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駕籠はいつ頃から姿を消したのですか。
明治時代になっても近距離の移動には駕籠が便利だったと思いますが、東京の街から駕籠が見られなくなったのは、いつ頃からですか。 近距離の移動で、駕籠に代わって登場した乗り物は何ですか。人力車ですか。 新聞記事か何かで確認できますか。 よろしくお願いします。
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noname#224207
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noname#224207
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noname#224207
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お礼
再度のご回答ありがとうございます。 明治中期においても営業用の駕籠が東京府中に存在していたことがよく分かりました。 ご教示の確かな資料で確認できました。 また、明治20-24年ごろ、運送賃銭が人力車より駕籠の方がざっと6倍も高かったことも分かりました。 運賃が、人力車登場時から駕籠より安かったのは全く意外でした。 しかし、後発の人力車が商戦上、駕籠より安くして勝負するのは当たり前なのか、と思いつきました。 >明治四年三月[新聞雑誌3月(1号)]「人力車の増えたのは値段の安いのと、速さとによるので、“以テ器械ノ効力(シルシ)ヲ見ルベシ。」 なるほど!! 一人を運ぶのに駕籠なら二人、人力車では一人ですみます。 二人乗りの人力車もありましたから、二人連れには便利です。 やっと、人力車が劇的に増えた理由が解りました。 「弔駕籠」は全く知りませんでした。 子どものころ、田舎の葬式で何度か見たはずですが思い出せません。 駕籠にこのような用途があったとは驚きです。 また、病人は駕籠で運ぶこともあったのですね。 駕籠なら「なるべく、そうーっとお願いします」と頼めばよさそうです。 お蔭様で疑問は解消しました。感謝申し上げます。