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「君が代」が天皇賛美で何が問題なの?
国家「君が代」に反対する人々の反対理由の一つに「『君が代』の『君』は天皇を指している。天皇賛美の歌だ」というのがあります。 そこで、質問なのですが、それのいったい何が問題なのでしょうか?国の象徴である天皇を賛美して何が問題なのか、さっぱり分かりません。 戦時中に戦意高揚に利用されたのかもしれませんが、そうだったとして、現代において反対する理由にはならないと思うのですが。 どなたか明快なお答えをお願いします。
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天皇が国の象徴だから敬わなければいけない、という強制が問題です。 天皇が嫌いな人もいるでしょう。 「君が代=天皇賛美」よりも、それを歌うことを強要するのが問題なのです。 個人のイデオロギーの問題です。 私的には「君が代=天皇の親衛隊、右翼のテーマ」に聞こえます。 天皇のことをとやかく言うと、右翼が街宣でがなりたて、時として暴力を 振るう、そういう輩の街宣ソング「君が代」は嫌いですね。
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- tiuhti
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>もし反対派の方が、本当に法改正等をして新国歌を作りたいのであれば…、そのためには「それだけの事」だけでは説得力に欠ける気がします。 私が「それだけの事」と言ったのは、ご質問自体が「天皇賛美に反対の人が君が代に反対なのは、何故か」というものであれば、質問自体に含まれている「天皇を賛美したくないから」という答えしかできないのでは?、という意味です。勿論、「天皇を賛美したくない」理由は、「天皇制そのものに反対」、「象徴天皇の存在自体は認めても、君が代自体は戦前を思い出させるから反対」、はたまた「天皇制を否定すれば、いずれは日本を転覆できるから(??)」とか、推測、妄想、色々はできるでしょうが、「何故、象徴天皇を賛美する気にならないのか」という理由は、全く個人的な考えに基づくもので、このサイトでは原則として禁じられている「明確な回答の存在しない、アンケート的な質問」に限りなく近くなるような気がします。 尚、「新国歌を作りたい」人は、なぜ新国歌が必要なのかを訴えなければ、その目的を達せないのは、全く仰る通りです。一人心の中で「新国歌が欲しいなぁ」と思っても、何も起きませんからね。ただ、反対派の多くが、今現実に考えている事は「他人が君が代を歌うのは勝手。自分は歌わない(あるいは起立しない)」という事じゃないでしょうか?まともな大人は「自分は歌いたくない」と「他人にも歌うなと言う」というのは、分けて考えるでしょう。勿論、新国歌を作りたい人がいれば、その人にその理由を聞けば、何か教えてくれるんじゃないでしょうか? >「天皇の代が永遠に続いて欲しいという歌詞が」という前段と「国民主権にそぐわないから」という後段がどうにもつながらないように思えてなりません。 …「そぐう」「そぐわない」というよりも、元々別個のものを比べているような気がしてなりません。 君が代の歌詞は、素直にその歌詞だけを読めば、「好きな人あるいは特定の偉い人の代が永遠に続いて欲しい」という意味です。しかし、国歌としての君が代での『君』は、(No.18に書いた、一時期政府がかなり無理な解釈をしていたのを除けば)戦前から一貫して、君=天皇です。また、代(よ)は、統治者が主権者として国を統治する期間、あるいは家長が家を治める期間、同一系統の支配体制(武家の代、源氏の代など)という意味があります。つまり国歌としての意味は、少なくとも戦前には「個々の天皇の命が、永久に続いて欲しい」&「天皇制が永久に続いて欲しい」という二重の意味を持ちました。今も素直に解釈すればそうなります。 さて「元々別個のものを比べている」というのは、「戦前と戦後の天皇制は異なり、同じ天皇(あるいは天皇制)の永続を願う歌でも、対象が違う。よって戦前と、意味は全く異なる(戦前の賛美ではない)」といった内容の事を仰りたいのだと勝手に解釈します。 そういうご意見に対して、私がどうこう言うべきものではありませんが、逆に「全く違うのだから、歌も違う歌に変えよう」という人がいたら、そういう人の意見もやはり「わかりません」か?同意は出来なくても、言っている意味はわかると思うのですが、どうでしょう?あるいは、戦前と戦後の天皇制の違いの如何に関わらず、国民主権なのだから、国民そのものあるいは国土そのものを対象にした歌がいい、という意見もあるかも知れません。 