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この国語の問題解けますか?
この国語の問題解けますか? まず、言語表現にたいする不信と絶望を前提にしなければ、作品に自己の全存在を賭けるなどという無謀な決意も、生まれてくるわけがないのである。 ふつう、日常が安定してみえるのは、表現と現実の一致感に支えられているからだろう。その一致感が破れた時、すなわち、表現に対する不信が生じたとき、ちょうどクモが巣のほころびを、つくろいはじめるように、作家も創作本能を働かせはじめるのだ。表現から逃げ去っていく現実を追って、あたらしいクモの糸を吐き出しはじめるのだ。 むろんそれも、破られたのと同じクモの糸である。けっして、鉄の糸でも、グラスファイバーの糸でもない。いくら、つくろい続けたところで、再び安定して日常を取り戻すことなど不可能だろう。不可能を承知で、しかもつくろいつづけなければならないのだ。いや、不可能だからこそ、つくろうという行為が、賭けるに足る仕事にもなりうるのである。…… 問い 言語表現は現実を絶えず取り逃がすが、それでも作家はその言語表現に賭けるしかない。 ↑は本文の内容に合致してますか?してませんか?
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- kzsIV
- ベストアンサー率53% (238/446)
「長文」の方は3回ほど読み直して理解できました。要約すると 言語表現によっては現実を必ずしも正しく捕えることができない。その乖離を修復しようとして、作家は創作に自己の全存在を賭ける。 ということです。 「問い」の方は何度読んでも、これだけでは意味が分かりません。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
他に選択肢のある選択問題でないのなら「合致」と回答していいでしょうね。 「つくろい“続けたところで”、安定して一致感を“取り戻すことは不可能”」≒「言語表現は現実を絶えず取り逃す」 「不可能だからこそ、つくろうという行為が、賭けるに足る仕事にもなりうるのである。」≒「賭けるしかない」 問題としていいかどうかとか、問題文内容をどうこういうものではないです。ただ国語のテストというゲームとして回答しております。
- tarohkaja
- ベストアンサー率29% (66/221)
例示された本文とやらが、論拠の曖昧な妄想のようなものだから、問いに言う見解みたいなものも訳がわからない。 言語表現に対する不信と絶望を前提として作品に事故の全存在を賭ける、・・・・無謀な決意、なんてなにを言っているのか。 「一致感」とはどういうことか。 これは国語の問題ではない。どこから持ってきたものか。
- kuzuhan
- ベストアンサー率57% (1585/2775)
問いが問いとして成立していないので解けるわけがありません。 問いは本文と答えとセットになっているものです。問いとは、問題を提起するということですから普通は疑問を呈する形で終わらなければならないですが、この問いはそうではありません。 この問いの前提条件が正誤を問う(〇か×か)ようなものであれば別ですが、単純に「問い」としているのですから、これのほかに答えの文章を求めるものになっていないといけません。
補足
すみません、正誤問題です。 本文に合致しているか否かを問われてます。