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万世一系はアマテラスからなら女系ではないか
- 神武カムヤマトイハレヒコからに限って男系の血筋を捉えるのでしょうか?
- 神武カムヤマトイハレヒコの父はアマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズであり、その血筋をたどればマサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミにまでさかのぼる。
- アマテラスがみなもとであるなら、万世一系は女系であるのではないか?
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文化人類学で、個人が出生と同時に組み込まれる、特定の祖先を共通にする集団を決定する原理を、「出自」という。出自は、単系とそれ以外(双系、選系など)に分かれる。単系には父系と母系がある。 次に、父系と男系は似ているが、違いがあるとすれば何だろうか。男系とは、「男子だけで継承していく家系」である。女系とは「女子だけで継承していく家系」である。何を継承するかというと、家督(受け継ぐべき家や家業、財産、地位など)である。 したがって、「男系でなければ女系」とは言えない。「一度でも女系で継承すると、それ以降男系で継承しても、もはや女系である」と考えるのは誤りである。単系のことばかり考えて、双系などの概念を踏まえていないではないか。 「万世一系」とは、(むろんフィクションだが、フィクションなりの定義としては)天皇の家督を、永久に一系が継承することである。一系とはひとつつながりの血筋であり、天皇については男系とされてきた。 日本神話の一つである「天孫降臨」神話によれば、「葦原の中つ国を治める」家督は、天照大神の命(めい)により、ニニギから始まっている。ニニギは天照大神の子のアメノオシホミミの子である。そして、 「アメノオシホミミ‐ニニギ‐ホオリ‐ウガヤフキアエズ‐神武天皇」 の代々は、すべて男(または男神)である。神話によれば、ウガヤフキアエズの息子が「天孫降臨から180万年ほども経ったのに、いまだ全土を統一していない」と言って、征服を成し遂げ、初代天皇として即位したことになっている。したがって、天皇の家督(日本統治の大権)はこのとき発生したわけである。 つまり、神話によれば、葦原の中つ国または日本を治めるという家業は、神勅または征服により発生し、その発生以来男子だけで継承されている。すなわち男系である。 前述したように万世一系はフィクションだが、明治憲法の第一条にも採用された。お雇い外国人のドイツ人法学者ロエスレルは、この明治憲法起草に深く関わったが、このような神話的文言(「漠然タル文字」)を憲法の首条に置くことに強く反対した。だが、伊藤博文らに容れられず、このフィクションはリーガル・フィクション(法的な作り事、擬制)に昇格してしまった。そして擬制といえば、学者や官僚どもが理論武装に怠りないわけで、「男系」うんぬんについても、ご質問者や私程度の知能では武装解除できない。 神話によれば、神代(神武天皇の前までの時代)は単性生殖などもあった。ご質問者はその神代までさかのぼって、女系うんぬんをおっしゃるわけだが、単性生殖に男系も女系もないだろう。また、天照大神の代(だい)にはまだ「葦原の中つ国または日本を治める」という家督が発生していない。 さて、回答文が長くなるが、もう少しだけ書く。ここまでの話は、私の説というわけではなく、昔の識者らが言ったことである。「神話によれば」も連発する羽目になった。 しかし、現代の我々は神話と歴史を区別する。私のように無学な者でも、社会学や人類学やフェミニズムなどを聞きかじることもある。 それらによれば、たとえ母系社会でも、実権は母系の男性集団が握っていることが多いそうだ。つまり、母系男権社会である。上野千鶴子も堀田力に説明してやっていた(堀田力の対談集で読んだ)。このように、「実権を持っていたのは誰か」に着目すべきだろう。 ご存知の通り、日本の歴史で天皇が実権を持っていた期間は短かった。武士の世になる以前、天皇の親族集団に話を限っても、上皇あるいは外戚(母方の親類)が実権を握っていた。また、雄略天皇(在位は5世紀後半)と継体天皇(在位は6世紀前半)との間で王朝は交代したという説が、有力である。さらに、王朝交代は複数回あったとも言われている。 つまり、天皇制は早々と形骸化して、実権を握る集団は変遷していったが、後者は前者を廃するのではなく、前者の権威を利用した。そのために、「万世一系の男系」というフィクションなどで形骸を美化した。このフィクションは、玉座を取り巻く狡猾な老人たち(有職故実に通じていた)によって念入りに彫琢された。 それに対し、このご質問のように、「天照大神は女神」というフィクションで「万世一系の男系」というフィクションを否定しようなんて、筋が悪すぎる。漱石が『文学論』の序で書いたように、「血を以て血を洗うが如き」手法ではないか。血は水でそそがねばなるまい。フィクションは事実で批判すべきだろう。
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上田正昭三の説はなるほど、おっしゃるとおりかもと思います。 > 神を寄せるというのは 神功皇后オキナガタラシヒメが初めておこなったとか。(古事記)。つまり その子が応神ホムダワケであり その河内ワケ政権です。 うーん、たしかにオキナガタラシヒメはシャーマン的でありますが 神道にはふたつの流れがあるように思えます。 一つは物部氏による神道。もうひとつは秦氏による神道。 もともと日本にあったのが、物部氏の神道で、これは神殿を持たない磐坐信仰などです。 ニギハヤヒを祀る磐船神社や大神神社にそれを見ることができます。 ニギハヤヒや大物主は、神殿はおろか拝殿を作ることについても最後まで抵抗したという伝説があります。 これは秦氏の神道を、物部氏の神道を信仰する人々が拒否したということでしょう。 大神神社はもともとは物部氏が三輪山をご神体として信仰していたのでしょうが 秦氏のオオタタネコが秦氏流の神道を持ちこみ、拝殿や三つ鳥居を建てたのだと思います。 本当は出雲大社のような社を建てたかったのだと思いますが 地元民の抵抗があって、やむなく拝殿と三つ鳥居のみをたてたと。 > 秦氏かどうか。この問題については 考えたことがありません。(どうであっても 大勢に影響しないと思います)。 天照大神が誰であるかをとくうえで、大事な問題だと思っていますが 回答者様がそう思って切り捨てるというならそれまでです。 それではこれにて失礼します。
お礼
ぎいおっぷさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ うーん、たしかにオキナガタラシヒメはシャーマン的でありますが ☆ これは 或る程度 記事として出て来ている内容であると見ています。 ▼ (古事記:仲哀天皇の段) その(仲哀タラシナカツヒコ天皇の)大后 オキナガタラシヒメのミコトは 当時(そのかみ) 神を帰(よ)せたまひき。 ★ もともと日本にあったのが、物部氏の神道で、これは神殿を持たない磐坐信仰などです。 ☆ もしモノノベ氏が ニギハヤヒであるとすれば 外からやって来ています。それでも 《もともと日本にあった》と見ておられるのですか? そしてわたしの姿勢としては 秦氏であろうが何氏であろうが たとえば鎮魂の儀式の中身が大事です。歴史的な位置づけをもふくめてです。 ● 参考 (上田正昭:鎮魂の原点) ~~~~~~~~~ 鎮魂の原初の姿をたずねあぐんで タマシヅメよりもタマフリの方が古いことに気づくようになった。たましいを鎮静ならしめる前提に タマフリがあったのだ。 (* フリは 振りつまり 振り起こす・奮い起すの意で 鎮静の 逆の意味のようです)。 〔* タマフリを含めた〕鎮魂の時と声とは 間(ま)である。その折りにたましいが充足され それを契機として つぎの段階への飛躍が用意される。 間はただのうつろなる時間と空間ではない。 実は生命の蓄積されるおりめなのだ。 (上田正昭:日本の原像――国つ神のいのち―― 1970) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ありがとうございました。
なるほど、天照が穀物神だというのは大嘗祭からくるとお考えなのですね。 神が複数の神格を持つことはめずらしくはありませんね。 >まづその前に応神ホムダワケが あふみ(近江)やこし(越前)に出向いて 言わばヤマトを搦め手から攻めるために 各地の勢力の懐柔にかかっています。そのあと 三輪イリ政権の仁徳オホサザキと交渉したという仮説です。イリ政権の人間は 人がよいから 相手の陣地にまで出向いて行ってやった。 なるほど、質問者さんの考えはわかりました。 近江や越前と大和政権の関係についてはまだじっくり考察していないので参考にさせていただきます。 > オホモノヌシが イクタマヨリヒメのところへいわゆる夜這いに行きます。たぶんこういうことは――そして そのとき かのオホタタネコが生まれているからには 重要な出来事であると考えられるにもかかわらず―― アマテラスにはいっさい関係がないと見られます。そういうはっきりとした違いがあるのではないでしょうか。 天照は大物主神と結婚した、倭迹迹日百襲姫命のことだと思います。 イクタマヨリヒメとは渡来人の秦氏の女性とみています。 というのは秦氏の氏神である松尾大社に、大物主神と全く同じ伝説(丹塗り矢伝説)が伝わっているからです。 オオタタネコの母親はご指摘のとおり、イクタマヨリヒメだと私も思います。 そして秦氏の中にオオ氏といいう氏族があるそうなので、オオタタネコは秦氏だと思います。 しかし、大物主神は前述したように物部王朝の神だと思っているので、母親が秦氏だと導いたわけです。 籠神社で見つかった最古の系図の中にこの倭迹迹日百襲姫命が登場しているのですが 始祖の彦火明命の9代目の孫を日女命といい、(ひめのみこと)」と出てきます。 