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森鴎外「護持院ヶ原の敵討ち」の宇平の行方

森鴎外「護持院ヶ原の敵討ち」の宇平の行方 最後まで結局宇平は見つからなかったようですが、なぜ宇平は途中で気が変になり、居なくなり、そして宇平を発見させなかったのはどのような鴎外の意図があったのかがわかりません。 分析しているようなサイトがあればそれを紹介していただくだけでも、皆さんの解釈を書いていただいてもどちらでも構いません、教えてください。

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  • Pinhole-09
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回答No.1

森鴎外の研究者ではないので単なる私見になりますが、 鴎外は合理主義者のようなので、敵討のような武士社会の 非合理的なものに対する反発から、このような構成に なったのではないでしょうか。 親を殺されれば敵を求めて仇打ちをせねばならず、行方不明の 場合は日本国中を捜し歩き、運よく敵を見出しても、返り打ち になることもある、武士の定めにむなしさを感じた宇平は、 武士を捨て自分の人生を歩もうとしたのです。 宇平は鴎外自身の影ではないでしょうか。