シューベルトの歌曲にForelle 鱒というのがあります。
作詞は何とシューバルト!日本人には馴染みがありません。
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明るい小川、澄んだ水の中を鱒が泳いでいます。水が澄んでいると、魚が釣りの仕掛けに気付くので、捕まりません。ずるい漁師は水をかき混ぜ濁らせて、漁を成功させます。怪しからんと私(シューバルト?)は怒るのです。以上長い長い前置きです。
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この詩の中頃に
So lang dem Wasser helle,
So dacht‘ ich , nicht gebricht,
So fang die Forelle
Mit seiner Angel nicht.
という部分があります。水が澄んでいて、魚が捕まらないの部分です。
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【質問】
„nicht gebricht“ とはどう訳すのでしょう。この有名な歌は様々に訳され、出版されていますが、この部分は、うまく訳されていないように思います。
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【背景について】
不確かな知識で伺います。
シューバルト/シューベルトの時代は、ヴュルテンベルク王国の絶対王権が最盛期で、庶民にはあまりよい時代ではなかった。この詩にはなんらかの政治的意味も含まれているとのこと。ご存じの方が合ったら教えて下さい。こちらは副次的質問です。
追加の御質問にお答えする前に、大きな訂正があります。
『鱒』にまつわる政治的エピソードの二つ目に、シューベルトが友人ゼンとともに警察に拘束されたときに歌った、というものを御紹介しましたが、これはペーター・ヘルトリングという作家の『シューベルト』に出てくるものです。これは、「伝記」かと思っていたのですが「小説」で、ゼンが警察の手入れにあったときに偶然シューベルトがその場にいたというのは事実のようですが、『鱒』をとっさに歌ったというのはこの本以外には書いてないので、フィクションと思います。事実このエピソードは、『事実と創作』という別の書物中に紹介されているもので、太鼓が鳴ったとか、とっさにグラスを手にした、とかのエピソードもあまりにも具体的過ぎ、出来過ぎているので、おかしいとは思っていました。
歴史については詳しくないのですが、このドイツの兵士売買に関しては、日本語で検索してもあまり詳しい情報は出てこないようです。フリートリヒ・カップという人が書いた『ドイツの領主によるアメリカへの兵士売買』という書物が出てきたのですが、ドイツ語でかなり長いので、拾い読みしかできません。これによると、シューバルトの時代の兵士売買の前提として、中世に始まったランツクネヒトが挙げられています。火薬の発明など、軍備の革新によって戦争形態が変わり、小さな封建国家が並立している状態からより大きな権力への集中が始まった時、貴族たちから離反され後ろ盾を失くしたマクシミリアン1世は、高価なスイス傭兵の代わりに、一般市民や農民を集めて傭兵にしました。若者はエネルギーが有り余っており、冒険心も旺盛だったので、集めるのは容易だったようです。この傭兵をランツクネヒト(Landsknecht)といいます。
Friedrich Kapp: Der Soldatenhandel deutscher Fürsten nach Amerika
http://gutenberg.spiegel.de/buch/der-soldatenhandel-deutscher-fursten-nach-amerika-7425/1
ランツクネヒト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%AF%E3%83%8D%E3%83%92%E3%83%88
日本語で出ている書物としては、ラインハルト・バウマン著『ドイツ傭兵(ランツクネヒト)の文化史―中世末期のサブカルチャー/非国家組織の生態誌』が参考になりそうです。
このランツクネヒト、ドイツ傭兵は、北米の植民地戦争にも送られました。シューバルトの時代は、いわゆるフレンチ・インディアン戦争で、北米の植民地でのイギリスへの反発から、アメリカ独立戦争へ発展しました。イギリスと対立関係にあったフランス、スペイン、オランダなどがワシントン軍に参戦してイギリスは不利になり、最後は負けるのですが、このときイギリス軍の兵力としてドイツから3万人の傭兵が送られています。
https://wondertrip.jp/domestic/93207.html
