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オーストリア継承戦争

オーストリアのマリア=テレジアの相続にイチャモンをつけたのはフランス・スペイン・ザクセン・バイエルン・プロイセンですが、各国が参戦に踏み出したそれぞれの利害関係を教えてください。 当時の国際関係がうまくつかめません。 マリア=テレジアがオーストリアの全領土を継ぐことは、なぜそんなにも周辺国が憂慮すべき事態だったのですか? おねがいします。

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noname#113260
noname#113260
回答No.2

マリア・テレジアのハプスブルク家ですが、1273年にハプスブルク伯ルドルフがドイツ王となったのが世に知られる最初です。 その後ハプスブルク家はオーストリアに勢力を広げ、1308年にドイツ王と皇帝の称号を失いましたが、オーストリア大公として着実に成長し、1438年にアルプレヒト2世がドイツ王になってからはドイツ王位を完全に世襲化することに成功し、1508年にマクシミリアン1世がローマ教皇から戴冠を受けずに皇帝を名乗り始めます。 そして婚姻関係からハプスプルク家はブルゴーニュ公国領ネーデルランドとスペイン王国、ハンガリー王国、ボヘミア王国を継承し、皇帝カール5世のもとでヨーロッパの大領土を実現しました。 このカール5世の後、カールの弟フェルディナンドが神聖ローマ皇帝位オーストリアとハンガリー、ボヘミアを譲られたのが、オーストリアハプスブルク家です。 さて皇帝カール6世ですが、世継ぎの男子が早世したため娘ばかり2人しかおらず、オーストリア・ベーメン・ハンガリーなどハプスブルク世襲領の相続を各国に認めさせるも、皇帝の称号は取り上げられます。 さてこの状況で プロイセン:相続を認めるので隣接するシュレジエンが欲しい。 バイエルン:俺こそが正当な後継者である。バイエルン選帝侯(皇帝カール7世,在位1742~45)が主張。 フランス:プロイセン、バイエルンに味方するから、ネーデルランドをお礼にください。 イギリス・オランダ・ザクセン:敵(フランス)の敵は味方。

dhojskijai1
質問者

お礼

利害関係とてもよくわかりました!ありがとうございました。

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  • notnot
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回答No.1

専門家ではありませんが、 そもそも女性には継承権が無かったのに、父王が王子がいなかったため、女性にも継承権を認めると勅書を出し、父王の死後、各国がそれを認めず戦争を起こしたわけですが、 >なぜそんなにも周辺国が憂慮すべき事態だったのですか? というより、相続争いに他国が付け込んで領土拡張を図ったということでは無いかと思います。各国王家は姻戚関係にありますから、ハプスブルグ家の血が流れている国王・王子も多かったと思います。 手塚治虫「リボンの騎士」にも同じような話が出てきます。サファイア姫は王子として育てられるが、女性とばれて叔父だか従兄弟だかに王位を奪われ、後に父が死の前に女性に王位継承を認める勅書を出していたことが発見され、最終的には王位を継げたんじゃなかったかな。

dhojskijai1
質問者

お礼

複雑な関係が絡み合い各国が覇権を競い合っていたのですね。まぁもし世継ぎの王子がいたとしても、なにかイチャモンの口実を探して戦争をしかけていたのかもしれませんね。ありがとうございました。

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