質問者の方が「自分はそうは思わない」という事だけであれば、このサイトは議論をしたり合意を形成する場ではありませんから、何らかの回答が出た時点で話は終わりにすればよいと思います。一方、「わからない」と言われると、私はきちんと回答できていない事になりますが、私にはこれ以上は如何ともし難いです。 因みに、私の子供は、英国の小学校に3年ほど通いましたが、学校行事で国歌を歌ったり国旗を掲揚する習慣はありませんでした。ユニオンジャックとイングランド、スコットランドの旗は、日本の幼稚園児が各国の旗をお絵かきするのと同じ様なレベルでは、知ってました。国歌は、ひょっとしたら名前ぐらいは知っていたかも知れませんが、歌えなかったのはおそらく間違いないと思います。参考URL↓の政府の調査を見ると、私の子供が特殊だったのではないようです。 大人にとっても、王室行事やオリンピックなどで国旗・国歌を目にする事はあっても、日常的には滅多に見ません。スポーツでは、ご存知の通り、主なスポーツでの単位がイングランド、スコットランドと言った単位で、ラグビーやフットボールでは、スコットランドでは、”Flower of Scotland”が歌われます。ウェールズも、独自の歌を持っています。(いずれも正式の国歌ではありません。)God save the queenを歌うのは勿論イングランドです。スコットランドで、セントアンドリュークロスはわりと見かけますが、ユニオンジャックは目に付きません。 こういう英国で、God save the queenを歌うのを強制したらどうなるか、ちと想像できません。 英国がそうだから、日本もそうしろ、と言いたいのではありません。むしろ逆で、国旗にしろ、国家にしろ、それぞれ独自の事情から国旗・国歌が定まり、またそれぞれの歴史の中で、好悪の感情も生まれている、という事です。ですから、他の国と比較する事自体ナンセンスです。とはいっても、日本人の大人としては、God Save the queenは、歌詞を見るまでもなくタイトルだけで、王室賛美っぽい歌だというのはわかって当然だし、まして、君が代の歌詞が「血生臭い」などと思ったら、それはかなり問題でしょうけどね。 英国はわかりやすい例ですが、基本的にはどういう国歌がいいと思うかは、個人によって考え方が違っていても、少しも不思議ではなく、むしろ、皆同じ意見を持っているようだったら、その方がよほど気持ち悪いと思うんですが、どうでしょう?
お礼
ご回答ありがとうございました。 >ただ、反対派の多くが、今現実に考えている事は「他人が君が代を歌うのは勝手。自分は歌わない(あるいは起立しない)」という事じゃないでしょうか?まともな大人は「自分は歌いたくない」と「他人にも歌うなと言う」というのは、分けて考えるでしょう。 >逆に「全く違うのだから、歌も違う歌に変えよう」という人がいたら、そういう人の意見もやはり「わかりません」か?同意は出来なくても、言っている意味はわかると思うのですが、どうでしょう? ・確かに一般論としては全くおっしゃるとおりです。私もそこまで否定しているつもりはありません。 質問が「天皇賛美の是非」に絞りすぎたことを反省しています。 趣旨としては、国歌についてどのような個人的考えをお持ちであっても、もちろん自由ですが、式典等で反対を主張する具体的な行動を取る公的立場の方々が一定数いらっしゃいますよね(かなり遠まわしな言い方ですが)。 公式行事で公的立場の方々が反対行動を取る以上、それなりの合理的な理由がないと、一般の方々からの理解が得られず、結果的に目的を達成できないのではないか、自分で自分の首を絞める結果となり逆効果なのではないかと単純に思うのです。 当然説得力のある理由があるはずで、それを一度お聞きしたいなとかねてより思っていました。ですので、「個人的な理由」というよりも正確には「行動する理由」を質問すればよかったかもしれないと反省しています。ご回答ありがとうございました。
- musashi024
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No12、15です。誤解されてるようなので補足を。 自分個人としては別にに共産主義でも何でもないですし、 現在の共産党にも何ら期待は出来ないとは思っています。 ただ、現行憲法もGHQの受け売りで実際に自分たちで 作り上げたものではないはず。 ですから当然、憲法改正や天皇制そのものの是非も 大いに問われる(続ける)べきであるとも思っております。 それでなくとも、行政の慢性的な後手場当たり主義は 何も国歌制定だけに始まったことではないでしょうし。 このたびの応答の中で、その根本にあるのでしょう そもそもが王だの天皇だのと言う発想が理解しかねるだけです。 偶像崇拝と同じく、染み付いた飼い犬根性なのかと疑いたくなります。 一部の鏡を見ない人種も勘違いの非難をされてるようですがw 一連の応答を見る限り、質問者さんは最初に答え在りきで、 設問されているように思われますが、それもまた同じく イデオロギーの押し付けではないでしょうか。。
