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アインシュタインの思想
- アインシュタインの肉声を聴きたくて、スイスのアインシュタイン博物館に問い合わせたところ、YouTubeを教えてもらった。
- アインシュタインは、物理学ではなく彼の信仰内容に関わる物について話している。
- アインシュタインは、物質の研究に没頭することができ、それにより個人の運命や他人の行動に左右されずにすむことに感謝しているが、それによって人類に対する責任を忘れてはならないという考えを示している。
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>少し先になりますが、仲間の集まりで、いただいた翻訳を使わせていただきます。教授、大学院生、卒業生の集まりです。 うわあ、それは大変です。個人でお使いになるものと思っていました。投稿後すぐに、一か所日本語文がねじれ気味になっているところに気づき、このままではだめだなあと思っていました。ほかにもいくつか、細かい点で迷っているところがあります。長時間直し続けるより、少し時間を置いた方がよいので、もう少しの間開けておいてください。今日は、とりあえずすぐに直せるところを直します。 第1節です。日本語としてよりわかりやすくするために、下の個所を訂正したいと思います。 客観的、かつ時代に制約されないものごとの考察と探求に、自らの可能な限りの力を捧げることが許され、またその能力を与えられた人々の仲間であるということは特別な恩寵です。 ↓ 客観的、かつ時代に制約されないものごとの考察と探求に、自らの可能な限りの力を捧げることが許され、またその能力を与えられた人々の仲間でいられるということは特別な恩寵です。 第2節です。ungebetenのニュアンスを少し取り違えたので、「頼んだわけでもないのに→やってきます」という捻じれ文になってしまいました。そのあとの文も、原文の長いセンテンスをそのままにしようとして、少し回りくどい文になっているので、分割することにします。 [第2節 改訂訳] この地上でのわたしたちの境遇は奇妙にみえます。わたしたちの誰もが、自ら望んだわけでも頼まれたわけでもないのに、理由も目的もわからぬまま、ここに短い滞在をしにやってきます。日々の生活の中でわたしたちは、人間が他者のために在るのだと感じます。愛する人々のために、大勢の他者、運命によって自分に結び付けられた人々のためにあるのだと。 第4節ですが、ショーペンハウアーの言葉は、「意志と表象としての世界」の一節かと思ったらそうではなかったので、スタンダードな訳がどうなっているか確認できませんでした。「アフォリズム」の中の一文のようです。少し変えます。 「人間は、意志することを行うことはできるだろうが、意志することを意志するのは無理である。」 ↓ 「人間は、意志することを行うことはできるかもしれないが、意志することを意志するのは不可能である。」 これに続く個所も、文末を変えて、講演らしい流れになるようにしてみました。 [改訂訳] この言葉は、わたしの人生がいかなる境遇にあっても共にあり、わたしと人びとの行為とを、たとえその行為がわたしにとって大きな痛みであっても和解させてくれます。この、意志が自由でないことの認識は、わたし自身や同時代の人たちを、行動し判断を下す個々人として過度に深刻に受け止めたり、善意あるユーモアを失ったりすることからわたしを守ってくれるのです。 第6節では、動詞の過去形erschienenがerscheinenに見えてしまったのか、現在形で訳してしまいました。訂正します(訳語も一部変更します)。 [第6節 改訂訳] 地位や財産をみなもととする特権は、わたしにはいつも不当で堕落したもののように映りました。度を過ぎた個人崇拝も同様です。わたしは、民主主義的国家形態の欠点はよくわかっていますが、それでも民主主義の理想に賛成するとはっきり申し上げます。個人の社会的公平と経済的保護が、わたしには常に国家組織の重要な目標であると思えたのです。 第7節、細かいことで、好みの問題かもしれませんが、最後を変えたく思います。 (・・・)自分が孤立しているという感覚を生じさせなくしています。 ↓ (・・・)自分が孤立しているという感覚を生じさせません。 第8節の後半は、読みやすさのために以下のようにしてみました。 [第8節後半 改訂訳] 体験し得ることの裏側に、わたしたちの精神が到達し得ないものがあり、それがもつ美と崇高さは、間接的にのみ、また弱い反射光の中でのみわたしたちに達しますが、このようなものを感じとることこそが宗教性なのです。こういう意味において、わたしは宗教的な人間なのです。このような神秘を驚嘆とともに予感し、存在するものの崇高な構造から弱々しい模写を謙虚につかみとるだけでわたしには充分なのです。 ************** アインシュタインの肉声は、英語のものは割とあるようです。ドイツ語のものは、これ以外に二つ見つかりました。一つは短い雑談ですが、もう一つは、1930年にベルリンの放送局で行われた展覧会のオープニングでのスピーチです。テキストはアインシュタインのホームページにあります。ここの音声ファイルはカットした短いものですが、Youtubeにノーカットの録音が出ています。この中にも「民主主義」という言葉が出てきますし、「guter Humor」といえる表現も出てきます(「ここにいらっしゃる皆さん、いらっしゃらない皆さん!」・・・「牧草地で満足げに草を食む牛のように、科学と技術の奇跡に無反省に奉仕し、それを精神的に捉えようとすることをやめたような人たちは、みな恥ずべきです」・・・)。 Rede Einsteins anlässlich der Eröffnung der Funkausstellung in Berlin, 1930 テキスト http://www.einstein-website.de/z_biography/redefunkausstellung.html 音声 https://www.youtube.com/watch?v=qyK-uOXRJTE 短い雑談のヴィデオ https://www.youtube.com/watch?v=F9C_1uaaioM
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- Tastenkasten_
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お礼コメント有難うございます。 お話を聞いて少しホッとしました。改訂はこの辺でやめておきます。第8節後半は、直したことで却って「このようなもの」「こういう意味」「このような神秘」という連続ができてしまって、ちょっとうるさく感じるのでもっと直したいのですが、この部分だけ回答No.1の旧版に戻していただいても結構です。ただ、そのあとの「朧げな模写」は、mattのニュアンスから若干離れる気がするので、「弱々しい」ぐらいでよいかと思っています。あとはお任せします。 職業柄、理数系の世界に触れることがほとんどありませんが、Hilbertの談話は興味深く拝見しました。一応何にでも興味はあるのですが、いかんせん基礎知識がありません。このスレッドの内容からは離れてしまうのであまり書けませんが、ほかのサイトで科学関係の人が、西洋の伝統的な考え方を一方的に否定し、日本の視点だけがよいようなことを書いているのを見て、あまりにも単純な世界の見方だと思いました。Hilbertのあとに出てきた流れで、40年ほど前から盛んになったようですね。専門外のことなので何とも言えませんが、自分の仕事を通じて西洋と東洋の両方を見てきた私には、どちらか一方に極端に偏って、もう片方を問答無用で切り捨てるのは、学問の放棄のように感じました。何のことを言っているのかお分かりにならないと思います。単なるグチです(笑)。 翻訳するときの日本語文については、まだまだ試行錯誤を続けています。若いころから、折に触れて文章作法のような本は手に取ってきましたが、やはり数をこなさないとダメなようです。また、何でもそうですが、毎日やっているのと時々しかやらないのとでは、大きな差が出ます。毎日やらないと勘が鈍るのは、音楽の仕事も同様です。 相良守峯という名前はもちろん存じています。岩波文庫でもいくつか翻訳が出ていたと思います。私が持っている独和辞典の一番古いものは、コンサイスの第4版です。今使っているものと比べると、薄くて説明も少ないですが、訳語がたくさん挙がっているので、今回少し参考にしました。正確なニュアンスを知るには、DudenやGrimmを見なければなりませんが、訳語に関しては古い辞書も時には役に立ちますね。ただ、植物や動物の名称の訳などは、古い辞書では間違っていることがあります。