そして日女命は「またの名を倭迹迹日百襲姫命」というと記されています。 日女命とは天照大神を思わせる名前です。 そして彦火明命とは、質問者さんは納得できないとおっしゃるけれども、多次元同時存在の法則 (4)神の分身は別名となって表現される。 (5)同じ名前の神は、同一神である。 を適用すると、物部氏の祖神といってもいい二ギハヤヒ=天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊と同一神ということになります。 彦・火・明・命(尊)が共通するので。 大物主命も倭迹迹日百襲姫命も物部王朝の人物であり、近親婚したということだと考えています。 記紀ではイザナギ・イザナミ、天照大神・スサノオ、アシナヅチ・テナヅチなど同腹の兄妹で結婚するという話がたくさんあります。 また、原始的な社会では血の純潔を重んじるために、近親婚は当たり前であったという説もあります。 > つまり オホクニヌシあたりのときに スクナヒコナとの絡みのところで すでにオホモノヌシを祀ることは出ていたような。 大国主命の前に光り輝く神があらわれて「私はあなたの幸玉・奇玉。私を祀るように」と言ったという話ですね。 それが大神神社であると。 神代の話は私は人皇代におこった出来事を、過去に投影して作った物語のように思えるのです。 というのは、同じような話が繰り返し出てくるからです。 例えば天照大神はスサノオを高天原から追放していますが その次に天照大神はスサノオの子孫である大国主に自分の孫に国を譲れといっている。 スサノオの血筋は永遠に天皇にはなれないというつくりになっている。 なので、大神神社の創祀は崇神天皇7年で、大国主が大神神社を祀ったというのは、それを神代に投影して創作した物語で、同じことを言っているかのように私には思えます。 > ヤマトでは三輪山つまりオホモノヌシは この上なくとうとい神であったと思われます。 神代の物語は人皇の代にあったことを投影した物語だとすると、大物主がこのうえなく尊い神となったのは崇神天皇7年以降ということになります。 また多次元同時存在の法則から、大物主=ニギハヤヒ=天照大神だったと考えられますので 大物主に対する信仰とは天照大神に対する信仰であったと言えると思います。 崇神天皇6年、疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87 より引用 崇神天皇6年の記事についてですが、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神とは天皇家の祖神として祀られていたのではないかと思うのですが ふつうであれば先祖の霊は自分を守護してくれるもの、と考えるのではないでしょうか。 崇神天皇はなぜ二神を畏れたのでしょうか。 それは彼がミマキイリヒコという名前のとおり、物部王朝の入り婿に入ったからではないでしょうか。 > モノノベ氏は 三輪山のふもとあたりに勢力を張っていたと思われますが 三輪イリ政権に就いていたのではないか。とも考えます。 それに 石上布留の神社にかかわるとすれば そういった魂振りをふくむ鎮魂の儀礼としては アマテラスには関係しないと思うのですが。伊勢神宮つまりその内宮は うんとあたらしい。はずです。 天照大神=ニギハヤヒであれば、魂振りの信仰は天照大神の信仰だといえます。 また伊勢神宮そのものは新しいですが、私は天照大神はずっと宮中で祀られていたと考えます。 >男神なるアマテラスの娘を娶ればよいではないですか。 有力氏族が天皇家の皇女を娶ったケースはたくさんありますが それらの氏族の男たちは一人も天皇になっていないですよね。 >ニギハヤヒが アマツ神であることを言っているまでだと思うのですが。 私は天照国照彦という名前はあまりに天照大神という名前に似ていると思いますが。 またニギハヤヒは猿田彦神と同一神と考えます。 猿田彦神は高天原から葦原中國までを照らす神と記述があります。 これを名前にすると天照国照彦となります。 そして猿田彦の故郷は伊勢であるとニニギが発言しています。 伊勢には伊勢神宮があります。 よって、ニギハヤヒ=猿田彦=天照大神 とこう考えたわけです。 >このときアマテラスは もともと男神であったから 神武イハレヒコをさらにさかのぼっても つねに男系の一系である。――こういう回答であるということになりましょうか。 いえ、天照大神はもともとは男神であったが、神武=崇神=応神の代に天照大神は女神となっています。 神武=崇神=応神は天皇家の人間なので、天皇家が天照大神の子孫だというのは女系の相続だということになると思います。 応神天皇の母・神宮皇后は大正時代までは天皇として数えられていたそうですが、ここで女系の相続となったとみなします。 倭迹迹日百襲姫命と神宮皇后は同一人物ではないでしょうか。 女帝の存在をもって、女系であるという意見がありましたが、それは違うと思います。 女帝は確かに存在していましたが、男系で相続するための中継ぎです。 元正・孝謙(称徳)女帝などは独身で即位して、結婚は許されませんでした。 ふたりの女帝の結婚が許されなかったのは、男系で相続するためだと考えられます。 ただ、すでに述べたように、神宮皇后→応神天皇のところはかなりあやしいです。 応神天皇は武内宿祢の子だという説もありますね。 > そうだとしても ひとこと余計なことをつけ加えるなら だとしたら兄アマテラスの弟であるスサノヲの血筋も まったく同じく天皇家と一系である。こうなると見られます たしかに、天皇家にはスサノオの血は流れていると思います。 しかし、スサノオとスセリヒメの間に生まれた神子の血筋をスサノオの系統であると考えて記紀は記されているように思えます。 オシホミミは天照の子でまちがいないですね。 > そして その父親は 誰か? となります。それによって 場合によれば女系である可能性も出て来る。つまり 父親が誰か分からない場合です。 ホシホミミの父親はスサノオでしょう。 私にはうけいの子産みの描写は古代式のラブシーン描写のように思えてなりません。 ですから天皇家にはスサノオの血は流れているといえるでしょう。 しかし本来は天照大神を女神としたので、スサノオの子孫は天照大神を襲名できなくなった。 >もし結婚をしたりするのなら おそらくひとりの人物であると見なされるのではないかと思うのです。 すいません、これはちょっとおっしゃっている意味がわかりません。
お礼
ぎいおっぷさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 ★ 天照は大物主神と結婚した、倭迹迹日百襲姫命のことだと思います。 ☆ ヤマトトトヒモモソヒメとイクタマヨリヒメとは 開かれるかたちの飛躍(ト〔リ〕トビ:鳥飛び)と内にこもる憑依(タマ‐ヨリ)との両方の言い伝えを示しているだろうというのは 上田正昭です。 ヨリ(寄り):何ものにも寄り憑くアニミズム・シャーマニズム イリ(入り):世界へのイリ。時間(生と死)的存在の自覚。歴史知性の誕生。 ヨセ(寄せ):イリ歴史知性の上をアマガケリ・アマアガリする超知性。 ヨリなる原始心性をもイリ歴史知性をも上から・二階から束ね寄せるマツリゴト。 神を寄せるというのは 神功皇后オキナガタラシヒメが初めておこなったとか。(古事記)。つまり その子が応神ホムダワケであり その河内ワケ政権です。 といった史観によれば モモソヒメやイクタマヨリヒメの段階では アマテラス――つまり アマアガリないしヨセなる超歴史知性――とは つながらないという見方になります。 ★ しかし、大物主神は前述したように物部王朝の神だと思っているので、母親が秦氏だと導いたわけです。 ☆ そもそもモノノベ氏の《王朝》という見方にわたしは馴染んでいません。崇神ミマキイリヒコイニヱ以前に ナガスネビコとともにムラオサとして指導層を形成したかも分かりませんが オホモノヌシは イリ歴史知性の誕生にかかわっていると見ます。三輪イリ政権です。 秦氏かどうか。この問題については 考えたことがありません。(どうであっても 大勢に影響しないと思います)。 崇神イリヒコは 約300年ごろです。その前は 中国の史書にしたがうならば 邪馬台国の興った三世紀です。鬼道を ヨリなる原始心性に当てています。 イリ歴史知性の上を行くスーパー歴史知性は 河内ワケ政権です。 ★ 多次元同時存在の法則 ☆ は 歴史の流れをどう捉えているか これが分かりづらいと感じます。神や人物や家系の比定という作業であると思いますが その結果 どういうことが歴史の全体像として言えるのか? そういった――むしろ露骨に価値判断をしているということなのですが――見方を提出していただくと 分かりやすいのではないかと考えます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~ 神代の話は私は人皇代におこった出来事を、過去に投影して作った物語のように思えるのです。 というのは、同じような話が繰り返し出てくるからです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ そうなのですが・それに たとえば神武東征には 応神の東上のことが反映しているとわたし自身見ていますが けれども オホモノヌシをめぐっては けっこう人間との区別が成されているのではないかと見ています。三輪山の神であることは ふるいのであって もともとの神であると考えられるのです。それにさからう反証はすくないと思います。 イリヒコの時代に 大神神社が成ったと仮りにしても その前のヨリ原始心性の時代から 三輪山は 人びとにとって神であった。こういう見方のほうが 妥当であると考えます。 ★ 大物主に対する信仰とは天照大神に対する信仰であったと言えると思います。 ☆ 毛色が違う。こう考えます。アマテラスは 弟のスサノヲが 暇乞いにやって来たと聞いたとき スサノヲはアマテラスのおさめるタカマノハラを奪おうとしてやって来るのだとうたがい 武装してかまえています。このエピソードに見られる性格が オホモノヌシとすんなり合うとは わたしには金輪際 考えられません。 ★ 崇神天皇6年、疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した。 ☆ これが 神代と人代との見比べではないとしても 後代の出来事が この崇神イリヒコの時代に――なぜなら 初国知らししすめらみことであるからですが――投影されている典型である。こう捉えます。 伊勢神宮つまりその内宮がうんぬんされる時代に成ってはじめて アマテラスは――ヨセなるスーパー歴史知性として――河内ワケ政権の系譜の人びとにとっての主神と成った。こういうふうに捉えます。当たらずと言えども遠からずだと思っています。 その後の記事が すくない。アマテラスについてです。それが 理由です。 ★ 私は天照国照彦という名前はあまりに天照大神という名前に似ていると思いますが。 ☆ もしそうなら 日本書紀のほうで 《一書》の情報としてしっかりと出て来ると思われます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ またニギハヤヒは猿田彦神と同一神と考えます。 猿田彦神は高天原から葦原中國までを照らす神と記述があります。 これを名前にすると天照国照彦となります。 そして猿田彦の故郷は伊勢であるとニニギが発言しています。 伊勢には伊勢神宮があります。 よって、ニギハヤヒ=猿田彦=天照大神 とこう考えたわけです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 変な応答だと聞こえるかも知れませんが まじめに言って この視点この情報は 歴史の大勢に影響を与えない。こういう見方をするという意味において〔も〕 まだうべなうわけには行きません。 ★ スサノオの血筋は永遠に天皇にはなれないというつくりになっている。 ☆ ですから ほかの回答でのやり取りでも触れたことですが もしどこかの国が 《あの島々については 永遠にヨソの民族が所有主にはなれないのだ。そういうつくりになっている》と宣言したら すべて世界は そう成ってしまうのでしょうか? ★ 倭迹迹日百襲姫命と神宮皇后は同一人物ではないでしょうか。 ☆ 時代が違うのでは? ★ ~~~~~~~~~~~~~ いえ、天照大神はもともとは男神であったが、神武=崇神=応神の代に天照大神は女神となっています。 神武=崇神=応神は天皇家の人間なので、天皇家が天照大神の子孫だというのは女系の相続だということになると思います。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 女系なのですね? そして ★ たしかに、天皇家にはスサノオの血は流れていると思います。 ☆☆(No.7お礼欄) ~~~~~~~~~~~ ★ 神の分身 ☆ も もし結婚をしたりするのなら おそらくひとりの人物であると見なされるのではないかと思うのです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは 本体と分身との関係ではなくなり それぞれが ひとりの人物であるとして見なされるのではないかという意味です。
- Ganymede
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[修正のお知らせ] 読み返しているうちに、表現の不備が見つかりました。 「その発生以来男子だけで継承されている。すなわち男系である。」 を 「その発生以来男子に継承されてきた。女子に継承された場合もあるが、そのあと男系の男子に継承された。男系の男子とは、その男子の父、父の父、……と男のみをさかのぼれば、いずれかの天皇に行き当たるということである。」 に修正します。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ ・・・男系の男子とは、その男子の父、父の父、……と男のみをさかのぼれば、いずれかの天皇に行き当たるということである。」 ☆ この文をお借りして 次のように質問を説明することにします。 ○ ・・・男系の一系とは、その天皇およびその祖先の 父、そして父の父というようにして男の血筋をひとつの系譜としてさかのぼって行くことが出来て ついにはその家系のみなもとにまでたどり着くことが出来る。ということである。 そのとき アマテラスにまでたどり着く。ということは アマテラスがおんなであるからには どういうことか? どう捉えるのが 妥当な理解になるか? です。
補足
おぎないます。 ▼(新田均:女系天皇論への批判) ~~~~~~~~ http://nittablog.exblog.jp/18436825/ 天照大神もスサノオノミコトも一代遡ればイザナミ(* イザナキ)ノミコトの子ですから、同一の男性神に行きつきます。 偏狭な「直系」(* 親子関係主義)信仰を捨てて、ひろやかな「男系」で俯瞰すれば、天照大神も、スサノオノミコトも、オシホミミノミコトも、同一の男系の血統に属するわけです。 したがって、無理やりオシホミミノミコトを天照大神が生んだという物語の筋にする必要はないわけです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ アマテラスとスサノヲとは とうぜんのことですが 同じひとつの血筋であると言っています。 オシホミミ〔の筋の神武イハレヒコ以降の天皇家〕は まぎれもなくスサノヲの血筋であり その天皇家が万世一系の統治者となるのは アマテラスの神勅による。――どうもこう言っているようです。
- tyr134
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天照大神が「男性神」だったら解決ですかね。 いえいえ,私の妄想ではなくて実際に「天照大神男性神説」という説が在るんですよ。 以下,その説の根拠とされるものを箇条書きにしてみます。 ・天照大神は太陽神なので本来は男神でなければなりません。 日本の神話では,陰陽二元論を採っており,伊邪那岐を「陽神(をかみ)」,伊佐那海を「陰神(めかみ)」と呼んでいます。 男は陽で女は陰であり,陽は太陽で,陰は月であるから,天照大神は太陽神であり本来男であると。 また月読尊は陰神であり,本来女でなければなりません。 ・平安後期に大江匡房が記した『江家次第(ごうけしだい)』の記述のなかに、「天照大神の装束一式」が「男性の装束」であると記しています。 ・江戸時代には荻生徂徠・山片蟠桃などが天照大神男神論を主張していました。 ・天照大神を祀る神社には,男神として祀っているところもある。 奈良県の「他田坐天照御魂神社」,「鏡作坐天照御魂神社」,兵庫県竜野市の「粒坐天照神社」,京都府の「木嶋坐天照御魂神社」など 以上,天照大神男性神説でした。 では,何故いま女性神説の方が有力かというと,日本正史の根拠である『古事記』『日本書紀』の中ではどうやら「女性神」っぽいと思われる記述が散見されるからです。 「っぽい」とボカしてる通り,はっきりと「女性神だ」と書かれてるわけではないんですけど。 また,『記紀』は極めて政治色の強い書であり,その成立過程で何らかの理由で天照大神を女神に仕立てあげたというわけです。 とはいえ,今のところ,天照大神が「男神」であるか「女神」であるかは不明と言わざるを得ません。 参考になれば幸いです。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 天照大神が「男性神」だったら解決ですかね。 ☆ この説は ぎいおっぷさんが提出されています。(回答No.3&6&7) それなりに《解決》すると思います。と言っても けっきょくその兄であるアマテラスの弟のスサノヲ このスサノヲの血筋も まったくアマテラスの家筋と同じだということになるかと考えます。つまり 国民のみなが 互いに同じ血筋であると考えられます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ いえいえ,私の妄想ではなくて実際に「天照大神男性神説」という説が在るんですよ。 以下,その説の根拠とされるものを箇条書きにしてみます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ さて ★ 日本の神話では,陰陽二元論を採っており,伊邪那岐を「陽神(をかみ)」,伊佐那海を「陰神(めかみ)」と呼んでいます。 ☆ これは どうでしょう。どうも中国のにおいがして来ますが 偏見でしょうか。 男神(をがみ)・女神(めがみ)というふうに書くし 認識しているのではないでしょうか。 おそらく 《もののあはれを知る》というその素朴な知覚の段階において 《二元論》はないものと理解しています。《陰陽》は ただ男女をいうだけだとすればあり得ましょうが。 ですから ★ ・天照大神は太陽神なので本来は男神でなければなりません。 ☆ についても 自然な解釈としては 《身を隠す》ことはないとしても 《独り神に成る》という場合もあるのではないでしょうか。日の神であるだけではなく ゆくゆくは 穀霊にも アマテラスは成ると思われます。男神である必然性は 必ずしもないとも見られます。 ★ ・平安後期に大江匡房が記した『江家次第(ごうけしだい)』の記述のなかに、「天照大神の装束一式」が「男性の装束」であると記しています。 ☆ とお聞きするなら 例のスサノヲが アマテラスのところへ 暇乞いにやって来るというとき アマテラスは 武具をたずさえ武装し 男装したとしるされていますね。それをくつがえす反論が待たれると考えます。 ★ ・天照大神を祀る神社には,男神として祀っているところもある。 ☆ 《正史》の問題と言いますか その場合にもいろんな異説をかかげてもいるでしょうが 全体としての整合性をもったアマテラス論がやはり俟たれます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ ・・・どうやら「女性神」っぽいと思われる記述が散見されるからです。 