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牛車っていつごろなくなったの?
平安時代、光源氏が乗っていたような牛車はいつごろまで使われていたのでしょうか? 農民や商人が牛に引かせた荷車ではなく、貴人の乗り物としての牛車です。 武士は馬や駕篭に乗っていたイメージがありますが、実際のところはどうだったのでしょう。 また京の都以外の土地では牛車は使われていなかったような気がしますが、そのあたりもどうなのでしょう。 貴族たちは鎖国が解かれて、馬車や自動車が登場するまでは牛車をつかっていたのでしょうか。 それともやはり駕篭を使っていたのでしょうか。
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>牛車はいつごろまで使われていたのでしょうか? 室町幕府(家光は記録がありますが)義政まででしよう。 将軍といっても、参内する時は牛車だったようです。 道路事情が悪い地方では、牛車に代わって「輿」に乗っていました。 木製タイヤで牛が引ける牛車は、地方では使い物になりません。 >武士は馬や駕篭に乗っていたイメージがありますが、実際のところはどうだったのでしょう。 平家の棟梁・源氏の棟梁又は将軍は(参内の場合)畿内までは「馬」「輿」「籠」に乗り、畿内からは牛車でした。 その家臣は、馬・徒歩です。 やはり道路事情と、スピードが原因でしよう。 (馬と言っても、サラブレッドでなく日本馬です) >京の都以外の土地では牛車は使われていなかったような気がしますが、そのあたりもどうなのでしょう。 先に述べた通り、道路事情その他で牛車は使っていなかったようです。 ただ、応仁の乱を避け、領地の四国・宿毛に逃れた「一条家」は、京文化を懐かしんだのか、館を御所と命名し、地名を京風に改めました。飾りだったのか牛車もあったようです。大文字焼きもありますよ。^^; 公家文化に憧れていた、駿河の今川家も同様です。 確かな事は、実用的でなかった事ですね。 一条家では、戦国大名化し、馬に乗って戦い、滅んでいます。 お歯黒武将である今川家は、輿と馬を使っていたようです。 (史実では、乗馬の方が多いです) >貴族たちは鎖国が解かれて、馬車や自動車が登場するまでは牛車をつかっていたのでしょうか。 幕藩体制になると、天皇家・公家は自前の収入が無くなります。 幕府から毎年「10万石が支給され、うち3万石が天皇家、残りが公家」です。 牛車自体の運営費にも困っていたようですね。 基本的に、天皇家・公家は「御所近辺」を出る事はありません。 牛車を使う機会は、少なかったようです。 幕末、孝明天皇は幼い皇太子(明治天皇)の手を引いて、町の駄菓子屋でお菓子を買ったとの記録があります。 公式行事以外は、徒歩なんでしよう。
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- fumkum
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>牛車っていつごろなくなったの? 文久3年の資料になりますが、加茂祭(葵祭)の浮世絵の中に牛車を用いたものがあります。祭りに関しては、現在でも葵祭に使われていますから、現在でも使われていることになるのでしょう? これに対して、「将軍家茂公御上洛図」(文久3年)の賀茂神社行幸図に、牛車らしきものが描かれています。牛は見えないのですが、牛車の様式ですし、輦(てぐるま)ではないようです。同じ御所・紫宸殿参内図も轅・軛の様子が違いますが、形状から言って、牛車だとと思います。 大正元年の明治天皇御大葬の図にも描かれているので、維新後も維持されていたようです。 以上、参考まで。 http://www.isop.ne.jp/atrui/ushi/03_back/ukiyoe/ukiyoe06.html
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回答ありがとうございました。 参考URLを見てみました。 やはり江戸時代でも常用としての牛車はなかったようですね。
- tanuki4u
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源平盛衰記に木曾義仲が 牛車に乗れずに苦労するという話があるので、平安末期には、京都にはあったが、田舎にはなかったということが推測されます。 八瀬童子は、後醍醐天皇を輿に乗せて延暦寺に逃げた。 道路の整備されていないところは 輿 ですね。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/kyoto-kyoto.htm 御牛車1輌=慶長年間(1600年頃)、後陽成天皇御寄付。 ブツとしてはあったようです。
お礼
回答ありがとうございました。 >田舎にはなかった ある程度広い区域が舗装されていないと、徒歩移動の方が簡単ですものね。 おもしろいHP、ありがとうございました。 すごい人がいるものですね。
- toto07
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限定的な答えになってしまいますが、 >京の都以外の土地では牛車は使われていなかったような気がしますが ということに関しては、今のように道がきちんとアスファルトで舗装されているわけではないので、牛車を現実問題として引くことが出来るのが京の都など限られた場所だけだったという話は聞いたことがあります。 車輪だって空気の入ったタイヤを履いているわけではないので、駕篭のほうがはるかに乗り心地はよかったと思われますしね。
お礼
ありがとうございました。 そうですね、舗装の問題が大きいでしょうね。 平安時代でも滋賀への物詣でなんかは輿ですものね。
お礼
やはり牛車は都限定のようですね。 元は貴族の使用人である武士にとって、牛車は一種のあこがれや敬意を感じるものだったのかもしれませんね。 徒歩で駄菓子屋!? そんなくだけたこともできたんですね。 (それだけ権威がなく、困窮していたとも言えるのかな?) 「現人神」としてものすごく敬われていたイメージがありましたが、それってもしかして近代になってからのことなんでしょうか。 調べてみたらもっとおもしろい話もありそうですね。 ありがとうございました。