ヴュルテンベルクのカール・オイゲン公は、1744年、16歳でヴュルテンベルクの領主となりますが、ここから専制政治が始まります。カール・オイゲンは大変な浪費家で、また名声欲も強かったため、その生活は豪奢を極め、すぐに財政難に陥りました。最初は、領邦教会からお金を取り上げたり、税金を上げたりしましたが、市民の生活が困窮したため同じ手は使えなくなり、それに代わる手段として傭兵売買に手を伸ばします。当初は志願兵を募ったのですが、マクシミリアン1世のころとは事情が違うので、誰も志願せず、やがて18歳以上の若者を暴力で捕え、場合によっては催眠薬を使うという残虐な方法で徴兵しました。この傭兵が外国へ売られるようになったのが1750年代ですが、逃亡する者が後を絶たなかったため、逃亡した兵士はその場で殺害し、幇助したものは刑務所へ入れ市民権を奪うことを決める法律を施行しました。1757年までの5年間で、300万グルデン(90億円くらい?)の収益を得ましたが、その後20年ほど兵士売買をしなかったため再び財政難に陥り、そこでまた1776年に3000人の傭兵をイギリスに売りました。この兵士たちは全く役に立ちませんでしたが、それでもまた1786年には、オランダ東インド会社に2000人の傭兵を売って30万グルデンと、年間配当金6万5000グルデンを得ます。
http://www.gah.vs.bw.schule.de/leb1800/karleug2.htm
シューバルトはこれらを批判したことによって捕らわれの身になりました。なおシューバルトという人は、オルガン奏者、作曲家、音楽理論家でもあり、理論的著作は今でも残っています。作品は残りませんでしたが、この『鱒』の詩にもシューバルト自ら2回曲を付けています。そのうちの一つの楽譜が下のサイトに出ています(60ページ)。
http://search.proquest.com/openview/ca74814d158a3d0717064060ba2ff085/1?pq-origsite=gscholar&cbl=18750&diss=y
歌詞の終わりの部分 Sah die Betrog’ne anの個所ですが、この詩は実は4連から成っており、シューベルトは第4連を省略しています。内容的には、未熟ゆえに懸命さを欠く若者に、あの鱒を見よ、気を付けろ、という教訓ですが、若い女性に対する誘惑者への警告も含んでいます。澄み切った水の中で矢のように泳ぐ鱒は、自由であるべきすべての人間の象徴でもありますが、穢れなく突っ走る若者の象徴でもあります。この詩には、鱒と釣り人のほかに、それを怒りをもって見つめる「私(ich)」がいますので、これがシューバルト自身になると思いますが、シューバルト自身も謀略によって捕らわれの身になっているので、鱒の立場でもあります。
なお、シューバルトには自伝的な著作があるのがわかりました。読んでいませんが、捕らわれた頃のことも詳しく書いてあるようです。
http://www.zeno.org/Literatur/M/Schubart,+Christian+Friedrich+Daniel/Autobiographisches/Leben+und+Gesinnungen
シューバルトの死には、生き埋めにされたという伝説が残っています。埋葬後しばらくしてから棺を開けてみたところ、中から引っ掻いたあとが残っていたというのですが、真偽のほどはわかりません。
質問者
お礼
有り難うございました。
教えていただいたこと、全ての検証が終わった訳ではありませんが。
現在やっちること;
先ず、知識を整理しております。一番長い論文が出来ます。
回りには色々な仲間やグループがありますが、皆さんの知識、趣味は同じではありません。
合唱団用、語学の仲間用、歴史やキリスト級の物知り/Kennner用と分けた説明文を長い論文から抽出いたします。
1番長い論文を貰う人は数名です。喜ばれるか、迷惑がられるか分かりません。
変なお礼ですが、お答えが単に読み捨てられるのではないというお話しです。
Ich bedanke mich bei dir fuer deine eingehende Erlaeuterung.
お礼
有り難うございました。 教えていただいたこと、全ての検証が終わった訳ではありませんが。 現在やっちること; 先ず、知識を整理しております。一番長い論文が出来ます。 回りには色々な仲間やグループがありますが、皆さんの知識、趣味は同じではありません。 合唱団用、語学の仲間用、歴史やキリスト級の物知り/Kennner用と分けた説明文を長い論文から抽出いたします。 1番長い論文を貰う人は数名です。喜ばれるか、迷惑がられるか分かりません。 変なお礼ですが、お答えが単に読み捨てられるのではないというお話しです。 Ich bedanke mich bei dir fuer deine eingehende Erlaeuterung.
補足
本日 東京は日本晴れ、私の頭の中も もやもやが晴れて、機嫌良く過ごしております。Vielen herzlichen Dank! 私は学生時代に、西洋史を学んだことはありません。現在、個別の事例を勉強しても、頭の中に全体像、鳥瞰図がないため解釈が容易でありません。歴史は暗記物といなどと思っておりませんが、多くの事実を前もって持ておりませんと、理解が進みませんね。 記憶力がよい年齢に学ばなかったことは大損害です。 一方に於いて、足利尊氏は悪者で、楠木正成は大忠臣だというような先入観はなしに、西洋を見ることは出来ます。 以上、幼稚ながら、真面目にForelle 学ぶ者からのとりあえずのお礼です。 バチカンを訪れ、スイスの傭兵の写真を撮って帰っただけの旅行者は、少しく進歩いたしました。