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フス戦争の戦術はなぜ継承されなかった?

中世ヨーロッパにおいて,フス派キリスト教徒が中心となった,いわゆる「フス戦争」では, ターボル派のワゴンブルク戦術が大きな効果を上げました。 とんでもなく大成功した戦術なのですから,マネをする勢力があってもおかしくないと思いますが, 「フス戦争」のあと,ワゴンブルク戦術をマネする勢力がいなかったのは,なんででしょうか? 中世の騎士が真似しなかったのは,階級意識によるものかもしれませんが, 近代に近くなったら,オランダのオラニエ公や,スウェーデンのグスタフ・アドルフ王 あたりなら,取り入れてもよかったように思うのですが,なぜ,取り入れなかったのでしょうか。

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  • eroero4649
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回答No.1

戦史には結構詳しいつもりでしたがワゴンブルク戦術というのは知りませんでして、調べてみたら「乙女戦争」ってマンガですかね、それに取り上げられたのかな? https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AF%E3%82%B4%E3%83%B3 Wikipediaにもあるように、中国を始め洋の東西を問わず同じようなことを考える人はいます。しかし主流に至らなかったのにはいくつか理由があります。 ・管理が大変 ・平地でしか使えない ・展開に時間がかかる ・小回りがきかない ・馬がやられるとアウト ヤン・ジュシュカとフス戦争についてはあまり詳細を知らないのですが、ワゴンブルク戦術が有効なのは極めて限られた場面だったと思いますし、質問者さんが思っているほど絶大な効果といえるほどのものでもなかったと思います。 「乙女戦争」はネットで画像が拾えた程度に目を通しましたが、まあマンガらしい演出がされていますからね。実際にはあんなバカ正直に騎兵で突撃はしないですよ。 しかしウォーワゴンは現代にも引き継がれていると思います。そうです、戦車ですね。考え方としては同じです。ただ馬に曳かせるスタイルである以上、馬がやられたら動けなくなるわけですから、内燃機関の登場によってようやく強力な兵器になったといえるのではないでしょうか。 またグスタフ・アドルフの時代とヤン・ジュシュカの時代では200年の差があります。その間に鉄砲と大砲が多いに発達しましたので、大砲が長射程、軽量となったアドルフ公の時代にはこれは役に立たないですね。木製の馬車は大砲に難なく破壊されますし、それを防ぐために鉄板でも貼ったらやたら重くなって移動が大変になります。 それに、アドルフ公は性格的にも非常に攻撃的な人で、そもそもこの人が軍人として革命的だったのは大砲をわざと軽量、小口径にしてそれを前面に押し出して攻撃的に運用したことです。それまで主に防御兵器として考えられていた大砲を攻撃兵器として使うところが画期的だったのですね。性格的にも熱血漢だったらしいので、防御兵器なんて興味なかったようにも思いますね。だって、自分からわざわざ祖国を出て人の国で戦ってるのだもの。ステイタスは攻撃に全振りだったんじゃないかしら・笑。 だから、当時のスウェーデン軍は損害も大きかったし他ならぬアドルフ公そのものが戦死しています。安全な後方にはいたがらない人だったのです。後にヨーロッパではまた砲兵を攻撃的に利用して戦場に革命を起こす人がいるのですがそれがナポレオンです。 私たち日本人は根っこの性格が防御的ですから、「防御が完璧なら勝てる」と思うのですが、基本的に戦争(戦闘)って守ってるだけじゃ勝てないのです。むしろ、ガンガン攻めていかないといけないんですね。ヤン・ジュシュカも決してワゴンブルク戦術でひたすら守っていただけで勝ったわけではないと思いますよ。

yoshida39
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 とても勉強になりました。

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