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暦についての疑問です

明治になってからの日本は太陽暦を使いましたが、どうしてそうなったのでしょうか? また、その前はどんな暦を使っていたのでしょうか ?

みんなの回答

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.8

#3です。 >ただ明治政府の財政との関わりは、ついでに起きたことだったのでしょうか。 「なぜ明治6年のタイミングにやったのか」についてはそうだと思います。しかし、いかに財政が逼迫していたとはいえ、暦というありとあらゆることに大きな影響を与えることの変更を全国レベルとはいえたった1ヶ月少ないからという理由だけで行うことは不可能だと思います。もちろんこれはその回答者さんの回答を否定するわけではありません。様々な人の解説がありますが、概ねどれも正しく、「つまりそういう総合的な理由で変えられた」ということだと思います。 結局のところ近代工業国家は太陽暦のほうが便利だと思います。何年先も何十年先も見込みがたちますからね。2019年に新国立競技場完成なんてプロジェクトの場合は太陽暦のほうが計画が立てやすいですよね。 太陰暦が都合がいいのは、農業ですよ。2月上旬から中旬にかけて「迎春」となれば河津桜がぼちぼち咲き始めますから「春を迎える」になりますし、5月に「初夏」で7月に「盛夏」。日本の季節感は太陰暦のほうがしっくりきます。割と四季がはっきりしているアジアでは太陰暦が浸透しているのはそういうことなのだと思いますよ。 日本を近代工業国にしようと思ったら、太陽暦の導入は避けられない問題だったと思いますね。もちろんこれは私の個人的な意見ですけれども。

22390000
質問者

お礼

わかりやすい説明ありがとうございます。 皆様のご意見楽しく拝見しました。 詳しい方が結構いらっしゃる物ですね。 スッキリしました。ありがとうございます。

22390000
質問者

補足

どなたのお話もよくわかりやすく良かったのですが、まとまって振り返って納得しやすいご意見だったので、ベストアンサーにさせていただきました。 みなさまありがとうございました。

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.7

>明治になってからの日本は太陽暦を使いましたが、どうしてそうなったのでしょうか? 先ず、「下々まで、徳川時代が終わった事への通知」です。 暦を管理するのは、古来から権力者の特権でしたからね。 暦が変わる事は、政権が変わった事を実際に知らしめる事になります。 「将軍から天皇に変わった」と言っても、庶民には関係ありませんからね。 通貨と暦が変わる事で、上からの革命が下々に伝わるのです。 次に、他にも回答がありますが明治政府の財政悪化対策。 幕藩時代の豪商に上納金を命じた結果、多くの豪商が明治に入って倒産・破産しています。 明治政府としては、何とか安定した財政確保手段として西洋が採用している暦が必要。 そして、富国強兵・殖産興業として西洋との時差を無くす事。 幕藩体制・封建体制から西洋化・帝国主義化をするには、欧米列強と同じ暦を採用する必要に迫られました。 結果、1582年にローマ法王グレゴリオ13世によって定められたグレゴリオ暦を日本でも(明治6年)採用したのです。 >その前はどんな暦を使っていたのでしょうか ? 現在の太陽暦に対して、月を基準とする「太陰暦(太陰太陽暦)」を採用していました。 一年が、354日です。 これだと、月と季節が徐々に合わなくなりますよね。 そこで、3年に一度「1年を13か月」としました。 詳細は、「太陰暦」でHPを検索(プッチ!と)して下さい。

22390000
質問者

お礼

なるほどですね。他の方とも違う観点からのお教え、ありがとうございます。 日本も新しい体制を運営していくためにはとっても大変だったんですね。 お上と関係なく日々を過ごした民草だった私の先祖も、こういった歴史の転換を受けて過ごしたかと思うと、暦は深くて大きな問題だったんですね。ありがとうございます。

