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松尾芭蕉の奥の細道「旅立ち」で、

松尾芭蕉の奥の細道「旅立ち」で、 月日は百代の過客にして~面八句を庵の柱にかけおく。 ここまでを現代的仮名遣いに直せません!! どなたかわかる人いませんか??

質問者が選んだベストアンサー

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  • fumkum
  • ベストアンサー率66% (504/763)
回答No.2

つきひははくたい(はくだい)のかかくにしていきかうとしもまたたびびとなり。ふねのうえにしょうがいをうかべ、うまのくちとらえておいをむかうるものはひびたびにしてたびをすみかとす。こじんもおおくたびにしせるあり。よもいずれのとしよりかへんうんのかぜにさそわれてひょうはくのおもいやまず。かいひんをさすらえ、こぞのあきこうじょうのはおくにくもの(ふる)すをはらいてややとしもくれ、はるたてるかすみのそらにしらかわのせきこえんとそぞろがみのものにつきてこころをくるわせ、どうそじんのまねきにあいてとるものてにつかず、ももひきのやぶれをつづり、かさのおつけかえてさんりにきゅうすう(ゆ)るよりまつしまのつきまずこころにかかりて、すめるかたはひとにゆずりさんぷうがべっしょにうつるに くさのともすみかわるよぞひなのいえ おもてはっくをはしらにかけおく 以上、参考までに。

teliamato
質問者

お礼

ありがとうございます!! わかりやすくてとっても助かりました^^ 授業で暗唱するとのことだったので、 これを参考に覚えさせていただきます^^ノシ

その他の回答 (1)

  • spring135
  • ベストアンサー率44% (1487/3332)
回答No.1

月日は百代にわたって旅を続けて行くものであり、来ては去り去っては来る年々も、また同じように旅人である。舟の上に身を浮かべて一生を送り、旅人や荷物を乗せる馬をひいて生涯を過ごし、老年を迎える者は、日々が旅であって、旅そのものを常のすみかとしている。風雅の道の古人たちも、たくさん旅中に死んでいる。わたくしもいつのころからか、ちぎれ雲を吹きとばす風にそぞろ誘われて、漂泊の思いが止まず、この年ごろは、海のあたりをさまよい歩き、昨年の秋、隅田川のほとりの破れ家にもどり、蜘蛛の古巣を払って久しぶりの住まいにようやく年も暮れたのだった。が、新しい年ともなれば、立春の霞こめる空のもとに白川の関を越えたいと願い、そぞろ神にとりつかれて物狂おしく、道祖神の旅へ出てこいという招きにあって、取るものも手につかない。股(もも)引きの破れをつづくり、笠の緒をつけかえて、三里に灸をすえると、もう心はいつか旅の上-松島の月の美しさと、そんなことが気になるばかりで、二度と帰れるかどうかもわからない旅であるから、いままで住んでいた芭蕉庵は人に譲り、杉風(さんぷう)の別荘に移ったところ、

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