お礼
>一連の応答を見る限り、質問者さんは最初に答え在りきで、設問されているように思われますが、それもまた同じくイデオロギーの押し付けではないでしょうか。。 ・既に慣習として多くの国民の間に十分定着し、法制化までされている国歌について肯定することが、イデオロギーの押し付けとは思っていません。ただ否定している方々のお考えがどうにも理解できないのです。 もちろん「人それぞれいろんな考え方がある」という一般的なオトナの理解の仕方もありますし、私も基本的にそうした理解をしています。 しかし、式典等でトラブルを起こすのはおおむね反対派の方々であり、「人それぞれ」ではすまないような気がするわけです。考え方自体は個人の自由であり「何となくイヤ」でもいいでしょうが、式典等でその主張を具現化するとなると、それなりの理由がなければ、ただの「非常識な人々」になってしまい、ご本人たちも不本意なのではないでしょうか。 トラブルが報道されるたびに「どうして君が代がだめなんだろう」と思っていました。今年もあと数ヶ月で同じことがまた報道されると思います。私は賛成派ですが、一度反対派の中で説得力のあるご意見(式典等でトラブルを起こすほどの理由など)をききたいなと思っていたのです。質問が「天皇賛美の是非」に絞りすぎたきらいがありますが、どうかご容赦ください。
- bascavil
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以前、イギリスの国家の歌詞を読んだことがあります。 たしか、「神よ、女王陛下をお守りください。女王陛下よ、末永く生きてください。女王陛下に勝利をお与えください。女王陛下よ、末永く私たちを統治してください。女王陛下に神の祝福あれ」という内容でした。 つまり、王室賛美しまくりの曲なんですよね。 でも、それが民主主義と矛盾するとは誰も考えません。イギリスの伝統の象徴である国王を称えることは、民主主義の伝統を称えるものですから。 王室のない共和制の国々の場合は、戦争賛美が多いですね。 イタリア国家はたしか、「敵の血潮を乗り越えて、進め我らが・・・」とか言う内容でしたし、フランスもそういう血なまぐさい歌です。アメリカ国家も戦争中に歌われた歌をそのまま採用していますね。 こう考えると、日本の「君が代」は血なまぐささはありませんね。 他国のように戦争賛美もありません。 じゃあ、なぜ反対する人がいるのか? それは無知と思い込みの強い無学の人がいるからです。こればっかりは仕方ないです。バカにつける薬はありませんから。
曲自体が問題です。あのみっともない旋律は何でしょうか。もっと世界的に誇れる気分を高揚させる曲を作りなおおせば問題ないでしょう。
- dai-no-ji
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日本人としてこれだけは知っておきたいこと 中西輝政 を読んでみて下さい 戦前、戦後、戦後二世、三世等の日本人の感情等が理解できると思います。 天皇についての記述もあります
- tiuhti
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ご質問を読む限りでは、「君が代は天皇賛美の歌だから歌わない」という意見は、一体何を問題と考えているのか、という事に読めます。もし、そうだとすれば、それは、文字通り「天皇を賛美しているから、天皇を賛美したくない人は、歌わない」それだけの事でしょう。質問者の方が、それに納得するかどうかは全く別の話で、そういう趣旨であれば、もう回答は締め切られた方がよいかと思います。 ただし、私の知る限りでは、「天皇賛美の歌だから歌わない」ではなく、「天皇の代が永遠に続いて欲しいという歌詞が、国民主権にそぐわないから」という主張の方が、反対派の中でも一般的だと思います。一時期、政府が「国民統合の象徴としての天皇を持つ日本の国民が、永遠に平和であってほしいという歌だ」(1984年3月24日参議院予算委員会での森文相)という、なにやらはっきりしないがとにかく「○○は永遠に続いて欲しい」の○○は、天皇ではなく国民に関連するもの、という解釈をしていたのも、そういう批判を意識しての事です。