太陰太陽暦から太陽暦への切り替えが決まったのは明治五年十一月九日(西暦1872年12月9日)。太政官の達第三百三十七号による。明治五年十二月三日(旧暦)を新暦の明治六年一月一日として、西暦1873年1月1日と暦月日をあわせること、各月の日数は現行の新暦同様に固定し、平年は365日、閏年は366日とし、閏日は二月末に挿入することにした。
なお、このとき四年に一度、閏日を挿入すると定めたので、暦月日はグレゴリオ暦、置閠法はユリウス暦にしたがう変則的な太陽暦の採用となった。
明治三十一年の勅令第九十号により現行のグレゴリオ暦同様の置閠法となる。ただし、明治七年の暦にのった歴代天皇の祭日、紀元節の換算から当初からグレゴリオ暦の置閠法にもとづいていたという見解もある。
グレゴリオ暦では四百年間に閏年は97回で、ユリウス暦より3回減らしている。基本は四年に一度、西暦年が4の倍数の年を閏年にするんだけど、西暦年が100の倍数で、かつ、400の倍数ではない年は閏年にしない。この置閠法をちゃんと理解していないプログラマが西暦2000年を平年扱いにしたり西暦1900年や2100年を閏年扱いにするバグは珍しくない。
明治三十一年は西暦1898年で、西暦1900年が閏年か否かで国際的ニュース(たしかワイマール国王が閏年と勘違いしていたはず)になったから、日本もグレゴリオ暦としての置閠法を明記する必要に迫られた模様。
以下、余談ながら、旧正月と新暦の日付の関係について書いておく。
旧暦は平年が354日前後、閏年が29日からなる閏月を挿入して年13ヶ月で383日前後。19年間に7回閏年を置く。一月から十二月までの月別の日数は今みたいに固定ではなく、年によって大の月(日数は30日から成る)、小の月(日数は29日から成る)が変わる。何月のあとに閏月を挿入するかも不定で、天文観測にもとづく天文の運行予測と、人為的な暦日変更(詳しくは、内田正男、岡田芳明、広瀬秀雄等、和暦研究者の著書を読まれたし)を含む暦法にしたがって翌年の暦を決めていた。おおむね旧暦の元日は新暦の1月22日から2月21日の間におさまる。
旧暦の平年は月の満ち欠け12回ぶんから成り、新暦より年間日数が10日ばかり少ない。たとえば、元禄13年の元日は新暦で2月
19日、元禄14年は同様に2月8日、元禄15年は1月28日という具合に新暦での暦月日が早まる。元禄15年は閏年で閏八月があったため年間日数も増え、翌元禄16年の元日は新暦で2月16日にあたる。
ちなみに義士討ち入りの元禄15年12月14日(真夜中に日付が替わるとすれば、15日)は新暦では1月末にあたっていて今年の東京のように雪が降ってもおかしくない寒い時期。
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