回答No.6

明治になって、進んだ西洋の技術などを目の当りにし、こりゃ今までの中華帝国のものより西洋のもののほうが進んだすごいものに違いないと、手当たり次第に取り込みました。西洋暦(太陽暦)もその1つです。 他の国と合わせたほうが都合が良いなどという先見の明というより、分かんないけどコレがすげーんだよみたいに何でもかんでも取り入れたっていう感じだったと思います。1年だけユリウス暦だったのは有名な話です。 江戸時代までは太陽太陰暦と呼ばれるものですね。詳しくは他の方のwiki参照。 旧暦とも呼ばれる太陽太陰暦も、じつは優れた暦法で、1年を夏至・冬至・春分・秋分という天空の動きを基準にし、その上に月の満ち欠けを合わせて文字通りの『月』を決めていくというようなやり方のものです。 魏略(4世紀ころの古い本)に、倭人について『正歳四節を知らず』と書かれていますが、これは上記の夏至・冬至・春分・秋分を基準として1年がどのように春夏秋冬に分かれているのかとか、そのような知識が無いと書かれているのですが、実は現代の日本人の多くもこの『正歳四節を知らず』な状態になってしまってるのですよね。これを知らないアホが『冬至を過ぎてから冬がやってくる』などと知ったかぶってwikiに書き込んでたりして情けなくなります。

22390000
質問者

お礼

1年だけユリウス暦だったなんてびっくりしました。 当時の政府は本当に混乱していたんですね。 それをこうしてなんとかまとまってきたのは、単一民族で話が伝わりやすくまとまりやすかったからでしょうか。となると今世界的な移民問題は私のは悩ましくなります。人道支援と、海外の人から文化を取り入れたほうがきっといいことがあると思いますが。暦はやっぱり大きなことが絡むんですね。 天地を相手に質問した気分です。ありがとうございます。

noname#224207
noname#224207
回答No.5

>明治になってからの日本は太陽暦を使いましたが、どうしてそうなったのでしょうか? 欧米との交易などが増えてきたことから、その都度換算していたのでは面倒な為に欧米と揃えました。 欧米との交渉に当たり日付を揃えておかないといろいろ面倒です。 欧米の諸制度を導入して追いつくのが至上命令でしたので、この意味からも暦まで揃えました。 当時はいろいろな交渉の主導権が欧米側にあったことも遠因です。 ご質問で太陽暦と言われておられますが、太陽の運行を基にした暦はグレゴリオ暦とユリウス暦と呼ばれる二つのものがありました。 アメリカやヨーロッパ諸国はグレゴリオ暦を使っていましたが、当時のロシアはユリウス暦を使っていました。 もし、アメリカが発端となって開国しないで、ロシアが主導権を持っていればユリウス暦を採用していたかも知れません。 現在もロシアでは教会の行事などはユリウス暦を使っています。 >その前はどんな暦を使っていたのでしょうか ? 文書などに使う公式なものと非公式なものと二種類使っていました。 公式なものは現在旧暦と呼ばれているものです。 月の満ち欠けを基準としていました。 太陰暦と呼ばれます。 非公式のものは、主に農事に用いられていました。 二十四節季などと呼ばれます。 季節の移り変わりを基準としていましたので、結果として太陽暦に近いものでした。 大寒を基点として考え、経験的に一年で最も寒い日、現在の二月四日頃を一年の初め(立春)としていました。 国民の八割が農耕に携わっていましたので、日常的には使われていました。 細かい日付が有りませんので、日付が問題となるような公式な文書では使われませんでした。 現在もこの暦で使われていた言葉が沢山残っています。 年賀状などで初春とか立春という言葉が使われるのはこの名残りです。 春分とか秋分、立秋、夏至、冬至、というのもこの暦で使われていた言葉です。 八十八夜とか二百十日というのはこの立春の日から数えて何日目という意味です。 蛇足 明治以前には春(一月~三月)夏(四月~六月)秋(七月~九月)冬(十月~十二月)としていました。 ひと月は20日か30日でした 公式の太陰暦だけでは暦の日付と季節感にズレがありました。 これを公式の太陰暦側で調整するために閏月というものを設けて数年に一度ひと月増やした年を作っていました。 結果として一年が354日になったり383日になったりとその年ごとにバラバラでした。 農事の目安としては不便です。 太陰暦にせよ二十四節季にせよ、欧米人が使っている暦との整合性がおそろしく面倒なことになります。 ロシア教会が現在でもユリウス暦を使っていたり、中国や台湾でもお正月が旧暦で行われるなど伝統行事には現在でもそれぞれの国の暦が使われています。 ミャンマーにもミャンマー暦があります。 イランにはイラン暦があります。 韓国では現在も月の満ち欠けを記載した月齢カレンダーというのが使われています。 日本でも地方によってお盆の行事が7月と8月に分かれているのは、明治以降の現象です。 その他仏滅、大安など日にちに吉兆を付ける習慣は今でも残っていますが、旧暦に基づいて決められています。 土用の丑の日などというものも残っていますがこれは二十四節季が元になっています。