「っぽい」とボカしてる通り,はっきりと「女性神だ」と書かれてるわけではないんですけど。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ たとえば 次のくだりは 女の髪型から 男の髪型に変えたと言っているのではないかと思います。 ▲ (古事記:スサノヲの昇天) すなはち〔アマテラスは〕御髪を解かし 御みづらに纏(ま)かして ▼ (大野・古語辞典) ~~~~~~~~~~~~~~ みづら【角髪・角子】 上代 男子の成年に達した者が髪を頭上中央から左右に分け それぞれ束ねて両耳の辺りにわがねたもの。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ○ ヰキぺ:角髪 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E9%AB%AA ★ 今のところ,天照大神が「男神」であるか「女神」であるかは不明と言わざるを得ません。 ☆ 《不明》というふうにあきらかであるとは思えません。通念としてでも この万世一系の規定にかかわっているなら それを一たんはっきりとさせることは 大事ではないかと考えます。神武イハレヒコのところで 血筋を切ってしまうことは いかに天皇への即位があるか無いかで分かれると言っても 不自然でしょう。なにせ 血筋が 男系か女系かの議論ではあらそわれているのですから。 そして 仮りに男女の性が アマテラスについて不明であったとしても けっきょくいまの問いの結論は 選択肢ごとに明確に出て来ます。 ・ アマテラスが 女であって その子オシホミミの父親が分からない場合。このときには 女系が アマテラスひとりについては 決まる。 ・ 男であるなら 男系の一系である。ただし 弟のスサノヲの家系も 同じく天皇氏の血筋であるとなる。
- kamobedanjoh
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天皇家の大祖先神として,アマテラスが伊勢に祭られていることは間違いなさそうです。 男性一系を取り決めたのは明治憲法下でした。古代に遡れば,女帝は何人も居て,重祚した場合さえ有ります。過去をたぐれば,存命中退位するのが常識的時代もありました。 明治政府は馬鹿な皇室典範を作りました。どんなに老体化しても死ぬまで退位を認めないのですから,これではまるきし終身刑,おまけに国民には食事時の下血ニュース。 頭脳革命の出来ない政治家や官僚は,自らの老化にも制度の老化にも気がつかないで,明治時代の頭が切り換えられないようです。 自分的には,天皇制は遠からず廃止される方向にあるものと考えますが,さし当たっては長子相続による女帝の復活を制度化すべきではと・・・・・。 記紀の記述は如何様にも解釈できますが,これらに記載された婚姻説話の実態は,他部族への侵略征服と人質的婚姻ではなかったでしょうか? アマテラスとスサノウは赤の他人ながら,一定の契約の下に成立した義姉妹関係。それが破綻を来したりまた同盟したり,そんな関係かと推測するのですが。
お礼
ご回答をありがとうございます。 なるほど。いくつかの推理を紹介してもらいました。 ★ アマテラスとスサノウは赤の他人ながら,一定の契約の下に成立した義姉妹関係。それが破綻を来したりまた同盟したり,そんな関係かと推測するのですが。 ☆ これなどは――すでにちらっと ぎいおっぷさんとのやり取りで触れましたが―― たとえば筑紫からのぼって来た応神ホムダワケと ヤマト・三輪のイリ政権との交流・交渉のときにおこなわれたような感じを持ちます。 アマテラスが女でありますから 応神ホムダワケの母親の〔神功皇后=〕オキナガタラシヒメに当たるかとも思われます。 三輪の側は 油断していたら イチノヘノオシハが 雄略ワカタケルに暗殺されてしまいました。 あたっているかとうか分かりませんが いろいろあるようです。 ただし このいまの質問での問いは 微妙に違ってもいます。むろんご承知のうえでしょうから ★ 記紀の記述は如何様にも解釈できますが,これらに記載された婚姻説話の実態は,他部族への侵略征服と人質的婚姻ではなかったでしょうか? ☆ といった回答を用意されています。 つまり この場合は ★ 記紀の記述は如何様にも解釈できますが, ☆ になるかと思います。 つまり ・ アマテラスが みなもとである。そのとき 夫が分からない場合をも選択肢に入る。その場合は 女系を容れている。 ・ オシホミミの父親が スサノヲである場合は イザナキ――スサノヲ――・・・の血筋の男系一系になる。 そうですね。 ★ 自分的には,天皇制は遠からず廃止される方向にあるものと考えますが,さし当たっては長子相続による女帝の復活を制度化すべきではと・・・・・。 ☆ もう要らない。つまり 制度がなくても 国民は しっかりとした生活のあゆみを踏み出してゆけるのだと。こういう方向を打ち出しておられます。 質問者の心つもりとしましては 男系か女系かをめぐって 万世一系をきちんと規定しておけば 将来に向けてあかるく処理して行けるのではないか。にあります。 どっちみち 女系を容れているか あるいは むしろスサノヲの男系一系だということにでもなれば けっきょく国民のみなが 天皇氏と同じ血筋であるとなるのですから 自由な未来へと開けるのではないかと考えています。
3,6です。 >女神にしてしまえば ウケヒにかんするかぎりオシホミミは スサノヲの子となっていますから http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%B5%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%81%AE%E8%AA%93%E7%B4%84 上記には次のように書いてあります。 天照大神が建速須佐之男命の持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の三柱の女神(宗像三女神)が生まれた。この女神は宗像大社に祀られている 多紀理毘売命 - 別名:奥津島比売命(おきつしまひめ)。沖つ宮に祀られる。 市寸島比売命 - 別名:狭依毘売命(さよりびめ)。中つ宮に祀られる。 多岐都比売命 - 辺つ宮に祀られる。 次に、建速須佐之男命が、天照大神の「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の五柱の男神が生まれた[4]。 左のみづらに巻いている玉から 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命 右のみづらに巻いている玉から天之菩卑能命 かづらに巻いている玉から天津日子根命 左手に巻いている玉から活津日子根命 右手に巻いている玉から熊野久須毘命 これにより建速須佐之男命は「我が心清く明し。故れ、我が生める子は、手弱女を得つ。」と勝利を宣言した。 古事記では天照大神(アマテラス)は、後に生まれた男神は自分の物から生まれたから自分の子として引き取り、先に生まれた女神は建速須佐之男命(スサノヲ)の物から生まれたから彼の子だと宣言した。建速須佐之男命は自分の心が潔白だから私の子は優しい女神だったといい、天照大神は彼を許した つまり、スサノオの子は宗像三女神、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命はアマテラスの子です。 まあ一般的には男と女がいないと子供は生まれないので、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命は天照大神の子であると同時に スサノオの子だということになりますが 神の世界では神の分身のことを子ということがあるとする説があります。 そんな説は納得できないといわれればそれまでですが。 宗像三女神はスサノオの分身、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命など5柱の神は天照大神の分身だと考えられるかもしれませんね。
お礼
つづいてのご回答をありがとうございます。 ▲ (古事記:うけひの段) ~~~~~~~~~ http://homepage1.nifty.com/o-mino/page285.html 於是天照大御神。告速須佐之男命。 是後所生五柱男子者。物實。因我物所成。故自吾子也。 先所生之三柱女子者。物實因汝物所成。故乃汝子也。 如此詔別也。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ つまり 《五柱の男子》のひとりであるオシホミミが アマテラスみづからが自分の子であると言っている。 そして その父親は 誰か? となります。それによって 場合によれば女系である可能性も出て来る。つまり 父親が誰か分からない場合です。 ★ 神の分身 ☆ も もし結婚をしたりするのなら おそらくひとりの人物であると見なされるのではないかと思うのです。 ★ 多次元同時存在の法則 ☆ これについて触れ得ませんでした。その結果に留意していますが まだ――No.6でお応えしましたように――飲み込み得ていません。
