• 締切済み

「月日は百代の過客にして」は、誰の言葉なのですか?そして、どういう意味ですか?

「月日は百代の過客にして」という言葉をヤフーの掲示板で見ました。 いい言葉のように思いましたが・・・誰の言葉なのですか?そして、どういう意味ですか? 教えてください。

みんなの回答

  • corochan
  • ベストアンサー率40% (24/60)
回答No.7

【月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり】松尾芭蕉の【奥の細道の発端(元禄2年3月27日<旧暦>)】の冒頭文です。 文の意味は、【月日は百代(に渡って)の旅人であり、来ては去る年々もまた(同じ様な)旅人である。】です。

  • apple-man
  • ベストアンサー率31% (923/2913)
回答No.6

No.5のご回答参考URLに少し説明がありますが、 これは中国、唐の時代詩人、李白の『春夜宴桃李園序』の「夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客」 (天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客なり) を意識して作られたものです。 過客:旅人 逆旅:旅人を迎えるもの。つまり宿屋。  李白の詩に出てくる光陰は、光陰矢の如しと 同じで、光→日、陰→月を意味し、芭蕉は 月日と読み替えたんですね。  詩は当然、漢詩などの教養の深い人が 読むだろうという事で、芭蕉は多分以下の ように考えていたんだと思います。  李白の詩に 天地は万物の逆旅、 光陰は百代の過客なり というのがありますが、私(芭蕉)は、 月日(光陰)は百代の過客で 行かふ年も又旅人なんだと思います・・・ と言った感じです。

  • miumiumiu
  • ベストアンサー率21% (715/3385)
回答No.5
回答No.4

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。 意味 月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。

  • fine_day
  • ベストアンサー率70% (6285/8867)
回答No.3

“月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也。” 松尾芭蕉の書いた「奥の細道」の冒頭部分です。 『月日は永遠の旅人であり、行き交う年もまた旅人だ』という意味合いです。 http://www.asahi-net.or.jp/~ET2S-AKB/basho/hosomichi1.htm

参考URL:
http://www.asahi-net.or.jp/~ET2S-AKB/basho/hosomichi1.htm
  • shy00
  • ベストアンサー率34% (2081/5977)
回答No.2
回答No.1

松尾芭蕉の有名な「奥の細道」の書き出し部分です。