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豊臣秀吉の関白任官について。
朝廷は豊臣秀吉と秀次の2代続く関白の任官をどう思っていたのでしょうか? 関白だけでなく征夷大将軍など他の官職も天皇と五摂家の判断ですが。 身分の低い秀吉と秀次に関白と太政大臣の任官したくなかったでしょうね。 回答お願いします。
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関白相論でググルと出てきます。また似たような話で信長の三職推任問題もあります。 結論から言うと朝廷は身分の低い秀吉を右大臣以上の高位ではじめから迎えようとしています。京を守る実力と、祭祀や暮らしを成立させる経済力が無いからです。支配者と良好な関係を維持するために高位で迎えないといけないことは当然認識し自らその方向で動いています。 ですので身分が低くて鼻につくかもしれませんが、朝廷として秀吉を高位で迎えたくないという発想はありません。この部分では全会一致だったでしょう。ただ当然秀吉がトップ3のどこかに入ればトップ3は現在の地位を失うわけで、壮絶なババヌキが始まります。思いは自分が損したくないということだけです。
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- ichikawa2017
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>身分の低い秀吉と秀次に関白と太政大臣の任官したくなかったでしょうね。 問題は誰が任官したくなかったのかということです。 確かに出自の卑しい秀吉が関白という称号を手に入れて最大限に利用したことは間違いがありません。 利用することを承知の上で称号を与えたのは朝廷側にもそれなりの利用価値があったのであろうと考えることができます。 当時、正親町天皇(おおぎまちてんのう)と信長との間に確執があったとされています。 正親町天皇(おおぎまちてんのう)にすれば信長よりも秀吉の方が好ましかったのではないかと推測する歴史学者もいます。 信長が暗殺された本能寺の変も正親町天皇(おおぎまちてんのう)を中核とする朝廷側の策略だったのではないのかと考えられています。 本能寺の変に関する朝廷側の記録が皆無といわれるほど少ないことがこの策略説を裏付けているとする歴史学者もいます。 本能寺の変直後の秀吉の行動から秀吉は正親町天皇(おおぎまちてんのう)と通じていて事前に知っていたのではないかと考える人もいます。 これ等の説に従えば「任官したくなかった」人は少数派だったであろうということになります。 出自と伝統を大切にする公家としての正論を持っていた人がいてもあいにく自論を通すだけの権力も政治力もなかったということは政治の世界のことですので充分考えられます。 参考 天下人豊臣秀吉は天皇家を崇拝する勤皇家だった!ホント? | 歴史 ... http;//rekishizuki.com/archives/1510
お礼
回答ありがとうございます。 昔朝廷が織田信長の力を危険とみなし、朝廷と明智光秀が密約して謀反おこした朝廷黒幕説を知った事があります。 まだ明智光秀の謀反の原因が分かりませんが、可能性としてあるかも(;^_^A 回答ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 武家が朝廷よりも武力(軍事力)も持っていらい、朝廷の存在や立場は不安状態でしたので、時の武家の天下人の庇護は重要でした。 朝廷からすれば武家の力に頼るのも屈辱かもしてませんが、しかたないですよね。 回答ありがとうございました。