- ベストアンサー
マッカーサーは日本に降り立った時
昭和20年8月30日に厚木に着陸したマ専用機のバターン号から出てきた時のマッカーサーの心境はどのようなものだったと想像されますか? 真偽はともかく、このような話もネットでは出回っていますので 厚木の凱旋将軍 「マッカーサーは失禁していた」 『歴史通』 2014年9月号 http://ironna.jp/article/2747 それも含めて、皆様のご見解をうかがってみたいと思います。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
ちゃあんと、カラー映像が残っています。当時の日本にはカラーフィルムがなかったのでおそらく米軍の従軍カメラマンが記録用に撮影したものだと思います。 アメリカの国力というのをまざまざと感じます。 https://youtu.be/oLWXznenJkE どこにオシッコの沁みがあるんですか?と聞きたいですね。 件のホームページも、全体の写真では分かりづらいのに、アップの写真は明確に沁みがあります。あんなに沁みがあったら全体写真でも確認できるはずですし、全体の写真だと分からないのにアップにするとやたらと明瞭というのも明らかに不自然です。 なんてこたない、Photoshopで加工したってことです。 加工の跡は、他の写真にもあります。最終ページの「バターン半島を制圧した日本軍」とキャプションがついてる写真。確かこの写真は中国でどこかの要塞か何かを攻略したときに撮られた写真だったはずです。だからね、旗が真っ黒に塗りつぶされてるでしょ?旭日旗にしても国旗にしても白地だからあんなに真っ黒に写るはずがありません。旗だけ塗ると不自然だから四隅も暗くして周辺光量が落ちているように見せかけています。これは私も作れといわれたら作れる程度のものですね。 だから、この人の記事には少なくともPhotoshop職人がいるってことです。もしかしたらご本人が自らやっていることかもしれませんけどね。 マッカーサーは虚栄心と自尊心の塊で、ヒトラーと同じで宣伝が上手な人でした。この有名な写真も、わざわざカメラマンを呼んで撮らせたものなのです。 カメラマンが下で待っているところをコーンパイプをくわえて飛行機から出てくる。要するにカメラを見下ろすことになります。この写真を新聞で見た日本人は、新しい支配者を見上げる角度で見ることになり、日本人はこの新しい支配者から見下される角度で見ることになるのです。 これは全てマッカーサー自身の計算によるものなのです。この演出は大成功して日本人はマッカーサーにひれ伏しました。 そこまでやる彼が、もし万が一に漏らしちゃったとしても、それをそのままにして出てくるようなことは絶対にしませんよ。仮にそうなったら副官に着替えを持ってこさせてカメラマンを待たせて機内で着替えるに決まっています。あるいは、写真を撮らせないか上半身だけ撮らせるでしょうね。 ちなみにこの辺りの演出はかの北の国でも今でもしっかり行われています。将軍様や党委員長様が皆の前に登場してくるとき、大抵高い場所から出てきますでしょ?我々は見上げることになるのです。 彼は太平洋戦争がなければ初代フィリピン大統領になる予定でした。日米開戦と米軍がフィリピンから撤退を強いられたことでそれはチャラになってしまったのですが、その代りとして日本の「支配者」になることを強硬に主張してGHQ総司令官に自分をねじ込んだのです。だってさ、太平洋戦争って海軍の戦争じゃないですか。陸軍てほとんど何もしていません。だけどちゃっかり総司令官の座に陸軍の司令官が座ったのはマッカーサー自身の「政治力」の賜物です。さすがのアメリカ海軍といえど、マッカーサーに匹敵するだけの政治力を持った人物がいなかったというのもありますけどね。 だから日本に降り立ったときの彼は「この黄色人種を俺の手で支配してやる」っていう気持ではなかったかなと思います。この当時の白人は特にインテリ層であれば人種差別を持っているのが常識だった時代です。彼は後に「日本人の精神年齢は12歳」という発言をして日本人を露骨に見下しました。 蛇足:実は日本人は彼のような「上から目線のアメリカ人」にやたらと弱いという傾向があります。ペリーもそういう人でした。アメリカ人に上から目線で強圧的に接してこられるとすっごい怖れて割と素直にそのいうことに従ってしまうのです。ちなみにペリーは日本についてシーボルトの著作なんかを読んで「こいつらにはオラオラ路線が有効だ」と喝破していたそうです。 その今のアメリカ大統領が、さて・笑。「もっと金を出さないと在日米軍を撤退させる」といわれたらやたらと慌てた人たちがここでも少なからずいたような気が・・・笑。
その他の回答 (5)
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
