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秀吉後の豊臣政権

 豊臣秀吉は関白就任をもって天下人となり、 関白職を秀次に譲った後も太政大臣として政権を 運営する法的根拠がありました。  秀吉亡き後、豊臣政権は五大老五奉行制で運営されて 行くのですが、この人たちが政権を担う法的根拠とは 何だったのでしょうか。  秀頼が成人後に関白に就くという前提で、朝廷に黙認させて いたのでしょうか。

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  • notnot
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回答No.3

朝廷の法での法的根拠ということならないでしょう。 義昭追放後の信長もそうでした。 対抗勢力が無い限り、別に法的根拠は無くとも良かったわけです。 秀吉の場合は、かつての同僚や目上の武将の上に立つために法的根拠が必要でした。

popps
質問者

お礼

いわゆる軍事政権のようなものでしょうかね。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • ithi
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回答No.2

popps さん、ithiです。秀吉は対抗として調停では天皇以外、比べ物にならない権威を持っていました。もちろん、秀頼成人の暁には関白、もしくは摂政の位を朝廷に要求する手はずになっていたはずです。

popps
質問者

お礼

 しかし関ヶ原の前、三成は小早川秀秋に「秀頼さま成人まで関白の地位を 任せる」というような甘い言葉で秀秋を味方にしています。関白の地位なんてのは、どうとでもなるのでしょうね。 回答ありがとうございました。

  • ithi
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回答No.1

popps さん、こんばんは。 これは言うまでもなく、秀次政権に対する反省から出た組織制です。秀吉の遺言ですね。 五大老五奉行制 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%A4%A7%E8%80%81

popps
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

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