3です。 お礼をありがとうございました。 ニギハヤヒが本当の天照大神である、とする説は、(あ)~(け)まであげていただいたような文献から引き出されたものではないんです。 籠神社の宮司・海部光彦さんが、海部家に伝わっていた神話を読み解く秘伝として 「多次元同時存在の法則」というのを唱えておられます。 http://plaza.rakuten.co.jp/kotoha/7008/ 多次元同時存在の法則」 (1)神様に適用されるものである。原則として、実在の人間には適用できない。 (2)神の世界ゆえ、時間と空間を超越する。 (3)神は分身をつくることがある。 (4)神の分身は別名となって表現される。 (5)同じ名前の神は、同一神である。 この(4)(5)から導き出されたものです。 >★ 天照大神とは本来は物部王朝の神だったということになります。 ☆ というのは まだ早いように思います。 はい。おっしゃるとおりです。 ただ、仮説をたてて、こうならばこうなる、と考えるのもひとつの方法かと思います。 その仮説でどこまで説明できるか、ですね。 > それは 神武イハレヒコが 草香(日下)で ナガスネビコと戦って敗れたとき 《吾は 日の神の御子として 日に向かひて戦ふこと良くあらず。・・・》(古事記)と神武の兄のイツセが言っていますから 《日の神=アマテラス》は 神武イハレヒコ側の神であったと考えられます。 朝鮮の神話だったと思いますが、たくさんの太陽が出て熱くなりすぎたので、弓矢で射落とした、というようなのがあったと思います。 政権ごとにひとつの日の神があったという事だと思います。 >ギハヤヒ・・・天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 大物主神・・・・大物主櫛甕玉 神名に同じ櫛と玉の文字を持っていることから、ニギハヤヒと大物主神は同一神ではないかという説があります。 ☆ これも 申し訳ないですがまだ飲めません。 うえにあげました、多次元同時存在の法則を適用するとこうなるということです。 >つまりあるいは もし同一神であったとしても オホモノヌシなる神でもあるニギハヤヒが アマテラスなる神であったという見方は まだ定まらないのではないかと考えます。 多次元同時存在の法則にしたがえばそうなる、ということです。 >もしおっしゃるようにモノノベ氏の神が 三輪山のオホモノヌシであるならば これは 事物としては ヘビですし 蛇は古来、脱皮することにより死と再生を 体現する神なので、沈んでは昇る太陽を神格化したものだとする説があります。 >思想としては ヒトコトヌシと同じく――つまり モノはコトである( e = mc^2 )というところから これらの神どうしは 同じひとつの神であると見なして―― いわば《生命の木》であると捉えられるような特徴を持つと考えるからです。 なるほど、モノはコトであるので、大物主神と一言主大神は同じだというのは気がつきませんでした。 一言主大神を祀る一言主神社にはご神木のイチョウの木があります。 で、冬至のころになると「一陽来復のお守り」を授与しています。 つまり、イチョウとは一陽の木、太陽の木なんですね。 これはユダヤ神秘主義がいうところの生命の樹と同一のものだと考えてもいいですね。 すると大物主神もまた太陽神であったと。 しかし、記紀には大物主神は昼は姿を現さず、夜になると現れる神だと記述があります。 つまり大物主神は星の神なんでしょう。 ところが、ご存じのように、記紀には星の神は天津甕星しか登場しません。 しかも天津甕星はアマテラスの芦原中国平定に最後まで抵抗した神であると記されています。 そのため、星の神は抹殺された、とも言われています。 私は大物主はもともとは太陽神であったのに、政権を奪われて星の神になったのではないかと思っていますが そういえば天皇という言葉もおかしいですねえ? 天皇とは北極星の神のことです。 それなのに、天皇家の祖神は太陽神であるとは。 これは今のところどう説明してよいのかわかりません。 >日の神であるアマテラスが 生命の木に喩えられてもおかしくないとは思いますが たぶん筋が違っているようにも考えられます。抽象度の高い《いのち》と そしてゆくゆくは穀霊に当てられるアマテラスとは 筋が違うように感じます。 ゆくゆくは穀霊に充てられるアマテラスというのがよくわかりません。 記紀にそうと書いてありましたでしょうか? >神武の皇后となったのは、大物主神の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命でした。 ニギハヤヒ=大物主神は物部王朝の王であり、神武は大物主の娘を皇后としている。 これは神武は物部王朝に婿入りしたということを、記紀は言いたいのではないでしょうか。 ☆ これは 神武イハレヒコの政権の前に イヅモか何かの系統の政権があったことを語るまでだと まづ思います。まだ そこまでだと考えます。 そういう考え方もあるとは思います。 >つまり、畿内には物部王朝があり、九州から東征して畿内にやってきた勢力があった。 九州からやってきた勢力は物部王朝を滅ぼすのではなく、婿入りすることで、政権を掌握した。 ☆ この場合の・つまり神武東征の話は――わたしの推測ですが―― 応神ホムダワケが半島か筑紫から確かにヤマトにのぼってきたそのときの婚姻政策が反映しているのではないかと思います。崇神ミマキイリヒコイニヱの三輪イリ政権が すでにあった。そこと 応神ホムダワケなる勢力は 融和政策を採って 土着化しようとした。のだと。 うーん、どうでしょうかね? 神武天皇と崇神天皇は和風諡号が同じなので、同一神 また、神武東征ルートと応神天皇の畿内入りルートが同じなので同一神とする説があって 私はそれを支持していましたが。 > ★ これは、征服した土地の民を支配するためにもなかなかいい方法のように思えます。 ☆ じっさいには 仁徳オホサザキのときにこの政略結婚は成ったと見ます。つまり仁徳オホサザキを 記事にさからって三輪イリ政権側の人間だったと仮定しています。仁徳オホサザキは 応神ホムダワケの河内ワケ政権の地すなわち河内にまでわざわざ出向いてそこで政務をおこなったのではないかと。人がよい。 仁徳天皇についてはまだじっくりと考えたことがなくて。 政略結婚がこのときなったというのは仁徳が河内まで出向いて政務をおこなっているからということですか? > ★ 征服した土地の民は天照大神を信仰していたのではないでしょうか。 ☆ これは 違うと思います。アマテラスないしアマテルなる神を持ち得ていたでしょうが 主神は オホモノヌシ=ヒトコトヌシだと考えられ 私はこの大物主=一言主が太陽神・天照大神だったと考えています。 > いちどこのアマテラスを祀るのを 三輪山の大神神社から断わられていますね。けっきょく 摂社の檜原神社にもまつることになりましたが それでもけっきょくは伊勢の地にそのところを得たことになります。 天照大神は大神神社で祀られていたのではなく、宮中で祀られていたのでは? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87#.E7.95.A5.E6.AD.B4 崇神天皇6年のところ。 その後、崇神天皇7年に大物主の子、オオタタネコに大物主を祀らせたのが大神神社では。 > ★ 本来男神であった天照大神を女神にしてしま ☆ う必要や 必然性は どこにあるとお考えでしょうか? ※天照大神は物部王朝の神であり、天照大神の血筋でなければ王になれなかったのではないか、と考えたのです。 神武は日の神であったかもしれませんが、物部王朝の天照大神ではなかった。 そこで神武の妻の物部王朝の女を天照大神とした。 すると神武の子孫は天照大神の子孫だと名乗れます。 神武は男なので、男と結婚できないということです。 >女から男に替えたあとは そのもとの姿としての男神であることは いっさいの痕跡を残さないようにしたということでしょうか? いや、痕跡は残っています。記紀に残っていないだけです。 記紀では単にニギハヤヒと神名を変えましたが、先代旧事本紀には天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊という名前が残ってしまったと考えられます。 また天照大神は男神だという伝説が残っている神社もあるようです。 >女神にしてしまえば ウケヒにかんするかぎりオシホミミは スサノヲの子となっていますから 男系を言うならもとの男神であったほうがよいでしょう。女神に替えられたのなら 男系の一系は けっきょくスサノヲの血筋であるとなります。 これは上の※の部分で説明になっていますでしょうか。 私の考えではスサノオは物部王朝の男子です。天照大神を物部王朝の女性とするとそうなります。 本来ならばスサノオが天照大神を襲名(言葉が適当でないかもですが)するはずだったのですが、姉が襲名してしまった。 スサノオの姉が天照大神になり、神武と結婚したので、神武の血筋が天照大神の子孫となった。 みたいなところですかね~。すいません、説明へたで。 返事を読みまして、神話というのはいろいろなとらえ方ができてしまうので難しいと思いました。 まあ、こんな風に考えてる人もいるんや、ぐらいでお願いします。
お礼
ぎいおっぷさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ ゆくゆくは穀霊に充てられるアマテラスというのがよくわかりません。 ☆ 大嘗祭のときに あたらしい天皇は この穀霊と添い寝するのだと理解していました。その霊が アマテラスなる神の霊だというのは わたしの解釈であったかも知れません。でも 関係しないわけはないと思います。 ▼ (kotobank > 大嘗祭とは) ~~~~~~~~~~~~ http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%98%97%E7%A5%AD § 世界大百科事典内の大嘗祭の言及 【天皇】より ・・・〔ムラムラの〕首長の主宰する共同体の農耕儀礼,穀霊・祖霊に対する祭りも,天皇の即位儀礼としての大嘗祭をはじめとする祭祀,宮廷の年中行事に吸収されたのである。・・・ 【天孫降臨神話】より ・・・この〈神聖な〉由来をもって,以後代々の〈日の御子〉による葦原中国の統治は,絶対おかすべからざるものとなったとされる。 この話が王の即位儀礼大嘗(だいじよう)祭を鋳型としていることはたしかである。儀礼用の殿舎大嘗宮内での秘儀は,あたかも新王が高天原でアマテラスの子として誕生するドラマのごとく演じられたようである。… ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★ 政略結婚がこのときなったというのは仁徳が河内まで出向いて政務をおこなっているからということですか? ☆ まづその前に応神ホムダワケが あふみ(近江)やこし(越前)に出向いて 言わばヤマトを搦め手から攻めるために 各地の勢力の懐柔にかかっています。