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江戸時代の駕籠かきについて

時代劇の1シーンで客を乗せて 「エイッホッ、エイッホッ」 と走る駕籠がよく登場しますよね。 早駕籠じゃなくて、街を流している駕籠です。 思ったのですが、軽量の樹脂なんて存在しない時代ですから、まず駕籠自体が数十キロあると思うんですね。 それと客の体重が約50kgあるとして、総重量は100kg近くになりますよね。 これを二人の人間が肩に担いで、全力とは言わないまでも、少なくとも歩くより早い速度で客を運ぶわけですよね。 皆さん、約50kgの重量を片方の肩に受けて、調子よく 「エイッホッ、エイッホッ」 とやれますか? それも客の目指す場所まで休憩無しで運ぶんですよ。 おそらく今だったら、プロレスラーか、ハンマー投げの室伏選手くらいの体力がなければ無理じゃないでしょうか? 江戸時代の駕籠かきって、そんなマッチョ並みの体力があったのでしょうか?

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  • sqwe-ir
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回答No.7

江戸時代の平均身長は、成人男子で150~160センチですが、 米俵(60キロ)これは平気で担いだようです。 100キロでも、2名分担なので1名50キロを担ぐ計算にはなります。 今の人間でも、殆どの男子は、バーベルを担いで練習すれば、この程度の重さは担げるようになりますが、 肝心の持久力(これを担いで走り抜ける) これは相当な慣れが必要で、 実際には慣れるまで馬車馬のような訓練をするのは相当なクレームや問題が起こるので行えないのが実情です。 武士の場合でも、釣竿の重さをわざと重くし、刀の重さより重くし、持ち続ける。 重さを競い合うなど、絶えず武芸に通じるよう心がけ、励むのが普通であったようです。 でっち奉公の子供の場合も、1斗(18リットル)2個(計40キロ相当)を棒の両端にぶら下げて倉に出し入れは当たり前で、ささいな飯でこの体力を養っていました。 駕籠屋は、間接痛やヘルニアが多く見受けられ、心臓の病も多かったようで、中年以降相当な苦労があったようです。 プロレスラーの場合、150キロのバーベルは背負うと思います。 60キロ以上のバーベルを持ち上げるでしょう。 この観点では、 必要以上の重さは担がない駕籠屋は太刀打ちできないでしょう。 彼らが相撲で食わない所で、人の数倍力が無かったのが伺えます。 しかし、一般町民の中では力持ちの部類で、街中では立場は良かったでしょう。 しかし、客商売ですので、乱暴は思ったより働けず、上客層に対しては頭が上がらなかったのが実情でしょう。

Nihao-Annyon
質問者

お礼

有難うございました。 なるほど、駕籠かきには関節痛やヘルニヤが多かったんですねえ。 実際に駕籠に客を乗せて走ると、結構、腰や膝にきそうですよね。 とても面白かったです。

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その他の回答 (6)

  • junt
  • ベストアンサー率38% (97/254)
回答No.6

 昔の人は力があった、というか忍耐力・持久力が今とは全然違っていたんですね。  60年前の太平洋戦争時、日本陸軍の主力は歩兵で95%以上が歩兵の軍隊だったのですが、歩兵は最悪の兵種で40キロ~60キロの荷物を背に1時間5キロのペースで1日20キロ以上行軍していたのです。風雨の日も、灼熱の日も、酷寒の日も、あの広い支那大陸を驚異的なハイペースで歩き続けていたのです。  ほぼ自分の体重と同じ重さの荷物を担いで、大陸を移動していたなんて考えられますか?

Nihao-Annyon
質問者

お礼

なるほど、昔の人は体力があった事が分かりますよね。 有難うございました。

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  • No51
  • ベストアンサー率18% (25/136)
回答No.5

昔のセメント袋は60kgで、 それを2個いっぺんに担ぐ人も いたそうですから、ありえない話では無い、 と思いますよ。 参考URL:は明治時代の話で、駕籠の話では 無いですが、参考までに。

参考URL:
http://homepage1.nifty.com/long-life/ieshige/040829.htm
Nihao-Annyon
質問者

お礼

とても面白いサイトをご紹介頂いて、有難うございました。 肉食になると体力が劣るというのは、驚きですよね。 何となくスポーツ選手などは肉をバンバンというイメージがあるのですが、実際にはスタミナや体力を落としているのかも知れませんね。

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  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.4

町駕籠の正確な重量は判りませんが、竹や筵で作られたもので担ぎ棒をいれてもそれほどの重量にはならないのでは・・・ 体力が優れていたのは確かで、かけ声は歩調を揃える意味があり、息杖の反動も利用して速歩で進みます。 緊急でそれ以上の速度を要求する場合は駕籠宿に事前に通告して肩代わりの人足や先棒を引っ張る人足を用意しました。 大名駕籠のように重量のある場合は通常4名で担ぎ、肩代わりの者もいます。 戦時中の体力検定では60Kgの加重を担ぎ上げ全力疾走したそうですからかなりの体力が基準値だったと思われます。

Nihao-Annyon
質問者

お礼

なるほど、駕籠自体はそれほど重くなかったかも知れないんですねえ。 有難うございました。

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  • hukuponlog
  • ベストアンサー率52% (791/1499)
回答No.3

あったんです。江戸時代の男性の平均身長は160cmを欠ける程度ですが、小柄でも鋼のような筋肉を持っていたようです。駕篭かきではありませんが、江戸時代後期、浅草から川越(埼玉県)まで船が通っていました。この船は40人程度の乗客を乗せて川を遡上します。ある程度までは上げ潮と川風で遡上できますが、それも限度があります。その場合どうすると思いますか? 川の両岸から綱をつけて、流れに逆らって引っ張るのです。その人たちは一日に4升の米を食べていたそうです。 また、現代では自衛隊の連中なんか、30~50kgある土嚢をかついで結構な速さで走ります。私には想像もできない世界ですが、機械が無かった当時はそれはそれで当たり前の事だったのではないでしょうか。

Nihao-Annyon
質問者

お礼

有難うございました。 そうなんですか。 機械化されていない時代の人は一般人でも力が強かったんですねえ。 でも、一日に4升の米ですか ・・ 今だったら相撲取りでもギブアップする量ですよね。

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回答No.2

よく工事現場なんかで担いで運んでいる袋詰めのセメントがひとつ40kgですからそれから考えるとそこまでとんでもない体力は必要ないのではないでしょうか?

Nihao-Annyon
質問者

お礼

有難うございました。 そうですねえ、40kgくらいのセメント袋なら、今の大人でも何とか担げると思うのですが、駕籠となると実際にやれば右や左にユラユラ、相方との相性というか息もあるでしょうが、すごい足腰の力がいるように思うんですね。

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  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

江戸時代の駕篭かきはかなりの体力があったようです。 町駕籠の話ですが、金持ちが駕籠に乗って途中で昼食時間になったので自分の弁当を彼らにも分けたら(もちろんお金持ちの弁当ですからかなり豪華なものです。)駕篭かきが言うには「ご馳走してもらってこんなことを言うのはなんですが、あっしらこの程度のものを食べていたんじゃ駕篭かきなんかやってられませんや。」といったそうです。 彼らはいつも半裸ですが小雪がちらついても彼らの体についた雪はすぐにとけてしまったともいいます。

Nihao-Annyon
質問者

お礼

有難うございました。 駕籠かきって相当体力があったんですねえ。 そう言えば、絵なんかで見る駕籠かきは大体半裸ですよね。 寒くなかったんでしょうねえ。

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