しかし、今の歌詞でも、元歌の「わがきみは…」でも、普通に読めば、君=好きな人orえらい人(可能性としては天皇も含む)としか解釈しようがありませんから、君=国民という解釈はさすがに無茶で、今は、君=象徴天皇、という解釈ですが…。 一方、回答者の方とのやりとりを見ていると、そういう個人的な考えではなく、「歌わなくてはならない」という、ルールなりマナーなりといった「きまり」に従わなくてよい、と考える根拠は何か、という風にも理解できますので、その線で考えると、誤解されている部分があるように思います。 >現在は法制化されていますよね。法制化された時点でもはや「押し付け」ではありません。あとは法改正の是非の話だと思います。 国旗国歌法の内容をご自身で確認して頂ければわかるように、この法律の成立をもって、「きまり」として国歌を歌ったり、国歌・国旗に対して敬意を払わなくてはならなくなった、という事にはなりません。この法律は、日本では、「日の丸が国旗であり、君が代が国歌である」と決めただけで、それ以外は、それまでと何の違いもありません。 元々、「国旗・国歌に対して敬意を払うのは当然である」という考え方の人から見れば、ひょっとしたら屁理屈に聞こえるかも知れませんが、時の首相自身がそのように国会で答弁しています。↓ http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/syuisyo/145/touh/t145027.htm 法律の解釈は、最終的には裁判所がするもので、首相の答弁は、突き詰めると一つの見解に過ぎませんが、法律の条文からすれば、この政府解釈を間違っているという人はいないと思います。実際、卒業式の君が代斉唱で起立しなかった教師に対する懲罰の正当性が裁判で争われていますが、懲罰の正当性を主張する側の根拠は、この法律ではなく、学習指導要領に象徴される、行政側の命令です。国旗・国歌法の議論では、「尊重義務も盛り込むべきではないか」という意見もありましたが、とにかく出来上がりは、そうなっていません。 >国旗国歌法制定のきっかけは、広島県立世羅高校で卒業式当日に、君が代反対派教師の圧力に対し校長が自殺してしまったことなのではないでしょうか…今度は別の理由で反対してきたのが実態なのではないでしょうか。 広島での校長の自殺が、国旗国歌法積極派に行動に移させた事はあったと思います。また、法案賛成派が、国旗・国歌法を作れば、反対派が反対しにくくなる、と思ったのもおそらくは事実でしょう。ただ、とにかく結果としては、法律になったのは、上に書いた通りの事だけです。また、「君が代には法的根拠がない」という反対派の意見があったとして、それは本当に「国旗・国歌として決まっていないから」という主張でしたか?国旗・国歌法の成立以前から、「君が代を歌わなければならない、という法的根拠が無い」というのが反対派の意見だったと思いますが?いずれにせよ、法的には上の政府答弁でもわかるように、成立前も成立後も、法的義務については、何も変わっていません。 君が代に賛成・反対は、人それぞれでしょうが、「ルールに従わない根拠は何か」という疑問であれば、そもそも、どういうルールがあるのか、を正しく認識される事が第一歩だと思います。 学習指導要領などの行政の命令と、教師の思想信条の自由の関係については、まさに今裁判になっているところであり、今のところ、質問者の方のような考え方(『教師である以上、命令に従って当然』)は、確定はしていません。確定すれば、仰るとおり、個人の信条は横に置いて、起立はしろ(しなければ処分を受ける事を覚悟しろ)という事になるでしょう。 スウェーデンとノルウェーは、立憲君主国ですが、国歌の歌詞は王室とは関係ありません。スペイン国歌は、歌詞自体がありません。「国王行進曲」という呼び名は、王室がいる場で演奏されるようになって、国民が勝手に名前をつけただけで、国王を褒め称えている訳ではありません。デンマーク(二つの国歌のうちの一つ)とオランダは、一応は、王室を褒め称えているといってもよいと思います。 ウェールズやスコットランド、北アイルランドで、イングランドに対して反感を持っている人の一部にとっては、Union Jackは侵略の過程を象徴する存在です。同意するかどうかは別にして、そういう感情を「面白い事」とバカにするのはどうかと思います。 >君が代に限らず、国歌斉唱時の起立は当然のマナーだからです。…私語厳禁、歩行中であっても国歌が流れてきたら国旗掲揚棒の方向を向いて不動の姿勢が万国共通のルールです。 W杯などのスポーツイベントで、選手が国歌を聞いているのを見ても、「不動の姿勢」が万国共通って思いますか?平気で体を揺すっている選手はいませんか?