そのあと 三輪イリ政権の仁徳オホサザキと交渉したという仮説です。イリ政権の人間は 人がよいから 相手の陣地にまで出向いて行ってやった。 ★ 天照大神は大神神社で祀られていたのではなく、宮中で祀られていたのでは? ☆ 記事はそうなっていますが 初めから宮中があったとは見ないのです。 そしてもしそれほど大事な神であったのなら 大神神社つまり三輪山なる神とどうかかわるかが はっきりしているはずだと見ます。 オホモノヌシが イクタマヨリヒメのところへいわゆる夜這いに行きます。たぶんこういうことは――そして そのとき かのオホタタネコが生まれているからには 重要な出来事であると考えられるにもかかわらず―― アマテラスにはいっさい関係がないと見られます。そういうはっきりとした違いがあるのではないでしょうか。 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 崇神天皇6年のところ。 その後、崇神天皇7年に大物主の子、オオタタネコに大物主を祀らせたのが大神神社では。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは オホモノヌシはすでに三輪山の神であったはずです。神主をオホタタネコにしたというだけの話なのでは? つまり オホクニヌシあたりのときに スクナヒコナとの絡みのところで すでにオホモノヌシを祀ることは出ていたような。 ★ 天照大神は物部王朝の神であり、天照大神の血筋でなければ王になれなかったのではないか、と考えたのです。 ☆ 弥生時代に入り 古墳が現われて来るころからと見てもよいと思うのですが(それ以前からと見てもよいと思うのですが) ヤマトでは三輪山つまりオホモノヌシは この上なくとうとい神であったと思われます。 そして もしアマテラスはそれにくらべてどうかと言えば けっきょく飛鳥時代になって 大和三山のうちの天の香具山が アマテラスにたとえられるような山ないし神としていだかれるようになった。と見ています。つまり いづれにしても アマテラスは そのような意味では 新来の(つまり古くからあったとしても あたらしく主要な神として取り上げられるようになった)神であると見ています。 ★ 物部王朝 ☆ の《王朝》は たとえば継体ヲホドがヤマトに入って来て 曲りなりにも統一政権の首長の座に就いたあたりからではないかと考えます。三輪イリ政権は 崇神ミマキイリヒコが言わばムラオサ(市長)となって経営したとしても その社会は 国家のような二階建て構造ではなく まだ平屋建てだったであろうと見ます。これが 四世紀。 400年頃 応神ホムダワケがやって来て 河内ワケ政権を立てた。 500年頃 雄略ワカタケルがひそかに画策しておいた継体ヲホドが 首尾よく越前からヤマトにやって来た。苦労したが 三輪イリ政権との統一に尽力した。欽明あたりで 落ち着いた。 モノノベ氏は 三輪山のふもとあたりに勢力を張っていたと思われますが 三輪イリ政権に就いていたのではないか。とも考えます。 それに 石上布留の神社にかかわるとすれば そういった魂振りをふくむ鎮魂の儀礼としては アマテラスには関係しないと思うのですが。伊勢神宮つまりその内宮は うんとあたらしい。はずです。 ★ 神武は男なので、男〔のアマテラス〕と結婚できないということです。 ☆ 男神なるアマテラスの娘を娶ればよいではないですか。 ★ 先代旧事本紀には天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊という名前が残ってしまったと考えられます。 ☆ ニギハヤヒが アマツ神であることを言っているまでだと思うのですが。 ★ ~~~~~~~~~~~~~ 私の考えではスサノオは物部王朝の男子です。天照大神を物部王朝の女性とするとそうなります。 本来ならばスサノオが天照大神を襲名(言葉が適当でないかもですが)するはずだったのですが、姉が襲名してしまった。 スサノオの姉が天照大神になり、神武と結婚したので、神武の血筋が天照大神の子孫となった。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 神武イハレヒコは アマテラスからの子孫であり かれはオホモノヌシの娘のヒメタタライスケヨリヒメと結婚した。 このときアマテラスは もともと男神であったから 神武イハレヒコをさらにさかのぼっても つねに男系の一系である。――こういう回答であるということになりましょうか。 そうだとしても ひとこと余計なことをつけ加えるなら だとしたら兄アマテラスの弟であるスサノヲの血筋も まったく同じく天皇家と一系である。こうなると見られます。
- oignies
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万世一系は明治時代に天皇をあがめたてまつるために いいだされたことで、そこでの系図の最初の人物は、 アマテラスではなくて、神祇天皇です。 でも 実際には、平安時代などでも、直系に天皇が継承されて いない部分などがあることはあきらか。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 実際には、平安時代などでも、直系に天皇が継承されていない部分などがあることはあきらか。 ☆ いえ。そのように一系が切れているかどうかの問題は いまは扱いません。 ★ そこでの系図の最初の人物は、アマテラスではなくて、神祇天皇です。 ☆ 万世一系だけなら そういう問題ですが 男系か女系かの問題なら どう見ますか? という問いです。よ。
- jagd4
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後付で染色体やら歴史資料を語っていらっしゃいますが、 質問文で天照大神との関係を語っている以上、 焦点は皇統と神話の関係のみであると解釈して回答させていただきます。 また、私は皇位の継承は伝統や文化の問題であると思っており、取ってつけたような遺伝子やら底の浅い男女平等論とは分けて考えるべきだとも思っています。 >1. 初代の天皇とされている神武カムヤマトイハレヒコからに限って 男系の血筋を捉えるのでしょうか? 回答:そうです。 天照大神と神武天皇の関係は↓のようになっています。 天照大神 ↓(誓約による) 忍穂耳尊(おしほみみのみこと) ↓ 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) ↓ 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) ↓ 鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと) ↓ 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)=神武天皇 ↑から、天照大神は神武天皇の祖先ではありますが、【天皇】ではありません。 >3. アマテラスが みなもとであるなら 万世一系は 女系であるのではないか? 回答3:回答2より天照大神は、【最初の天皇である神武天皇】の5代前の親ではありますが、「天皇」ではありません。 従って、「天皇のみなもと」ではないので、女系であることの根拠にはなりません。 「母親から生まれてくるから全て女系」というのは、無知(あるいは皇族への悪意)からくる妄言でしかありません。(戴く存在のない大陸系の方には理解できないかもしれませんが) 【男系と女系】 http://kotobank.jp/word/%E7%94%B7%E7%B3%BB%E3%81%A8%E5%A5%B3%E7%B3%BB (男系天皇は父方に、女系天皇は母方に天皇の血筋を引いていること。たとえば皇太子さまの長女愛子さまが天皇になれば男系の女性天皇だが、天皇になった愛子さまが民間人と結婚し、その子が天皇になれば、女系天皇となる。) >4.それとも アマテラスの夫は 誰か? つまり オシホミミの父親は誰か? 回答:どちらもいません。 【アメノオシホミミ】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%82%B7%E3%83%9B%E3%83%9F%E3%83%9F (『古事記』では、アマテラスとスサノオとの誓約の際、スサノオがアマテラスの勾玉を譲り受けて生まれた五皇子の長男(『日本書紀』の一書では次男)で、勾玉の持ち主であるアマテラスの子としている。) >5. オシホミミは アマテラスとスサノヲとがウケヒなる勝負をしたときに生まれたのだから 父親は スサノヲであろうか? それとも 別の血筋の――ツクヨミとも違った――或る男が 父親であったか? 天照の所持品から生まれたから母親は天照大神となっていますが、スサノヲが父親とはされていません。 また、「誓約」を知っていて、4の疑問が出てくる理由がわかりませんし、 質問者様が、月読やその他の神のとの関係を妄想する根拠も理解できません。 >6. スサノヲが父親であったのなら けっきょく男系の一系というのは このスサノヲ(およびその父イザナキ)の血筋であるとなる。 質問者がどのように考える自由はありますが、現在では皇統は天照の子ということになっています。 仮にスサノヲの血統であってとしても、回答3と4より、それ自体は男系だの女系だのには無関係なことです。 これらの事は、男系を支持する人達も基本として知っている常識以前の知識です。 (ネットでは、それすら知らない人が、鬼の首を取ったように吹聴しては返り討ちにあっているようですが)
お礼
