- ベストアンサー
国語、算数、理科、社会
英語、技術、美術、音楽、体育 なんで? それぞれ理由を教えて頂ければ、幸いです。 【訊きたいポイント】・・・どうして、現行の義務教育のカリキュラムは、 そうなっているのでしょうか? 宜しくお願い致します。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
先生が大変だから。
その他の回答 (4)
- ddtddtddt
- ベストアンサー率56% (179/319)
自分の知っている範囲で言えば、次のようになります。 日本が明治維新を行い、富国強兵(列強になるんだぁ~!)を掲げたとき、モデルにしたのはアメリカではなく、イギリスやドイツに代表されるヨーロッパでした。今でもそうですが、アメリカは(謂わば)工学系の実学教育が強く、ヨーロッパはやはり自然哲学傾向が根強いように思えます。 自然哲学路線で行くと、とにかく「素養」が重視されます。とりあえず実用的でもないし、実学と直接結びつく訳でもないが、素養・教養を持った人間がそれ故に「何かに気づいて研究する」という状態になります。その「気づき」をもたらすのが、教養だと。何をすれば良いのか?、なんてわかる訳ないので、何にでも対処できる人間を育てるのだ・・・と。 自然哲学路線は個人的に、そんな風に受け取っています。現在ではずいぶん変わりましたが、自分も今では古臭い自然哲学路線の文部省要領で教育された口です。感想としては、ちゃんと考える態度さえ維持できれば、そんなに悪いものじゃなかった、という印象を持ってます。むしろ余りに実学に偏向する方が、ちゃんと考えられなくなる、という意味において不味いんじゃないかと・・・。 最後に、自分の専門は工学系ですから、実学の重みは十分に知ってるつもりです。
お礼
ddtddtddt様、ご回答ありがとうございます。 >「日本が明治維新を行い、富国強兵(列強になるんだぁ~!)を掲げたとき、モデルにしたのはアメリカではなく、イギリスやドイツに代表されるヨーロッパでした。今でもそうですが、アメリカは(謂わば)工学系の実学教育が強く、ヨーロッパはやはり自然哲学傾向が根強いように思えます。」 それぞれ、いろいろ議論があって、「一番佳いもの」を取り入れようとした、とかですね。 つまり「上から下へ」です。 >「自然哲学路線で行くと、とにかく「素養」が重視されます。とりあえず実用的でもないし、実学と直接結びつく訳でもないが、素養・教養を持った人間がそれ故に「何かに気づいて研究する」という状態になります。その「気づき」をもたらすのが、教養だと。何をすれば良いのか?、なんてわかる訳ないので、何にでも対処できる人間を育てるのだ・・・と。」 なるほど。 んで、「素晴らしい素質が有るから、それを伸ばせ」というより「ここがダメだから、それを直せ」という。まあ、佳く言われますよね。「標準化」する教育という。 >「自然哲学路線は個人的に、そんな風に受け取っています。現在ではずいぶん変わりましたが、自分も今では古臭い自然哲学路線の文部省要領で教育された口です。」 了解です。小生の頃も「飛び級」なんてのは有りませんでした。 >「感想としては、ちゃんと考える態度さえ維持できれば、そんなに悪いものじゃなかった、という印象を持ってます。むしろ余りに実学に偏向する方が、ちゃんと考えられなくなる、という意味において不味いんじゃないかと・・・。」 はい。「「いつまでも、昔のままで」というのは無理」というのは、伺ったことがあります。 >「最後に、自分の専門は工学系ですから、実学の重みは十分に知ってるつもりです。」 「上から下へ」というのが、イケませんよね。 私のような世代からすると、 「そんなふうに育てておいて「若者が悪い」とは何事だ」です。
- kazamidori360
- ベストアンサー率19% (25/128)
カリキュラムも何も 私を煽って揶揄してくる屑どもが多いのです。
お礼
kazamidori360様 まあ、とりあえず、小生の問いには、お応え下さい。
補足
「理想のカリキュラム」について、です。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
我が国は、明治維新後、西欧列強に対抗するため 国民の教育に力を入れるようになりましたが、 そこで中心になたのは「教養」でした。 それ以降、日本の教育は小学校から大学まで 教養中心主義になったのです。 つまり文化を基礎から底上げしようとした のです。 これに対し、中国は、実学中心の教育方針を 採用しました。 中国は、中華文明に絶対的自信があったので 西欧文化の導入には消極的だったのです。 そして、このカリキュラムですが、教養中心ながらも 技術や体育などの実学も導入した、ということに なります。 国語は、日本人としての連帯意識醸成の為に 必要です。 算数は科学技術の基礎です。 理科、社会、美術、音楽などは教養です。 英語や技術体育となると、実学に近くなります。
お礼
hekiyu様、ご回答ありがとうございます。 >「我が国は、明治維新後、西欧列強に対抗するため 国民の教育に力を入れるようになりましたが、 そこで中心になたのは「教養」でした。」 そうです!! 大学行っても、「教養」からです。 >「それ以降、日本の教育は小学校から大学まで 教養中心主義になったのです。 つまり文化を基礎から底上げしようとした のです。」 はい。 >「これに対し、中国は、実学中心の教育方針を 採用しました。 中国は、中華文明に絶対的自信があったので 西欧文化の導入には消極的だったのです。」 勿体ないね。 「出自は問わず、「利用」出来たもん勝ち」なんだから。 >「そして、このカリキュラムですが、教養中心ながらも 技術や体育などの実学も導入した、ということに なります。」 まあ、「戦後」のカリキュラムですけど。 >「国語は、日本人としての連帯意識醸成の為に必要です。 算数は科学技術の基礎です。 理科、社会、美術、音楽などは教養です。 英語や技術体育となると、実学に近くなります。」 ちょっと、珍しく異論を述べさせて頂きますと、 「理科・社会」は、基礎に含めたいと思います。 英語や技術体育が「実学」かと言うと、 ・・・オリンピックに出るなら、ですか。 それから・・・ 「家庭」ってのも有ったんです。 日本の義務教育って、どれだけ時代遅れなんでしょうか?
- bakamr
- ベストアンサー率32% (149/463)
文科省の定める学習指導要領に基づくものです。
お礼
bakamr様、ご回答ありがとうございます。 ということは、つまり、 「国民主権だから」 ということですね。
お礼
psytex様、ご回答ありがとうございます。 「人」を得たいものですね。
補足
地域には、いろんな先生が居て、生徒たちも、いろんなことを学びたいんじゃないかなあ?