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霊能力とは何か?考えをまとめる
- 霊能力についての考察を通じて、それは思考法としての明晰な分析が可能であり、実際には自然な思考の一部であることを示唆しています。
- 霊視とは映像の内観によって他者の人物像を鑑定する能力であり、言語的思考よりも自由度が高く、新たな視点や発想を生み出すことができます。
- 霊能力は心の世界や観念の世界を見る能力であり、死者や霊的な存在を介在させる必要はなく、明晰で直視的な思考が可能です。
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質問者が選んだベストアンサー
まず、霊視という単語を改めビジョンとか、イメージという単語を使うと分かりやすい。 あと、ボールペンを探す行為のどこら辺が知性的なのか理解しかねる。 おそらく普通の人は、ボールペンを探すのにビジョンもイメージも言語も使わない。 他者のイメージを語ったり想起したりすることは日常的にあり得ることだけれど、そのイメージが実像と どれだけ離れているか、或いは当たっているかは、あまり重要ではない気がする。茶飲み話のようなものだから。でも一応、当たっていると言われるならば、質問者の観察眼や洞察力は優れているのかもしれない。 質問冒頭の、自己理解は自己否定と 連関があるという話は参考になった。 こんなところだろうか。
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- kurinal
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Flareon様、こんばんは。 >「知性の一部である以上、本来は理性的事柄だ。」 そうなの? それだと、「理性」>>「知性」ということ?
お礼
知らんよ。 思うまま書いたことだ。
- sssv
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キュアブルーム様、明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。
お礼
あんた、誰だっけ。 なんてな、うそだよ。
- hiak123
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私は知っているのでこう言いましょう。 霊感というものは純真、誠実から知らずに得られるものである。 また、苦労というものがとてつもなく多い。 私良ければ良し心情からも得られる。また、苦労というものがとてつもなく多い。この手の苦労、 苦しみは人は正気の人からは悲しみしか感ずることはできない。知性上においても悲しみしか感ずることはできない。 神は欲すれば与えられる。そんなことは無いとあなた方は言うだろう。 霊感も悟りも何の役にも立たない。 日々を注意をして暮らす。これ以上の知恵は無い。 私は知っている。おのずから注意を払う。これ以上の知恵は無い。 私が霊感も悟りも知っているとあなた方は信じないであろうと知っている。 なぜ、あからさまにこう言うのでしょうか。あなたが少しは悪意が有っても純真、誠実だったで有ると知っているからです。それ以上は知りません。 あなたがた馬鹿には分からないことを言う。日々注意を払いなさい。 もうひとつ言おう。現実は厳しい。馬鹿には耐えられない。 希望がある。分別を知りなさい。馬鹿ゆえんの分別はやめなさい。
お礼
やあ、おめでとう。
補足
考察メモだよ。 ボールペンの話がどこら辺が考えになってるか判らないという意見がった。 あの映像の流れは、意思を反映して、選択と結論を出しているだろ。 考えていることになるんだ。
- miko-desi
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霊感の能力もないし論理はわからないです。 けれども 宇宙にも人間にも本来の自然な「生体リズム」が備わっていて リズムが似ていると離れているもの同士で同調し合うことや ノイズキャンセルのように逆相に同期することは物理学的に証明されてますね。 バラバラのリズム間のものが結合力の限界になると突然 集団全体が同期して大きなリズムを示すようになる(コンサート会場の拍手など) これは「転移」が起こったんですね。 同期するのは霊感や直感より生体リズムが関係していると睨んでます!
お礼
ありがとね。 そうか。
お礼
読後感としては丁寧だね。 ありがとサン。
補足
考察のメモだよ。 悪まで研究課題なんでな。 一人で進めるよ。 ビジョンを断片的にしか認識できない。 これは、 ビジョンを断片的にしか認識できないほどの理性的欠如がある。 いじめるようだがこう言い変えてもいい。 この原因を考察中で、結論はおそらく、観念世界を「あの世」つまり死者の国としてとうざける恐怖感があるからだ。 霊感の持ち主はこれを逆手にとって、ビジョンを認識するための、理性的資質を死者のイメージでこりかためているからその前提条件の範疇で認識の幅が広がり解釈できるんだ。 それだけだと偏見のある論理を前提にしたゆがんだ解釈だ。 観念世界をイメージという言い回しをすれば、コレは精神世界であり無意識の研究と絡んでくる。 あの世は信じない。 こう言えばまるで合理的な現代人のように聞こえるね。 ところが同時に観念世界を拒絶することであって、理解する事への拒絶がそのまま認識の不全につながっている。 つまり抜きがたい死への恐怖が、多くの人にとって理性的欠落をもたらしている。 私はかねてから言っていたね。 君達は観念世界で、ファイト一発死んでみる必要がある。 こんな風にね。 タネ明かしをすれば、これが言いたかったんだよ。 理解することで克服するのはこのような段階があり、だからこそ死と向き合う事が必要だ。 私の死への案内は、十分に君達を救いに導く親切だ。 名目上はな。 私はこの意地悪な親切を楽しんでいるんだ。