英国で国歌斉唱時に起立しなくても、特段大きな問題にはなりませんけど?(勿論、右翼の多いイングランドナショナルチームのサッカー試合でのスタジアムだったら話は別です) 国旗や国歌に対する拘りの強さは、国によってかなり違います。主要国の中では、米中韓は、かなり拘ります。ヨーロッパは、それ程熱心では無いです。アメリカでも、国旗を燃やす事を罰する事は、言論の自由の侵害として、憲法違反とされました。ドイツは、官庁を除くと国旗を掲揚する事は稀ですが、一応侮辱罪はあります。 国旗・国歌の扱い方は、国毎にそれぞれ独自の歴史を踏まえて、法制化するなり、慣習として行うなりしています。万国共通ルールは存在しないと思います。日本も独自にその扱い方を決めればよいと思います。ですから、他の国の「常識」を勝手に作る必要はありません。
お礼
詳細なご回答ありがとうございます。 >文字通り「天皇を賛美しているから、天皇を賛美したくない人は、歌わない」それだけの事でしょう。質問者の方が、それに納得するかどうかは全く別の話で、そういう趣旨であれば、もう回答は締め切られた方がよいかと思います。 ・もし反対派の方が、本当に法改正等をして新国歌を作りたいのであれば、現行国歌の問題点を広く国民に訴える必要があると思います。そのためには「それだけの事」だけでは説得力に欠ける気がします。 >「天皇の代が永遠に続いて欲しいという歌詞が、国民主権にそぐわないから」という主張の方が、反対派の中でも一般的だと思います。 ・こういうご回答をお待ちしていました。確かにこうしたご意見を聞いたことがあります。ただ、物分りの悪い私からすると「天皇の代が永遠に続いて欲しいという歌詞が、」という前段と「国民主権にそぐわないから」という後段がどうにもつながらないように思えてなりません。 「立憲君主制」というか「君臨すれども統治せず」というか、少なくとも現在では天皇は何の政治的な権能を有していないわけです。ですので、「そぐう」「そぐわない」というよりも、元々別個のものを比べているような気がしてなりません。
- sacristain
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「君が代」の「君」は単なる主君のことであって、天皇のことではありません。 天皇は「大君」ですから。 これって、結構誤解している人が多いようですね。
- Pantalaimon
- ベストアンサー率29% (20/68)
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」 (日本国憲法・第一条) ↑この”象徴”という言葉が曖昧というか、一読して意味をとりかねるところがあるのが、ひとつの問題なのかもしれませんね。 質問者さんのように「国の象徴だから賛美しなくては」と考える方もいらっしゃるでしょうし、「国の象徴に過ぎないから別に賛美しなくてもよい」と考える方もいらっしゃるのでしょう。 戦後の日本では思想・良心の自由が認められるようになって、これは天皇に対する考え方・とらえ方についても例外ではないと思います。 たとえば、象徴なんて曖昧な地位に置かず、もっと国家元首として明確な地位にすべきだという主張もあれば、京都におかえりになってひっそり暮らされればよいという主張もあります。 さて君が代の問題ですが、以上のように考えたとき、もし国歌でなければ(つまり世にあるひとつの歌にすぎなければ)天皇賛美の意味が込められていてもそれは好きな人が歌えばよいことですから、何の問題もないでしょう。 しかし国歌として定められた以上、実質的に国民に強制されるわけですから、「思想・良心の自由」との葛藤が生まれるわけです。
- musashi024
- ベストアンサー率19% (39/198)
No12の補足です。 法制化されているとしても、時の行政府が多数派に物を言わせ、 真に論議されることもなく便宜上、形式上だけで押し切ったと 解釈しています。 マスコミも政府も、天皇批判は徹底して避けているようにも 感じますが、最高裁の裁判官の是非を問うのと同じく 天皇制の是非も”定期的”に国民投票で決めてもらいたいものです。 それならば民主的であると認めざるをえませんが…。 ちなみに教育現場では天皇の戦争責任問題も論議されていません。 3国同盟で日本の(真の)指導者だけが責任を逃れています。 御輿でありお飾りであったと仰る方が多数かもしれませんが、 だからといって責任回避出来るとは思いません。 こういう考えもまた根底にあるので、なおさら国歌にも 抵抗が拭いきれません。