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生きてる保守派の哲学者、お勧め教えて

出たがりの言論人ではなく、お勧めの保守派の哲学者を教えて下さい。生きている方で。

みんなの回答

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.7

ネトウヨ?

回答No.6

 2度目の回答です。  No.3さんがおっしゃっているとおり、哲学者の言葉というものはたいていの人にとって「腹立たしい」のですよ。彼らが信じている前提自体を疑うのが哲学なのですから。  何をもって「空理空論」で何をもって「現実」なのかという問題はあると思います。たとえば、いま日本に北朝鮮からミサイルが飛んできて自分が死んでしまったら自分という存在はなくなりますね。だけど「北朝鮮からミサイルが飛んでこないようになんとかしなくては」という『現実的』問題からは間違いなく解放されます。そんなにあっさり解決する問題より、直径1の円周の長さがπである、このことは人類が滅んでも、一説に言われるとおり宇宙が膨張を終えて収縮をはじめ、無限小まで収縮した後次のビッグバンを起こして新しい宇宙ができても、おそらく変わりません。こんな確たる事実の方がはるかに「現実」だろうという人もいるんです。数学者なんかにも「数学ほど具体的な学問はない」という人もいますよ。  ある人が「FACEBOOKから差別的な表現が削除されることになったからネトウヨも居場所がなくなるな」とツイートしているのに、私は「なぜネトウヨだけの居場所がなくなるの?」とつけてリツイートしました。  そうしたら彼は「韓国旅行に行けばみんないい人たちばかりだってわかるよ」「100周ぐらい周回遅れ」とかなんとかいろんなことを言いましたが「ある場所においてAという行為が禁止される」という場合、なぜ特定の人間だけにそれが適用されるのか、と問い続ける私に対して彼は「お前はもう自分がアホだと自覚したはずだからこれ以上話はしない」と言い捨ててブロックしました。私は結局ある場所に一般的に設けられたルールが特定の人たちにだけ適用されるという謎発想の理由を理解することができませんでした。  別の場所では「生活保護受給者は収容施設を作って残飯食わせとけ」とか言っている人たちに対して「我々の先祖はそういうことでは具合が悪いということから福祉国家という結論に至ったのではないの?君たちは何を保守したいの?」と問いました(彼らは「保守」を名乗ってましたので)。  そうしたところ彼らは自分たちが何を守ることを持って保守だと言っているのかという説明は一切しないまま「お前河本だろ」「朝鮮人」「日本から出て行け」の大合唱になりました。  いやまあ、なんとプラトンの対話篇の最後に似ているではありませんか。  私みたいな小物にでも彼らは怒りをむき出しにせずにはいられないのですよ。保守とか革新とかいう考え方と哲学とはかくのごとく相容れないのです。  保守とか革新とかいう「現実的」問題を口角泡を飛ばして論じている人たちは、肝心な「何について論じてるか」ってことを案外おろそかにしているように見えますね。  私自身は比較的保守的な人間だと思いますが、ネット上で保守を名乗ってる人たちとは一緒にされたくないという気持ちを持っています。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.4

佐伯啓思

  • stmim
  • ベストアンサー率24% (57/236)
回答No.3

結論は、哲学者で保守の人は思いつきませんでした。 No.2の人が言われる通りと思います。 哲学と思想は違うもので、哲学は本当にそれは正しいのだろうか?といつも疑い続けるものであり、思想は定まった考えの方向にどんどん考えを広げていくものです。 理屈とか理想で考えているから保守よりリベラル寄りの人が多いと思います。 哲学者の書いた靖国論の本を読んだことがありますが、要するに「私の考えている理想が守られるなら日本が滅んでも日本人が抹殺されてもかまいませんよ」ということでした。それは私は困る。 池田晶子さんの本を少し読んだことがありますが腹が立ってしかたなかった。 何だこいつ!としか思えない。哲学者は空理空論ばかりで全然現実のことは見ていないのだな、と思いました。 哲学者に政治のことを考えてもらうのは良くない。 哲学者は哲学のことを考えているべきだと。

回答No.2

 はじめまして。  私は大学を哲学で出ました。  その立場で言わせていただければ、保守だったり革新だったりするのは哲学ではありません。政治学だったり経済学だったり、そういう学問です。  哲学という言葉が思想という言葉と同じものだと考えられていて、なおかつ政治思想とかそういう言葉が流通してますので混乱を招いているんだと思いますが、哲学というのはどこまでも「自分は何を考えているんだろう」を考えることですので、保守とか革新とかそういうことは「あり得ない」のです。  ヨーロッパ哲学においては、ソクラテス以前の哲学者は数学を一生懸命勉強したりしました。数学の世界は、誰が考えても同じになります。長さ1の正方形の対角線は、誰が考えても、例え人類が滅んでも、おそらくいつも√2です。こういう、時代によって変わるものではない正しさを、追い求めるのが哲学です。  ソクラテスが「人間の心の中」を哲学的考察に繰り入れて、いわばここが人文科学のスタートかも知れませんが、目指すところが「不易の正しさ」であることは変わらないのです。  保守とか革新とかを考えるような、結論を決めてからそれに向けての理屈を作るような行為を哲学とは言いません。  残念ながら、非常に若くして亡くなりましたが池田晶子さんという人がいます。この人は、日本人としてほとんど唯一と言えるぐらい、一般人に向けて哲学をわかりやすく書いた人です。軽いエッセイですが、今テレビで叫び合ってるような言論人はそれが保守派であれ進歩派であれ、この人の文章を読んだら火を吹いて怒りそうです。そういう結果になるのは、彼らが纏っている「保守派」「進歩派」という鎧をあっさりと突き通してこの方の言葉は「命懸けで考える覚悟」があるかどうかを迫るからであり、この方がもし生きていたら保守派も進歩派もアポリアーにあっさりと追い込まれることは間違いないでしょう。保守派と進歩派の醜い罵り合いが盛んになる前に逝かれて本人にとっては良かっただろうと思います。私は、もっと彼女の言葉が欲しかった人間ですが。  読んでみることをお勧めします。もし、面白いと思えなかったら、それはあなたが求めているものは哲学ではないということだと思って下さい。  なお、お名前は「いけだあきこ」さんです。アニメーターの池田晶子(いけだしょうこ)さん、翻訳家の池田晶子さん、絵本作家の池田あきこさんとは別人です。『ソフィーの世界』という、ヨーロッパで哲学の先生をしているという触れ込みのヨースタイン・ゴルデルが書いた本を訳した「池田香代子」という人がいます。『ソフィーの世界』がブームになったころ哲学で池田で女性という理由で池田晶子さんのところにも結構な数の取材が行ったそうですが、この本は哲学の本ではありませんし池田香代子なる人物は哲学者ではありません。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.1

小林よしのり

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