ご回答をありがとうございます。 1. ★ 天照大神は神武天皇の祖先ではありますが、【天皇】ではありません。 ☆ 回答No.1でも触れることになりましたが 男系か女系かという議論では 血筋を問題にするのではないのでしょうか? つまり 天皇のくらいに就くかどうかは 二の次ではないでしょうか? 3. ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ・・・天照大神は、【最初の天皇である神武天皇】の5代前の親ではありますが、「天皇」ではありません。 従って、「天皇のみなもと」ではないので、女系であることの根拠にはなりません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 前項の(1)と同じことになりますが 《血筋》は 問題にならないのでしょうか? 言いかえると いわゆる初代天皇の神武イハレヒコが いかなる親から生まれた人間であっても かまわない。こういうご見解になるのでしょうか? つまり そのときそうであるなら この神武イハレヒコじしんが 女系の出であるとしてもよいということでしょうか? ★ (戴く存在のない大陸系の方には理解できないかもしれませんが) ☆ 先入見は持ちませんので ご安心ください。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >4.それとも アマテラスの夫は 誰か? つまり オシホミミの父親は誰か? 回答:どちらもいません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ここでやっとおっしゃっていることが その筋として理解できました。ただし そうだとすると また男系による万世一系ということの中身について 疑問も出て来ます。 アマテラスの夫がいないことは いま措いておきますが オシホミミに父親が――そしておそらく母親も――いないとすれば まづは 天皇家の血筋は そもそもの初めは オシホミミであると捉えられます。 でもいちばんの疑問は それでは オシホミミの子のホノニニギは 《天孫降臨》したと語られるとき 《天孫》なのですよね? だとしたら 祖父または祖母は誰なのか? と問われて来ます。アマテラスが 祖母なのではないのですか? 5. オシホミミは ★ 天照の所持品から生まれたから母親は天照大神となっていますが、スサノヲが父親とはされていません。 ☆ そうしますと 《オシホミミの母親》であることは ただそう見なされたというに過ぎない。ということでしょうか? そこから ホノニニギについて《天孫》だと ただそう見なされて 仮りに言われているだけということでしょうか? 6. ★ 現在では皇統は天照の子ということになっています。 ☆ ん????????????? つまり仮りの見方であるに過ぎず ウソ(虚構)だということでしょうか? それでは なぜいま 男系だの女系だのとあらそっているのでしょうか? 血筋は オシホミミにまでさかのぼるのみだというのならば 突然変異のごとくこのオシホミミが生まれたということであり この男の血筋が 男系なる一系としてつづいているということのようですが それは 男系か女系かを議論することそのものが意味を成さない。ということになると思います。 すなわちオシホミミが どういう血筋であるのか。これが皆目分からないというのであれば 女系でもあり得るでしょうし 男系でもあり得る。というだけであって 神武イハレヒコ以降は男系なる一系だと言っても そのみなもとが 女系でありうる。ということになるでしょうから。 読み解きにまちがいがありましょうか。
私の個人的な見解でありますが、回答させていただきます。 記紀によれば、天照大神は女神となっていますが、本当は男神だという説があります。 記紀にはニギハヤヒという神が登場します。 この神は先代旧事本紀では天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊と記されています。 この神が本当の天照大神ではないかというのです。 初代神武天皇は東征して畿内入りしましたが、ナガスネヒコという者に阻まれたため、迂回して紀州から畿内入りをめざしました。 このナガスネヒコが神として奉じていたのがニギハヤヒです。 神武は紀州から畿内入りして再びナガスネヒコと対戦することになりましたが ニギハヤヒはナガスネヒコの信頼を裏切って神武の側につき、 ナガスネヒコはニギハヤヒに殺されたと記紀には記されています。 ニギハヤヒとナガスネヒコの妹が結婚して生まれたのがウマシマジノミコトで ウマシマジノミコトは物部氏の祖とされています。 ここから神武以前に物部王朝があったのではないかという説があります。 天照大神は倭姫に連れられて伊勢についたとき 「うまし国なり」と言っていますが、うまし国とはどういう国のことでしょうね。 ウマシマジノミコトに似ているのが気になります。 またニギハヤヒが天下ったとされる大阪府交野市に磐船神社がありますが その神社の前を流れる川を「天の川」といいます。 この天の川はかつて「うましの川」と呼ばれていたそうです。 「うまし国」とは物部氏の国ということではないでしょうか。 このように考えると、天照大神とは本来は物部王朝の神だったということになります。 大物主神という神が大神神社に祀られていますが、 大物主神は『出雲国造神賀詞』では大物主櫛甕玉となっています。 ニギハヤヒ・・・天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 大物主神・・・・大物主櫛甕玉 神名に同じ櫛と玉の文字を持っていることから、ニギハヤヒと大物主神は同一神ではないかという説があります。 ところで、記紀には婿入りする話が多いですね。 神武の先祖のニニギや山幸彦も婿入りしています。 そして、神武の皇后となったのは、大物主神の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命でした。 ニギハヤヒ=大物主神は物部王朝の王であり、神武は大物主の娘を皇后としている。 これは神武は物部王朝に婿入りしたということを、記紀は言いたいのではないでしょうか。 つまり、畿内には物部王朝があり、九州から東征して畿内にやってきた勢力があった。 九州からやってきた勢力は物部王朝を滅ぼすのではなく、婿入りすることで、政権を掌握した。 これは、征服した土地の民を支配するためにもなかなかいい方法のように思えます。 征服した土地の民は天照大神を信仰していたのではないでしょうか。 九州からやってきて物部王朝に婿入りした男の子孫は、天照大神の子孫として民より崇められる必要があったのかもしれません。 この場合、本来男神であった天照大神を女神にしてしまえば、天皇家は天照大神の子孫であると堂々と名乗ることができます。 しかし神武以降は男系になっているのではないでしょうか。 女帝もいましたが、中継ぎの天皇でした。 とりとめのない文章ですが、回答とさせていただきます。 参考程度、ということでよろしくお願いします。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ ニギハヤヒという神が・・・本当の天照大神ではないかというのです。 ☆ ひとつの資料として 次を参照してみます。 ▼ (ヰキぺ:ニギハヤヒ) ~~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AE%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%83%92 § 1 概要 A 『古事記』では、 (あ) 神武天皇の神武東征において大和地方の豪族であるナガスネヒコが奉じる神として登場する。 (い) ナガスネヒコの妹のトミヤスビメ(登美夜須毘売、日本書紀では三炊屋媛という)を妻とし、トミヤスビメとの間にウマシマジノミコト(宇摩志麻遅命)をもうけた。 (う) ウマシマジノミコトは、物部連、穂積臣、采女臣の祖としている。 (え) イワレビコ(後の神武天皇)が東征し、それに抵抗したナガスネヒコが敗れた後、イワレビコがアマテラスの子孫であることを知り、イワレビコのもとに下った。 B 『日本書紀』などの記述によれば、 (お) 神武東征に先立ち、アマテラスから十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国(大阪府交野市)の河上の地に天降り、その後大和国(奈良県)に移ったとされている。 (か) これらは、ニニギの天孫降臨説話とは別系統の説話と考えられる。また、有力な氏族、特に祭祀を司どる物部氏の祖神とされていること、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されていることなど、ニギハヤヒの存在には多くの重要な問題が含まれている。 (き) 大和地方に神武天皇の前に出雲系の王権が存在したことを示すとする説や、大和地方に存在した何らかの勢力と物部氏に結びつきがあったとする説などもある。 C 『先代旧事本紀』では、 (く) 「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)といいアメノオシホミミの子でニニギの兄である天火明命(アメノホアカリ)と同一の神であるとしている。 D 『新撰姓氏録』では (け) ニギハヤヒは、天神(高天原出身、皇統ではない)、天火明命(アメノホアカリ)は天孫(天照大神の系)とし両者を別とする。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうでしょうね。 ★ 神武以前に物部王朝があったのではないかという説があります。 ☆ これについては 神武イハレヒコよりすでに先にヤマトに入っていたアマツカミ系のこのニギハヤヒがいたということ〔(あ)(お)など〕は 言えるでしょうね。そして イヅモ系統(い)かあるいはモノノベ氏の関係(う・か・き)かという見立てはあり得るのでしょうね。 ただし――ご指摘の事実や主題などの復唱をはぶいていますが―― ★ 天照大神とは本来は物部王朝の神だったということになります。 ☆ というのは まだ早いように思います。 それは 神武イハレヒコが 草香(日下)で ナガスネビコと戦って敗れたとき 《吾は 日の神の御子として 日に向かひて戦ふこと良くあらず。