正反対だった(^^;)。

bragelonne
質問者

お礼

 あれえ。こういうのに参戦ですか。  まづは ご回答をありがとうございます。  そうですね。  ★ なんだかんだ言って、気づいてなくても、けっこうみんな天皇が好きだからじゃないですか?。  ☆ しかめ面をして言えば 好き嫌いに関係なく哲学は おこなうものなんですが。  そして 天皇明仁氏が嫌いで哲学するのでもないですし。  分かりますが 放っておいてよいものでは――日本人の哲学としては―― ないでしょうね。  つまり ここに例示したような内容は ほとんど誰も言っていないと思います。死角だったのか。あるいは おっしゃるように天皇が好きだから 悪口は言わない・または 要するに現状を《勝手に》変えるような思索は おこなわない。――といったところなのでしょうか。  でも かえってそれでは 日本および日本人が 世界からは馬鹿にされるのではないでしょうか? 反日教なるカルト宗教に迫るほどの狭く閉じこもったクウキ教のままで居続けることになりましょう。  ★ 被災地をまわる天皇・皇后両陛下に対して、対面した人たちは何故か(?)みんな感動してるし、成人式だったら檀上で大暴れするような若い連中もおとなしくしてる(絶対にいるはずなんだが)。  ☆ 後半は ほんとうかどうか 分からないですね。前半は まさに《全身全霊》のイメージです。何の問題もなく けちのつけようがありません。(* 後述)。  ★ 対して、菅首相の場合は正反対だった(^^;)。  ☆ そういうことですが これは 権力の執行部(アマテラス公民)と権威ないし象徴(アマテラシテ)との違いを前提にしなければならないでしょうね。  * 天皇ご夫妻の被災地慰問のことですが どうもわたしがつらつら考えるに 明仁氏は 父である昭和天皇の戦争責任の問題を真面目に受け取りこれを考え 要するに少しでもその責任を果たすことを誓った。その結果が 被災者のお見舞いとなって現われているのではないか?  けれども かなしいかな。明仁さんもそのように引責としてのお務めであるとは言いませんし ましてやあからさまに ごめんなさいとも言いません。だから 国民の具体的な反応も 聞けない。現われない。だから 氏は つかれた。  暖簾に腕押しなのですから とうぜん つかれます。ましてや まじめ一筋なんですから。これが どうも――われ忖度するに―― 生前退位の真相ではないか? とも強いて述べることにします。

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  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率64% (1099/1699)
回答No.1

1.についてはおっしゃる通りですが、2.については日本神話を知らない人のもの言いとしか思えません。日本神話において一般人は獣や草木と同様、国土に自然発生した存在で、スサノオの子孫などではありませんし、そもそもアマテラス・スサノオ・ツクヨミのいわゆる三貴子が生まれる前から民草は存在しています。黄泉の国のイザナミに会いに行ったイザナギが彼女の醜悪な姿を見て逃げ帰り、イザナギを恨んだイザナミが「汝が国の人草を一日に千頭絞り殺さむ」といい、これにイザナギが「吾一日に千五百の産屋を立てむ」と返して別れた後、イザナギが黄泉の国の穢れを落とすために行った禊の中でアマテラスら三貴子は生まれているのです。あと3.については、アマテラシテとかナントカ公民圏とか、なにを言ってるのかさっぱり意味がわかりません。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 1.についてはおっしゃる通りですが、  ☆ はい。  ★ 2.については日本神話を知らない人のもの言いとしか思えません。  ☆ その心は?  ★ 日本神話において一般人は獣や草木と同様、国土に自然発生した存在で、スサノオの子孫などではありませんし、  ☆ それは 誤解です。ここで 天皇家もそして市民一般も スサノヲの子孫であると言うのは あくまで《天皇家は アマテラスの子孫である》という命題〔があるとすればそれ〕に対しての物言いであるに過ぎません。  神話なりそこにおける神々が 一般にどうであるか? という視点からの問題とは ちょっと違います。  ★ そもそもアマテラス・スサノオ・ツクヨミのいわゆる三貴子が生まれる前から民草は存在しています。  ☆ それは 微妙ですね。  アメノミナカヌシなどの神が 最初に来ます。そして これらにしても 或る意味では人間を神格化として描いているだけなのかも知れません。  これは 別としますが・つまり一般に イザナキとイザナミとが 人間ないし日本人の始祖です。《民草》の起源です。  三貴子は それら両親からの子どもです。  ★ 黄泉の国のイザナミに会いに行ったイザナギが彼女の醜悪な姿を見て逃げ帰り、イザナギを恨んだイザナミが「汝が国の人草を一日に千頭絞り殺さむ」といい、これにイザナギが「吾一日に千五百の産屋を立てむ」と返して別れた後、イザナギが黄泉の国の穢れを落とすために行った禊の中でアマテラスら三貴子は生まれているのです。  ☆ ええ。先ほど述べましたとおりだと思います。(《両親から》と言ったのは 微妙ですが)。  ★ あと3.については、アマテラシテとかナントカ公民圏とか、なにを言ってるのかさっぱり意味がわかりません。  ☆ はい。

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