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この国語の問題解けますか!?
国語の問題です。 まず、言語表現にたいする不信と絶望を前提にしなければ、作品に自己の全存在を賭けるなどという無謀な決意も、生まれてくるわけがないのである。 ふつう、日常が安定してみえるのは、表現と現実の一致感に支えられているからだろう。その一致感が破れた時、すなわち、表現に対する不信が生じたとき、ちょうどクモが巣のほころびを、つくろいはじめるように、作家も創作本能を働かせはじめるのだ。表現から逃げ去っていく現実を追って、あたらしいクモの糸を吐き出しはじめるのだ。 むろんそれも、破られたのと同じクモの糸である。けっして、鉄の糸でも、グラスファイバーの糸でもない。いくら、つくろい続けたところで、再び安定して日常を取り戻すことなど不可能だろう。不可能を承知で、しかもつくろいつづけなければならないのだ。いや、不可能だからこそ、つくろうという行為が、賭けるに足る仕事にもなりうるのである。…… 問い 言語表現は現実を絶えず取り逃がすが、それでも作家はその言語表現に賭けるしかない。 ↑は本文の内容に合致してますか?してませんか?
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No.3の再訪。 作者名を教えていただきありがとうございました。 やはり大物でしたか。安部公房といわれれば,その文体に見えてきますね。
- Nakay702
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以下のとおりお答えします。 >言語表現は現実を絶えず取り逃がすが、それでも作家はその言語表現に賭けるしかない。 ⇒2つの間違いが含まれると思います。 (1)「言語表現は現実を絶えず取り逃がす」 →「言語表現は現実を取り逃がすことがある」。 (2)「それでも作家はその言語表現に賭けるしかない」 →「そういう場合、作家は、何とかして現実を捉えようと悪戦苦闘する」。 以上の(1)(2)をまとめるとこうなります。 「言語表現は現実を取り逃がすことがあるが、そういう場合、作家は何とかして現実を捉えようと悪戦苦闘する」。 しかし、まだ重要なことが抜けていると思います。 (3)「どう頑張っても、安定的に現実を捉えてそれを言語表現に載せることは不可能である。しかし、不可能だからこそ、価値もあるのだ」。 以上を通して(核心部分を)まとめるとこうなります。 「現実を捉えてそれを言語表現に載せるのに安定した方法はないが、それゆえにこそ作家にとってそれは価値ある仕事なのだ」。 ご質問の文章で、「最も力点を置いていること」は、実は、 上述の(1)(2)(3)のうちの、(3)である、と思います。
ついでに。 興味があるので,課題文の出典(作者名)が書いてあったら教えてください。たぶん芥川賞クラスの純文学作家だろうと思います。まちがっても猫探偵や夢枕カバではないだろう 笑。
むずかしいですね。だいたいは合っているようだし,細かいことをいうと適切ではない。 表現は,ある時点では現実(現代社会や現代人)を描写している。しかし,現代社会は時間とともにどんどん変化していき,その表現ではおさまりきれない現象が生じてくる。作家はそのむなしさを知るがゆえに,常に新しい表現をつむぎだしていかざるをえない。 まあ,ぼくが翻訳すれば,こんなことを言いたい文章なんでしょう。 つまり,「取り逃がす」というと,捕虫網をふりまわしたのに虫に逃げられたような感じがあります。しかし,虫はいちどは蜘蛛の巣にかかっているのですね。その糸をふりきって飛んでいってしまう。 「それでも」と逆接にするのもおかしいと,ぼくは思います。順接で「だから」,「それゆえに」とすべきじゃないですか。
- chie65536(@chie65535)
- ベストアンサー率44% (8741/19839)
>↑は本文の内容に合致してますか?してませんか? 当方の私見では「合致していない」と思う。 「言語表現は現実を絶えず取り逃がすが、それでも作家はその言語表現に賭けるしかない。」 ではなく 「言語表現は現実を取り逃がす事が往々にしてあるが、それでも作家はその言語表現に賭けるしかない。」 だと思う。 「現実を絶えず取り逃がす」は「オーバーに言い過ぎ」だと思った。
お礼
安倍公房さんの 消しゴムで書く-私の文学 です!!