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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:《聖なるあまえ》から《きよらかなおそれ》への変態)

《聖なるあまえ》から《きよらかなおそれ》への変態

このQ&Aのポイント
  • 《聖なるあまえ》はものごころがつく前の頃のひとの心の状態を言います。
  • 赤子が母親にあまえる――つまり全面的に考えも計らいもなく身をゆだねるかのように心をゆだねている――ときこれをひとつの典型として言います。
  • 聖なるあまえはどのように変態するのか、そしてきよらかなおそれとの関係について解説します。

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  • sunabo
  • ベストアンサー率35% (24/67)
回答No.1

1~15までは、主観がどうやってできるかの説明です。 うまくできない場合も考慮すべきです。 つまづいちゃったらどうしたらいいんですか。 私は、そのときは、メラニー・クラインの理論を読むと良いと思います。 対象関係論を学ぶ―クライン派精神分析入門 16~29までは、神さまと資本主義をどう折り合いをつけようかの説明です。 私は、貨幣を信仰するとよいと思います。 神さまに自分をささげたいです。 同時に貨幣は大事です。貨幣を大事にしないと、自分が維持できないからです。 貨幣を使わないようにします。すると、欲を満たさないでいることができます。 神さまに自分をささげることができます。清貧です。 神さまに大事な貨幣をささげ貯金します。 貯金した貨幣は利子増殖します。 貨幣が増えると、神さまにもっとたくさん貨幣をささげることができます。 たくさん信仰できます。 貨幣を信仰すると良いでしょう。 簡単で、目に見えて、数字で判って、大満足です。 貨幣は無根拠です。みんなが信仰してるから使えます。 参考URLの文章が私のより、もっと、かっこよくて、わかりやすいです。

参考URL:
http://www.k-hosaka.com/kashimura/shihon.html
bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ つまづいちゃったらどうしたらいいんですか。  ☆ 《われ あやなつなら(あざむかれるなら) われあり。》と言って われに還り 軌道修正します。  われはわれなり。: 1 = 1  《われはわれなり》なるわれがわれする。: 1 x 1 = 1  つまり 道草や寄り道あるいは脱線したときのわれは: 1 + β または 1 - β  われに還ったとき: 1 + β または 1 - β ⇒ 1 に立ち戻る。その 1 にわれ(= 1 )を掛ける。  つまり われは つねに数として 1 です。  ★ 私は、そのときは、メラニー・クラインの理論を読むと良いと思います。 / 対象関係論を学ぶ―クライン派精神分析入門  ☆ そうですか。フロイトもユングも わたしは否定し見下しています。クラインは 正面からまなんだことがありません。推測では 同じ筋ではないとは言えないと思っています。でもこれは 憶測に過ぎませんので あるいはよい哲学を提供しているのかも分かりません。  ですが おそらく上の《 1 》なるわれの方程式だけで済むのではないか。きわめて安上がりで基本的に有効であるとは思っていますが どうでしょう?  ▲ 樫村晴香:『資本主義』 第1部 文 化  ☆ については 幅広い主題を扱った長い議論なので 一たんこのご回答への応答のみとしてお応えすることとします。  ★ 16~29までは、神さまと資本主義をどう折り合いをつけようかの説明です。  ☆ 具体的な内容として おっしゃるとおりかと思います。  ★ 私は、貨幣を信仰するとよいと思います。  ★ 神さまに自分をささげたいです。  ★ 神さまに大事な貨幣をささげ貯金します。  ☆ つまり 神と貨幣とは 結びついているということなのでしょうか?  つまり  ★ 貨幣は無根拠です。みんなが信仰してるから使えます。  ☆ という現象が明らかに起きているが それでもその奥のそのまた《無根拠という根拠》は 神なのである。といった意味なのでしょうか?  たしかに貨幣は 現象ですね。  資本主義の興隆期においてこそ 成長が起こるから利子率(≒利潤率)が或る程度高くて 増殖することが出来ますが 安定成長期に入ると モノが豊富でしかも社会全体として飽和状態に達する。すると 利潤の発生する余地が少なくなる。  別様に言えば そのときには経済生活の質を充実したものへと《成長》することがのぞまれる。  のではあるが もうその定常状態に達すれば 貨幣の役目は さほど――増殖という点において――大きなものではなくなるのではないか。  あるいは もし生産力がさらに上がってしかもその社会的な分配ないし配分においてそこそこの程度でのぞましいものであるなら もう人びとは 欲するだけ求めるものを得ることが出来るかも知れない。  となると 貨幣の役割りは 余計に薄くなります。  ですから 神に貨幣を結びつける視点は 一般的な理論には成りにくい。のではないかとは考えますが どうでしょう。  そしてちょっとした物言いを差し挟むなら 《貨幣信仰》を持ってしても 世の中のシガラミなる社会力学に対しては 向き合わねばならないでしょうし ガップリ四つに組むときすらあり得ます。そういった現実じょうの問題について 観念的と言いますか 社会に対して超然的な姿勢であるようにも見受けられますが どうでしょう。  言いたい放題になりましたが。  保留した論文についてコメントがうまく出来ましたら 補足欄にでも書き込みます。

bragelonne
質問者

補足

 樫村論文を途中まで読みました。  ■ 啓蒙主義——合理性と暴力  ☆ については 得手ではありません。物言いを添えるほどの見解を持ち合わせていません。  ■ テクノロジー  ☆ これは わたしには無理です。みなさんからまなびます。    ■ 文化装置——文化支配  ☆ この主題については 一定の見解をつくりあげていません。  ■ 制度——学校  ☆ という問題にもわたしはまだ首をつっこんでいません。    ■ フェミニズム、エコロジー  ☆ フェミニズムには言うべきことを持ちますが 積極的に言って来てはいません。エコロジーは 保留しています。    さて ほかの問題で考えるところがありますが この論説者とは だいぶ取り組む姿勢や分析の視角やあるいはけっきょくまとまった世界観として かなり違っているように思います。  樫村氏は 城を攻めようとするとき 兵を配して濠を囲み表門から城内をうかがうという正攻法と言いますか つねに大きく全体観を示しつつ じわじわと推し進めるように見られます。  わたしは 搦め手にまわり城のあり方をうかがいます。つまり具体的な問題点を取り上げ それをもっぱら問い求めて行きます。  早く言えば その総論はだいたい分かったから もっと具体的なあるいは緊急の問題点について分析してみて欲しい。というような感想を持ちました。(これまた 言いたい放題になりますが)。  資本主義と現代社会を 特には人間論から切り込もうとしてやって来ました。コメントをうまくつづれないゆえに コメントの代わりにそれらこれまでに書きためたものを以下にかかげ任に代えます。  ○ 【Q:にんげんの前史を終えるということ(!?)】  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7679617.html  ☆ ひとは主戦論で行くか非戦論を採るかというふたつのタイプがある。この人間論を出発点として そこに階級論をからめて 国家がどうなるかをも視野に入れて論じて行きます。  ○ 【Q:疎外―→物象化―→理象化(?)―→人象化?】  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8557906.html  ☆ 表題のもとに 前項と同じような趣旨で 世界を展望しようとしています。  ○ 【Q:国連に代わる村際連合(インタムライズム)によって世界を主導するシステムを!】  https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9113048.html  ☆ 経済生活については 或る意味で資本主義も《自然史過程》であって人間にとって不可抗力である部分が大きい。したがって 共同自治(政治)の側面からの 展望とアプローチを扱っています。