立たないのはせめてもの主張とも 言えるのではないでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 >法制化されているとしても、時の行政府が多数派に物を言わせ、真に論議されることもなく便宜上、形式上だけで押し切ったと解釈しています。 ・よく聞く話ですが、これこそ「少数派の横暴」ではないでしょうか。自分が気に入らない内容だからといって、法律を否定するのはよくないと思います。「多数派に物を言わせ」というのも物のいいようであって、それだけ議員が少ない=国民の支持を得ていないだけのことです。 「真に論議されることもなく」というのも審議拒否をしている政党に限ってこのようなことを主張される傾向にあると思います。 >天皇制の是非も”定期的”に国民投票で決めてもらいたいものです。 ・現行憲法でその存在が確立されているものについて、国民投票をする必要は全くないと思います。あるとすれば憲法改正についての国民投票でしょう。最高裁判事の国民審査は憲法で定められているからするわけです。 >ちなみに教育現場では天皇の戦争責任問題も論議されていません。 ・教育現場というのはどのレベルなのでしょうか?大学以上であれば意義があるでしょうが、高校以下の教育現場において天皇の戦争責任を議論することは、それこそ教師によるイデオロギーの押し付けではないでしょうか。とっても危険なことだと思います。 >立たないのはせめてもの主張とも言えるのではないでしょうか? ・もし学校の式典での不起立のことをおっしゃっているのであれば、式典は教師の個人的考えを主張する場ではないので、少なくとも教師の不起立は許されないと思います。もっと別の場で主張されればよいと思います。
- maru-cyan2
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問題はありません。 問題があると言っている人は、天皇をゆくゆくは抹殺したいと考えています。表立っては言いませんけどね。少なくとも、王位をなくして共和制あるいは共産独裁主義、あるいは中国の一部にしたいと考えています。日本の国家を転覆させるための工作です。インテリジェンス(諜報部員)が世論操作を 地道 に 地道 に、数百年の目で続けています。 すぐに効果が現れなくても、天皇を崇める気持ちを少しでも弱められさえすれば、諜報部員が存在する価値があるのです。(日本を弱体化させたいと考えている国家にとっては。) そのために、あるようなないような理由をとってつけているのです。理由は後付けです。 余談: 下にある、「天皇は人間宣言によって人間になった」というのは間違いです。 天皇は「神の心をみ心として体現する」ことを一心に願っている方であり、昔も今も人間であることにかわりがありません。 むしろあの人間宣言は、それに続く五箇条の御誓文を示すことによって明治大帝の頃から立派な考えがあったことを示すのが目的でした。 少し調べてみるとこのあたりもわかると思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >下にある、「天皇は人間宣言によって人間になった」というのは間違いです。 ・一般に「人間宣言」と呼ばれているものは正式名称ではなく、正式には『昭和21年年頭の詔書』(新日本建設に関する詔書)のことですよね。 要は、「戦争で大変なことになったけれど、これから復興向けてに全国民で頑張りましょう!」というのが趣旨だと理解しています。実際読んでみても、おっしゃりたいことはこのようなことですから。 これを「人間宣言」としてしまうと、「朕は実は神ではなく、人間である!」というような記述があって、そこがメインのように思ってしまいます。でも、これは曲解です。 確かに「朕と汝ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。天皇をもって現御神とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。」 という部分があり、これをもって「人間宣言」と一般に称されているのでしょうが、全体を読んでみると、ここはメインではないことが分かります。 ま、この部分については、当質問の本題ではないので、これ以上述べることは避けたいと思います。ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >個人のイデオロギーの問題です。 ですよね。完全に個人のイデオロギーの問題ですよね。 毎年学校の卒業式や入学式でトラブルになりますので、どうして個人のイデオロギーを学校に持ち込むのかが理解できませんでした。もちろん実際に声に出して歌うかどうかは本人の自由でしょうが、起立は当然のマナーだと思います。