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フリードリヒ2世は名君か?
- フリードリヒ2世は名君と評価されるべきか考える
- フリードリヒ2世の功績や評価について検討する
- 他の君主との比較も含めてフリードリヒ2世について考える
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優れた統治者というものの世界統一尺度が無いのですから、ある君主が名君か否かは観察者の思想信条によってきます。 私は十分名君だと思いますよ。 悪評として挙げられた点についても、どちらかといえば敵対的なスタンスからの誹謗中傷と言えます。 女性蔑視の発言についてはあったらしいですが、そもそもその時代の女性の立場は低いものでした。ことさらフリードリヒ2世が過激な思想を持っていたわけではありません。それどころか、彼は有名な教育改革において全ての男女児童に教育機会を与えるよう指示しています。本当に女性蔑視していたなら女性に教育機会など与えないでしょう。 赤ん坊を使った人体実験というのが事実かどうかわかりませんが、巷間伝えられているのは学習能力実験であり、現代の価値観と照らしてみても非人道的とまでは言えないと思います。 美食による財政負担というのも尺度次第でどうとでも取れます。当時のプロイセン王室の年間食費は現在の価値にして1億円です。食費と思えば一般人の想像を超える額ですが、国家予算と思えば大した額ではありません。たかだか小学校数校分です。同じ時代、極東の島国の大奥の年間予算が200億円です。1国の王、まさにトップリーダーが年間1億円食事したからと言って責められる筋合いじゃないでしょう。彼は毎週末温泉のある別荘に公用車で出かけていたわけでもありません。浪費という言葉はフリードリヒ2世には似合わないと思います。 彼に似たような君主というと、私は徳川綱吉を思い浮かべます。
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- eroero4649
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ええっと、「フリードリヒ2世」と呼ばれる方はお二人いらっしゃいます。 ひとりが、神聖ローマ皇帝だったフリードリヒ2世。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%922%E4%B8%96_(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D) 赤ん坊の人体実験をしたのはこちらの方です。この時代はまだ新大陸(アメリカ大陸)は発見されていませんので、ヨーロッパにはまだジャガイモが伝わっておりません。 もうひとりが、戦さバカ・・・もとい、軍神とも称されるプロイセン王のフリードリヒ2世です。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%922%E4%B8%96_(%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%8E%8B) ドイツにジャガイモを普及させたのはこちらですね。 一応、前者のフリードリヒ2世を「フレデリック大王」と呼び、後者のフリードリヒ2世を「フリードリヒ大王」と呼んで分けています。完全にひっかけ問題ですけどね。つまり、質問者さんはこの二人のフリードリヒ2世をごっちゃにされていらっしゃるようです。 まあヨーロッパの王様なんてナントカ何世なんてのがいっぱいいてそのうえ「〇✖6世」の後に「凸凹2世」がきたりしてややこしいことこの上ないのですけれどもね。 ちなみに戦さバカのフリードリヒ2世のこんなトリビアをひとつ。 スーツの袖には意味不明のボタンが4つ縫い付けられていますが、あれは元々軍服に縫い付けられていたボタンが元になっていまして、それは兵士が軍服で鼻をぬぐうやつが多いのを見て不快に思ったフリードリヒ大王が「鼻をぬぐえないように袖にボタンを縫い付けろ」と命じてつけさせたのが始まりで、それが時代が下るにつれて現在の場所に移動してきたのです。
私見。美食による財政負担というけれど、それが国内消費なら雇用を生み、経済をかき回して自国民にすべて還元されるんじゃないかな?公共事業みたいなもん。
- ithi
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kagaminohousokuさん、こんばんは。 どうも名前は同じでも違う君主のようです。プロイセンのフリードリッヒ大王は啓蒙君主と呼ばれる一人です。軍事的には天才といわれていますが、7年戦争での苦戦やバイエルン継承戦争にオーストリアを破りますが、こののち、戦争をしなくなります。 そして自分の設計したロココ調のサンスーシという宮殿にこもり、好きな音楽や文通などに時間を費やしました。プロテスタントにも寛容でそのおかげでプロイセンは経済的に発展しました。 女性に対してはかなり冷淡だったのは確かですが、人体実験をするような人物ではありません。 ちなみにフリードリッヒ大王は18世紀の君主ですが、神聖ローマ帝国皇帝のフリードリッヒ2世は13世紀の君主ですね。大王ではなく、大帝というのがふさわしいでしょう。 詳細は下記のURLを参照ください。 https://mamanoko.jp/articles/11686 神聖ローマ帝国ホーエンシュタウフェン朝の皇帝であったフレデリック大王(フリードリヒ2世) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%922%E4%B8%96_(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D) プロイセン王フリードリッヒ大王 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%922%E4%B8%96_(%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%8E%8B)