・・・》(古事記)と神武の兄のイツセが言っていますから 《日の神=アマテラス》は 神武イハレヒコ側の神であったと考えられます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~ ニギハヤヒ・・・天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 大物主神・・・・大物主櫛甕玉 神名に同じ櫛と玉の文字を持っていることから、ニギハヤヒと大物主神は同一神ではないかという説があります。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これも 申し訳ないですがまだ飲めません。 つまりあるいは もし同一神であったとしても オホモノヌシなる神でもあるニギハヤヒが アマテラスなる神であったという見方は まだ定まらないのではないかと考えます。 もしおっしゃるようにモノノベ氏の神が 三輪山のオホモノヌシであるならば これは 事物としては ヘビですし 思想としては ヒトコトヌシと同じく――つまり モノはコトである( e = mc^2 )というところから これらの神どうしは 同じひとつの神であると見なして―― いわば《生命の木》であると捉えられるような特徴を持つと考えるからです。 日の神であるアマテラスが 生命の木に喩えられてもおかしくないとは思いますが たぶん筋が違っているようにも考えられます。抽象度の高い《いのち》と そしてゆくゆくは穀霊に当てられるアマテラスとは 筋が違うように感じます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 神武の皇后となったのは、大物主神の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命でした。 ニギハヤヒ=大物主神は物部王朝の王であり、神武は大物主の娘を皇后としている。 これは神武は物部王朝に婿入りしたということを、記紀は言いたいのではないでしょうか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは 神武イハレヒコの政権の前に イヅモか何かの系統の政権があったことを語るまでだと まづ思います。まだ そこまでだと考えます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ つまり、畿内には物部王朝があり、九州から東征して畿内にやってきた勢力があった。 九州からやってきた勢力は物部王朝を滅ぼすのではなく、婿入りすることで、政権を掌握した。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ この場合の・つまり神武東征の話は――わたしの推測ですが―― 応神ホムダワケが半島か筑紫から確かにヤマトにのぼってきたそのときの婚姻政策が反映しているのではないかと思います。崇神ミマキイリヒコイニヱの三輪イリ政権が すでにあった。そこと 応神ホムダワケなる勢力は 融和政策を採って 土着化しようとした。のだと。 (三輪イリ政権を モノノベ氏関係だと見ても それほど無理はないとは思います)。 ★ これは、征服した土地の民を支配するためにもなかなかいい方法のように思えます。 ☆ じっさいには 仁徳オホサザキのときにこの政略結婚は成ったと見ます。つまり仁徳オホサザキを 記事にさからって三輪イリ政権側の人間だったと仮定しています。仁徳オホサザキは 応神ホムダワケの河内ワケ政権の地すなわち河内にまでわざわざ出向いてそこで政務をおこなったのではないかと。人がよい。 そして確かに応神ホムダワケ勢力は けっきょく全国制覇の大作戦を持っていたのだし すでに百年の計をも立てていた。百年後には 雄略ワカタケルが 暗殺をやらかすわ 奥の手を出すわ――つまり 継体ヲホドだけは越前にやってそこで育てて ヤマトに上り来たるという作戦です――というかたちで ヤマトの支配を確立しようとした。うんぬん。 ★ 征服した土地の民は天照大神を信仰していたのではないでしょうか。 ☆ これは 違うと思います。アマテラスないしアマテルなる神を持ち得ていたでしょうが 主神は オホモノヌシ=ヒトコトヌシだと考えられ 伊勢の外宮から行けば トヨウケ(オホ(大)-ケ(食))の神であり それが穀霊にもつながると見られます。 征服者――親戚づきあいを騙った手による乗っ取り――の神は よく分からない。ただただ 土地の神々のひとつなりを自分たちの神としたのでしょう。あるいはもともと 日の神をいだいていたでしょうか。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ 九州からやってきて物部王朝に婿入りした男の子孫は、天照大神の子孫として民より崇められる必要があったのかもしれません。 この場合、本来男神であった天照大神を女神にしてしまえば、天皇家は天照大神の子孫であると堂々と名乗ることができます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ここでは とにもかくにも 土着の人びとの神のひとつであった日の神=アマテラスを 応神ホムダワケ側(いまは 神武イハレヒコの物語として語られている)が自分たちの神とし 国の神ともしたとして考えてみましょう。 いちどこのアマテラスを祀るのを 三輪山の大神神社から断わられていますね。けっきょく 摂社の檜原神社にもまつることになりましたが それでもけっきょくは伊勢の地にそのところを得たことになります。 ★ 本来男神であった天照大神を女神にしてしま ☆ う必要や 必然性は どこにあるとお考えでしょうか? 女から男に替えたあとは そのもとの姿としての男神であることは いっさいの痕跡を残さないようにしたということでしょうか? それに女神にしてしまえば ウケヒにかんするかぎりオシホミミは スサノヲの子となっていますから 男系を言うならもとの男神であったほうがよいでしょう。女神に替えられたのなら 男系の一系は けっきょくスサノヲの血筋であるとなります。 けれども タカチホの峰に降り立ったホノニニギは アマテラスの孫としての天孫であった。ことになっています。ここらへんの事態や事情について もっとくわしく説明があればと思いますが いかがでしょう。
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お礼
ご回答をありがとうございます。 納得のいくように なおお尋ねしてまいります。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「アメノオシホミミ‐ニニギ‐ホオリ‐ウガヤフキアエズ‐神武天皇」 の代々は、すべて男(または男神)である。神話によれば、ウガヤフキアエズの息子が「天孫降臨から180万年ほども経ったのに、いまだ全土を統一していない」と言って、征服を成し遂げ、初代天皇として即位したことになっている。したがって、天皇の家督(日本統治の大権)はこのとき発生したわけである。 つまり、神話によれば、葦原の中つ国または日本を治めるという家業は、神勅または征服により発生し、その発生以来男子だけで継承されている。すなわち男系である。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは どうでしょうか。 まづこの質問は 単純ではっきりしています。 ・ 万世一系をめぐって 男系の一系であるというとき その血筋は どこまでさかのぼるか? ・ もし天皇の位に就く就かないを問わないでよいとすれば 神武イハレヒコよりさらにさかのぼって けっきょくアマテラスにまでたどり着く。アマテラスなら そしてもしその子のオシホミミの父親が分からないのであれば それは 男系ではなく 女系である。 これを問うています。 つまりたとえば 《神話によれば》と言いますか 天子なる存在の命によって営まれている国の歴史において あの島々は きみたちのおさめるところである よろしく統治しなさいと言われているとしたなら その家督は それで決まりだということなのでしょうか? ★ そして擬制といえば、学者や官僚どもが理論武装に怠りないわけで、「男系」うんぬんについても、ご質問者や私程度の知能では武装解除できない。 ☆ どうしてでしょうか? 別に武装解除をめざしているのではなく その理論武装の中身はどうなっているか。これを尋ね 明らかにして受け留めたい。これだけのことです。 ★ 神話によれば、神代(神武天皇の前までの時代)は単性生殖などもあった。ご質問者はその神代までさかのぼって、女系うんぬんをおっしゃるわけだが、単性生殖に男系も女系もないだろう。 ☆ ふたつ あります。アメノミナカヌシを初めとする天地のはじめの神々は《独り神となって 身を隠した》というようですが この場合は 《単性生殖》なのでしょうか? そもそも ヒトに単性生殖があると考えられるのでしょうか? もうひとつは そうは言っても アマテラスは おんなです。そしてそのアマテラスが オシホミミら男神五神は わが子であると告げています。では 父親は 誰でしょう? という問いです。 ★ 「実権を持っていたのは誰か」に着目すべきだろう。 ☆ いいえ。興味ありません。継体ヲホドのときの血筋の断絶いかんについても 問うていません。 ★ このご質問のように、「天照大神は女神」というフィクションで「万世一系の男系」というフィクションを否定しようなんて、筋が悪すぎる。 ☆ その《フィクション》を わたしが最初に言い出したのでしょうか?
補足
次の視点をおそわったことで BA とみました。質問者として 同感することはむつかしいのですが。 すなわち 男系論では 天皇家が万世一系の統治者となるのは アマテラスの神勅による。――どうもこう言っているようだということ。 そして アマテラスとその子とされるオシホミミとは 血のつながりはなくてよい。こうも言っているように受け取れるということ。 つまり アマテラスによる神勅が 鍵となるらしいことです。 これは 王権神授説のごとくです。