江戸時代の駕籠について
かねがね不思議に思っていたのですが、江戸時代の殿様などは移動の時に駕籠を使っていたと思います。ただ駕籠というのは前後に担ぐ人がいて、駕籠がぶら下がっている状態になります。これだと担いで歩く人も重くて大変だし、乗っている殿様もゆらゆら揺れて乗り心地が悪いと思います。結構酔ってしまう人もいたはずです。
ここで疑問ですが、なんで車輪のついた乗り物がなかったのかが不思議です。大八車のようなものに箱を載せれば乗り物になるくらい分かりそうなものですが、なんでそれがないのか不思議です。平安時代だって牛車があるし、その知恵がないはずはなかったと思うのです。ただ幕末に書かれた福沢諭吉の福翁自伝に、諭吉がアメリカに行ったときに馬が車輪の付いた箱を引いているのを見て、それが人を運ぶ馬車だと分からなかったとの記述があります。なので、当時は人を車輪のついた物で運ぶという概念がなかったのかもしれませんし、人力車も江戸時代にはなかったのかもしれません。
いずれにしても、駕籠という乗り物がいかにも人を運ぶには非効率的に思えてならず、馬車や人力車を使わなかったのか理由を知りたいです。
どうでもいい疑問ですが、よろしくお願いします。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 明治中期においても営業用の駕籠が東京府中に存在していたことがよく分かりました。 ご教示の確かな資料で確認できました。 また、明治20-24年ごろ、運送賃銭が人力車より駕籠の方がざっと6倍も高かったことも分かりました。 運賃が、人力車登場時から駕籠より安かったのは全く意外でした。 しかし、後発の人力車が商戦上、駕籠より安くして勝負するのは当たり前なのか、と思いつきました。 >明治四年三月[新聞雑誌3月(1号)]「人力車の増えたのは値段の安いのと、速さとによるので、“以テ器械ノ効力(シルシ)ヲ見ルベシ。」 なるほど!! 一人を運ぶのに駕籠なら二人、人力車では一人ですみます。 二人乗りの人力車もありましたから、二人連れには便利です。 やっと、人力車が劇的に増えた理由が解りました。 「弔駕籠」は全く知りませんでした。 子どものころ、田舎の葬式で何度か見たはずですが思い出せません。 駕籠にこのような用途があったとは驚きです。 また、病人は駕籠で運ぶこともあったのですね。 駕籠なら「なるべく、そうーっとお願いします」と頼めばよさそうです。 お蔭様で疑問は解消しました。感謝申し上げます。