マリア・テレジアのハプスブルク家ですが、1273年にハプスブルク伯ルドルフがドイツ王となったのが世に知られる最初です。
その後ハプスブルク家はオーストリアに勢力を広げ、1308年にドイツ王と皇帝の称号を失いましたが、オーストリア大公として着実に成長し、1438年にアルプレヒト2世がドイツ王になってからはドイツ王位を完全に世襲化することに成功し、1508年にマクシミリアン1世がローマ教皇から戴冠を受けずに皇帝を名乗り始めます。
そして婚姻関係からハプスプルク家はブルゴーニュ公国領ネーデルランドとスペイン王国、ハンガリー王国、ボヘミア王国を継承し、皇帝カール5世のもとでヨーロッパの大領土を実現しました。
このカール5世の後、カールの弟フェルディナンドが神聖ローマ皇帝位オーストリアとハンガリー、ボヘミアを譲られたのが、オーストリアハプスブルク家です。
さて皇帝カール6世ですが、世継ぎの男子が早世したため娘ばかり2人しかおらず、オーストリア・ベーメン・ハンガリーなどハプスブルク世襲領の相続を各国に認めさせるも、皇帝の称号は取り上げられます。
さてこの状況で
プロイセン:相続を認めるので隣接するシュレジエンが欲しい。
バイエルン:俺こそが正当な後継者である。バイエルン選帝侯(皇帝カール7世,在位1742~45)が主張。
フランス:プロイセン、バイエルンに味方するから、ネーデルランドをお礼にください。
イギリス・オランダ・ザクセン:敵(フランス)の敵は味方。
お礼
利害関係とてもよくわかりました!ありがとうございました。