暗殺を恐れて飛行機から中々降りてこなかったってのは有名な話ですよね 実際厚木飛行場にはマッカーサーを襲撃しようと武装解除してない軍人数名が待ち伏せしていて逮捕されたって話もあります だからこそタラップから降りてくるマッカーサーは堂々を装って「俺は何も怖くないぞ」みたいな感じで降りてきてるでしょ? あれはびびってた証拠です
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34518)
#4です。前回の回答に訂正があります。 >「バターン半島を制圧した日本軍」とキャプションがついてる写真 についてですが、手元にある資料を漁ったところ、私の手元の資料にある写真でも旗の部分は黒く塗りつぶされていました。おそらく軍から発表された時点で塗りつぶされていたと思います。 その写真がバターンで撮影されたものか、別の場所のものかは結局わかりませんでした。 その部分を訂正して、撤回します。
お礼
>その写真がバターンで撮影されたものか、別の場所のものかは結局わかりませんでした。 →ご指摘、ありがとうございます。
感無量だったんじゃないですか? 下手すりゃ、マニラから部下や副司令置いて逃げた卑怯者で戦争終わっちゃうとこでしたからね。 キンメルなんか見てください。 真珠湾の責任取らされて2階級降格の上に予備役にされて、名誉回復の機会のないまま田舎で亡くなったんですよ。 後に名誉回復決議が出ますけど、クリントンもブッシュも署名を拒否するというありさま… 日本本土を直撃しようとする軍司令部に対し、マッカーサーがマニラ奪還を激しく迫った理由がよくわかります。 まあ何はともあれなんとかかんとかマッカーサーは英雄になれましたからね。 まさに綱渡り人生。 感無量だったと思いますよ。 これでアメリカに凱旋できる! 自伝も出して大儲けだ! ヒャッホー って所じゃあないですか?
日本に駐日アメリカ合衆国大使付武官として日本に滞在していたので 第二の故郷に帰っ心境。 親日家なので戦争でどれくらいの損害かあるか心痛む心境。 マッカサは、関東大地震でフイピッピンから救援物資を送る指揮をしたこ とにより、上層部にこれが認められて1652年陸軍史上最少年となる44歳で 少将に昇進。 日本滞在中に、東郷平八郎・大山勳・乃木希典と面談しています。
- E-1077
- ベストアンサー率25% (3258/12620)
当時現場にいた人の話を聞いたことがあります。 「相当に緊張していた。サムライやニンジャが自分を切りつけてくるかもしれない・・・とか狙撃されるのではないか?と考えていたらしい。しかし、日本の武士道で考えればそういう奇襲攻撃は本来ないはずだと側近が助言。」 どこかのテレビでも当時のマッカーサーの証言や側近の行動について特集をしていたことがありましたね。 失禁の話は初めて聞いたけれど、武者震いを感じたというのはあったみたい。 震えを隠すためにパイプをくわえていたという話も頷けますね。
お礼
>当時現場にいた人の話を聞いたことがあります。 →貴重なお話、ありがとうございます。 なお「失禁写真」について、私自身は現時点では判断を保留にしています。
お礼
ご回答いただき、ありがとうございます。 高山氏の引用にある「失禁写真」について、私自身は現時点では「判断を保留」にしています。 カラー映像が現存しているからといって、ただちにそれを鵜呑みにもできませんので。 「プロパガンダ映像」であるなら、なおさらのこと。 例えば「南京事件」の関連でいえば、当時撮影された「記録映画 南京」というものがありますが そこに残された映像が「平和よみがえる南京」だったからといって、ただちに「南京事件」は「なかった」という論理にはならないわけですから。 ただし >もし万が一に漏らしちゃったとしても、それをそのままにして出てくるようなことは絶対にしませんよ。仮にそうなったら副官に着替えを持ってこさせてカメラマンを待たせて機内で着替えるに決まっています。あるいは、写真を撮らせないか上半身だけ撮らせるでしょうね。 →このご指摘には、強い説得力を感じています。 一方で、高山氏の発言にある >多分、機内のマッカーサーも「おお麻布小学校も南山小学校も旗を振っている」なんて見ているわけもない。有色人種が懸命にご主人様のために舞う。それを尊大に無視するのが白人の偉大さだと思っている。子供心にも忘れがたい屈辱だった。 →このあたりのくだりはリアルさを感じてもいます。 もし、本当に「失禁写真」を捏造したのだとしたら その事によって、逆に高山氏自身の「体験に基づく発言」の説得力も減殺されてしまうので、そうであるなら勿体ない話ですね。 しかり 私自身は、この部分に関してであれば、おそらく、それに近い内容の事実があったのだろうと想像しています。 あと個人的に気になったのですけど >彼は太平洋戦争がなければ初代フィリピン大統領になる予定でした。 →独立フィリピンの初代大統領に予定されていたのはマニュエル・ケソンだったように記憶していますけど、どうなんでしょうか? なお、余談ですが 高山氏の引用にあるアメリカの歴史学者マイケル・シャラーの『マッカーサーの時代』は、私も、よく三項にさせてもらっています。