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豊臣政権の三中老について

豊臣政権には五大老・五奉行の他に三中老がいたそうですが、彼等はどんな役割を担ったのですか?なぜ山内一豊は、中老に選ばれなかったのですか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.3

三中老、明確にそういった役職があったかどうか大変怪しいです。 彼らの役割は豊臣家の家中の宿老として五大老と五奉行が意見対立した場合の仲裁、 そして実際に記録に残った活動が「会津征伐延期を勧告する書状」です。生駒親正・堀尾吉晴・中村一氏・前田玄以・増田長盛・長束正家6人の連署です。 その書状に宿老の中でなぜか一豊がいないってのは、それはすでに家康に取り込まれていたからでしょう。 一豊がどの段階で家康に取り込まれていたかはよくわかりません。他の3人と一緒に三中老と呼ばれるような役割を担っていた時代があるのかもしれませんし、初めから少し他の3人とは距離感があり家康に近かったのかもしれません。

kiyurohi88
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

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その他の回答 (2)

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (415/1290)
回答No.2

中老などの組織は存在してません。 山内一豊は豊臣秀吉の家臣で加藤清正、福島正則より、下位の 存在です。

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8469/18132)
回答No.1

三中老は制度化されておらず後世の作り話だろうといわれています。 五大老と五奉行との意見が合わないときの仲裁役であったとされています。

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