22390000
質問者

お礼

色々な角度からのアンサーがあって、この質問をしてよかったと思います。 ますます面白い話になってきました。ありがとうございます。

回答No.4

世界で太陽暦使ってたのに日本は太陰暦を使ってました 日本と世界で日付が違うなんてありえないでしょ?(時差で1日の差ならともかく) 太陽暦の前は太陰暦(月の満ち欠けによる暦)を使っていました ちなみにもっと古くなると日本では 地方ごとに暦が違ってた事もあるようです たとえば戦国時代は三河暦とか尾張暦と言うのがありました

22390000
質問者

お礼

簡潔なお返事ありがとうございます。 地方ごとに暦があったのは考えてみますとそうでしょうね。 1国ずつの暮らしなのですから。 となるといろんな暦がもっとありそうですね。 暦話面白い切り口も見えました。 ありがとうございます。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.3

元々は、太陰暦です。というか、そもそも人類が使っていた暦は太陰暦が基本です。 ご存知の通り1年は365日です。「1年」という季節のくくりがあることには原始の時代から人間は気づいていました。しかし300日余りってのはちょっと時間軸としては長すぎます。もうちょっと短いスパンで日数が数えられるものが欲しい。そのとき格好の基準となるものがありました。月です。月は天気が良ければいつでもどこでも見えて基準にもってこいです。新月になり満月を経てまた新月になるまで30日かかったので、こいつァちょうどいいとなったのです。それで月の満ち欠けを基準にして新月になったら新しい月になったとなったわけです。だから太陰暦を使っていた人は、月を見れば今日がだいたい何日なのかは分かったわけです。空に浮かぶカレンダーなわけですね。 しかしこの太陰暦には根本的な問題がありました。1ヶ月30日として12ヶ月で360日。しかし地球の1年は365日。ズレが生じます。ほうっておくとお正月が夏になってしまいます。人類が暦を必要としたのは農業の必要性からです。ぼちぼち種をまく、そろそろ収穫、そういう判断基準として暦が必要とされたのですが、正月がぼんぼんズレたら「3月に種まき」という決め事もできません。 だから太陰暦では何年かに一度「閏月」というのを作って調整します。正月がズレないようにするのです。ただし、閏月を「どこに入れるか」が問題です。季節感としていちばん違和感がない時期に閏月をはさまないといけません。そのためにはそれなりに高度な数学と天文学の知識が必要とされていて、コンピュータもない時代ですから計算間違いをすると暦が違うということにもなるのです。だから「ちゃんとした暦を作る」というのはその王朝などにとってはメンツがかかった重要なことだったのです。伊能忠敬は元々は天文学好きのおじさんで、江戸幕府が天文学に力を入れていたのは「正確な暦を作るため」だったのです。やがてその計算能力と数学の知識と天文観測のための測量の技術が買われて地図作りを命じられました。 しかしかように太陰暦というのは面倒くさいので、「やっぱさー、太陽を基準に暦を作ったほうがいちいち計算が不要だから楽じゃね?」ということで作られたのが太陽暦です。だから「月」とか「1ヶ月は30日」という太陰暦の風習が残っているわけです。これだといちいち閏月を挟む必要がありません。これも様々な試行錯誤の末、1ヶ月を30日の月と31日の月を交互にして、2月を削って調整して、それでもたまに出るズレを4年に一度の「うるう年」を設定することでこなすことにしたのです。 太陽暦を明治政府が導入したのは、欧米各国が太陽暦でやっていたからです。太陽暦と太陰暦というのは1ヶ月くらいズレています。今は「旧正月」と呼んでいるのが太陰暦の正月です。だからまだ本来は正月は来ていないのです。太陰暦メインのアジア各国では、日本以外の国は旧正月を正月として祝います。ちなみに今年は2月8日。去年は2月19日です。太陰暦というのはそういうものだから、太陽暦がやってくると「今日は何月何日か」でよく分からなくなるのです。だからなんというかまあ、「国際基準」に合わせて太陽暦にしたというわけです。 ですから、江戸時代や戦国時代の「○月×日」というのは太陰暦の日付なので「今の日付と違う」ので注意が必要なのです。例えば、年末の風物詩といえば「忠臣蔵」ですね。元ネタである赤穂浪士の討ち入りが元禄15年12月14日の出来事でしたから年末の風物詩となったわけですが、これ、旧暦の12月14日なのです。これを太陽暦に換算すると、1703年1月30日です。 ここで誰もが思う疑問が氷解するのです。忠臣蔵といえばしんしんと雪が降る中の討ち入りなわけですが、実際も前日に降った雪が残っていたといわれています。「12月に雪が降るなんて、やっぱり昔は寒かったんだな。地球温暖化なんだな」と思うのですが、1月30日だと思えば、1月下旬に東京に雪が降るというのはよくあることです。東京に雪が降るのはだいたい1月下旬から2月にかけてです。 ちなみにあの「桶狭間の合戦」も永禄3年5月19日で、「5月19日」とだけ聞くと「突然に大雨がきた」というのに違和感を感じます(日本では5月中旬は天気が安定していますからね)が、これまた太陽暦に換算すると1560年6月12日となりまして、6月中旬なら突然の大雨がきても珍しくない時期となりますね。

