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方言を2つ使う意味
日本の方言を2つ使うと何かあるでしょうか? 例えば、名古屋周辺の方言を覚えると母音が8つであるとか。
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- hue2011
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世界が広がるということがあります。 自分が暮らしたことがない地域に行くと、ほとんどの会話は聞きとれるけれど、なにかしらの部分が全然わからないことがあります。 それを理解できなくても命にかかわることはありません。 でも聞き取れたのであれば、その人を、ほんのちょっとだけさっきより深く理解できたと言うことになります。 そこの地域の人たちだけで話し合われている場合、とりつく島もないというような外国語的な感覚になります。 何について語っているかは了解しているけど、何が語られているかが全然わからない。 わからないなあと思ったらそこで自分とそのひとたちとの間に壁が作られています。 このことは根の深い、紛争の種になりかねません。 西欧の国がアジアに訪れたときそういう状況だったでしょうけど、こいつらは文明のない低レベルの連中だと思い込み見下したわけです。 そりゃ、彼らが勝手に大事に思っているキリスト教なんか知らないなら、未開人と思うかもしれません。 それは会話が成立しないから加速する差別感です。で、奴隷にしたり不平等条約でだましてうまい汁を吸いまくったりしたわけです。 言っている意味、考えている価値観がわかれば、国と国という対等の立場で会話ができ、尊重し合うことが可能なはずです。 これは人種差別の話になっていきますが、同じ民族であっても、言葉が違うとそうなりかねない。 隣の国の話は一応置いておいて、方言ということを言います。 今は割合いろいろな地域の方言がテレビラジオで使われたりしますから、聞き取りにくい言葉は減っていると思います。 だけど、ほんの数十年前ぐらいまではそうでもなかった。 「標準語」という、NHKのアナウンサーのことばが正しい日本語だという刷り込みが教育機関で行われ、転校してきた生徒がなまっていると「標準語を使いなさい」などと言ったりしたのが普通でした。 これは東京弁をもとにつくられていますけど、江戸弁では全然ないし、東京の言葉自体でもなかった。 東山千恵子なんていうひとが幼いころ使っていた東京弁は変格にきわめて厳しく、「そうですわ」などと言ったらばしばし叱られたというものでした。 東京の中でも山の手、下町、漁師町、宿場町で言葉が違ったのです。 何が正しいのかどうかという議論は、井上ひさし「國語元年」で熱っぽく語られていますが、ああいう大混乱の中で「とりあえず」決めたのが標準語です。 標準語しかわからないというのは、だから教養が低いと言うことになります。 方言をいくつか知っているというのが、国語としてはある程度求められる素養と言うことになります。 にも拘わらず、最低限日本人なら標準語でしゃべれなければならない、などというおかしな擬似教養感覚が生まれたわけです。 そう思いませんか。 さればさ。 この「さればさ」の意味わかりますか。これは江戸弁なんです。forなのかagainstなのかわかりますか。言っている人間の気分がわかりますか。 江戸弁すでに方言です。標準語ではありません。 方言として、何を考え何を言いたいのかを理解しよう、理解したい、というのがコミュニケーションの根本です。 方言をどれだけたくさん知っているかというのが、その人の人間性にかかわるというのがご理解いただけるでしょうか。 どっかの方言が母音の種類が多いとかそういう話は、中国語が四声という特殊な音声観で構成されるのを知るというのと同じ程度の話です。 それを知ったから英語が達者になると言うことではありません。 ただ、その言語がそうであるという理解をした上、別の言語を考えたらそこには何かの発見があっておかしくないということす。
- SPS700
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1。方言を2つ使う意味 別にないと思います。 2。日本の方言を2つ使うと何かあるでしょうか?例えば、名古屋周辺の方言を覚えると母音が8つであるとか。 普通のアイウエオに、寒い、青い、赤い、に見られる3個を足したものです。 僕の甥は小さい時、毎日のチャンバラごっこに、夏休みにやってきた従兄弟たちに合わせて三つ以上の方言を操っていましたが、何てこと無いと思います
お礼
経験をもとにありがとうございます。 たしかに新たな意思疎通が広がるなどはないですよね。 ご回答ありがとうございます。
お礼
H変種やL変種の話ですね。 言語にはイメージがついて回るということで。 言語と方言の差もむずかしいですが、方言が多いことがどのような豊かさがあるのか疑問点になるかもしれないです。 ご回答ありがとうございます。