22390000
質問者

お礼

わかりやすくて腑に落ちる話も多くためになりました。 ただ明治政府の財政との関わりは、ついでに起きたことだったのでしょうか。 (1番目の方のおはなしからですが) ありがとうございました。

  • ayzm
  • ベストアンサー率17% (187/1096)
回答No.2

世界の国を話をするのに同じ暦でないと不自由だから。 日本では旧暦といって、月の周期の暦を使っていました。 一か月で太陽暦から2~3日ずれていきます、そして1年では1か月ぐらいずれるときがあります。 今でも農業と季節感は旧暦のほうが合っているので、カレンダーには旧暦を載せている暦が結構あります。

22390000
質問者

お礼

月のカレンダーも長く使われてきたんですね。 もし世界が太陰暦を使う国のほうが力を持っていたら 世界は太陰暦になっていたのでしょうか ? 農業国が工業国よりおとなしいから使われなくなったのでしょうか。 世界の共有語が、強い国に変わってきましたが、暦は政治より実際的だから簡単に変更しないものなんでしょうか。皆様のお話を伺って、当初に疑問は解決しましたがたくさん別な疑問が湧いてきました。 ありがとうございました。

  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.1

>明治になってからの日本は太陽暦を使いましたが、どうしてそうなったのでしょうか?  当時、立ち上げてから間もない明治新政府は財政が逼迫していました。  その上、それまで使われていた太陰太陽暦では、新月から次の新月の前日までの間の日数に相当する28~29日間が1ヶ月の日数になっており、そのままでは12ヶ月が平均太陽年である365.2422日よりも短くなり、年月が経過すると季節の変化と暦の日付の関係が擦れが生じて来るので、年によっては12ヶ月の他に閏月を1月設けて13ヶ月とする事によって季節と日付のずれを修正しておりました。  明治6年は丁度その閏月が存在する年に当たっていたため、そのままでは1年に13回も公務員の月給を支払わなくてはならない事になりますから、予算を節約するために新政府は1年が必ず12ヶ月となっている上、欧米の列強国の多くも採用しているため、他国と付き合う上でも便利なグレゴリオ暦に改暦する事にした言われています。 【参考URL】  グレゴリオ暦 - Wikipedia > 6.3 日本におけるグレゴリオ暦導入   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%AA%E6%9A%A6#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E3.82.B0.E3.83.AC.E3.82.B4.E3.83.AA.E3.82.AA.E6.9A.A6.E5.B0.8E.E5.85.A5  巌松堂出版>メイン>ウェブマガジン>月と月暦>太陰太陽暦(月暦)>月暦と歴史表記   http://www.ganshodo.co.jp/mag/moon/files/m_c101.html  明治改暦の周辺事情・国家財政の危機?(No.0103)   http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0103.htm >その前はどんな暦を使っていたのでしょうか ?  天保15年1月1日(1844年2月18日)に導入された太陰太陽暦の一種である天保壬寅元暦が天保15年1月1日(1844年2月18日)~明治5年(1872年)12月31日の間使われていました。 【参考URL】  天保暦 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%BF%9D%E6%9A%A6  太陰太陽暦 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%B0%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9A%A6#.E6.97.A5.E6.9C.AC_2  太陰暦 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%B0%E6%9A%A6  朔望月 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%94%E6%9C%9B%E6%9C%88  朔 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%94

22390000
質問者

お礼

大変詳しくありがとうございます。 いろいろわかってスッキリしました。

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