先日、極端に古い独和辞典を使って、シューベルトの「冬の旅」の歌詞の訳について見当違いの指摘をしている人を見かけました。 Einsteinと原爆の話も、多少は知っています。ほかのユダヤ人学者のことはあまり知りませんが、少し前に、原爆にかかわったアメリカの科学者が来日したときのビデオをYoutubeで少し見ました。被爆者から、謝罪してほしいと言われたのに対し、冷たい表情で、あなたたちこそ謝るべきだ、と言っていました。当時のアメリカ人には、やはり真珠湾攻撃を恨む気持ちがかなりあるように感じました。しかし、アメリカは事前に察知していてわざとやらせた、という説があるらしいことも最近聞きましたし、オリバー・ストーンの「もう一つのアメリカ史」では、原爆投下は必要なかったと言っていたように記憶しています。まだまだ知られていないことがあるのでしょう。 話しがだいぶそれてきましたので、規約違反になる前に終わります。
お礼
有り難うございました。今後ともよろしくご指導ください。 音楽の世界にも大いに興味がありますので、こちらもよろしく。 才能なく、音楽家にはなりませんでしたが、それなりの音楽家に 囲まれて育ってきたのです。 またサイトでお目に掛かりましょう。 リケロ(理系老人)より
- Tastenkasten_
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翻訳や解説が収録されていそうな書籍がなかなか見当たらないので、訳してしまいました。グーグルの翻訳は、欧米語間はかなり良くなっていますが、日本語への翻訳は大きく遅れており、改善の兆候も見えないような気がしています。たぶん日本のユーザーは、訳して見るだけの人がほとんどで、訳を改善、送信して品質向上に協力する人が少ないのではないでしょうか。 原文と録音は、アインシュタインのホームページにも出ています。 http://www.einstein-website.de/z_biography/glaubensbekenntnis.html 「アインシュタインは語る」というような題のドイツ語の書籍を持っており、この文章も収録されている可能性があるのですが、どこにしまってあるかわからないので確認できませんでした。 粗訳ですので、わかりにくいところがあったら指摘してください。 *********** わたしの信仰告白 客観的、かつ時代に制約されないものごとの考察と探求に、自らの可能な限りの力を捧げる資格と能力を与えられた人々の一員であるということは、特別な恩寵です。個人の運命や隣人たちの振る舞いに束縛されない、大いなる自律をもたらしてくれるこの恩寵に恵まれたことに、わたしがいかに喜び感謝していることでしょうか。しかしこの自律性が、わたしたちと過去、現在、未来の人類とを止むことなくつなぎ合わせている義務の認識に反して、わたしたちの目を曇らせるようなことがあってはならないのです。 この地上でのわたしたちの境遇は奇妙に思えます。わたしたちの誰もが、自ら望んだわけでも頼んだわけでもないのに、理由も目的もわからぬまま、そこに短い滞在をしにやってきます。日々の生活の中でわたしたちは、人間が他者のために、愛する人々のために、大勢の他者、運命によって自分に結び付けられた人々のために在るのだと感じます。 わたしの人生のどれほど多くが、同時代の人々の仕事をもとに成り立っているか、しばしばそれを考えて心が重くなりますし、みなさんにどれだけ多くのことを負っているかもわかっています。 わたしは、意志の自由というものを信じていません。ショーペンハウアーのこういう言葉があります。「人間は、意志することを行うことはできるだろうが、意志することを意志するのは無理である。」この言葉は、わたしの人生がいかなる境遇にあっても共にあり、わたしと人びとの行為とを、たとえその行為がわたしにとって大きな痛みであっても和解させます。この、意志が自由でないことの認識は、わたし自身や同時代の人たちを、行動し判断を下す個々人として過度に深刻に受け止めたり、善意あるユーモアを失ったりすることからわたしを守ってくれます。 裕福な生活や贅沢を得ようと努めることは決してありませんし、そのようなことに対してはかなりの軽蔑さえ持っています。社会的正義へのわたしの情熱は、わたしと人々の間にしばしば衝突を生みましたし、わたしには必ずしも必要と思えないような人間同士の結びつきや依存に対する反感も同様の結果を生みました。わたしは常に個人を尊重し、暴力と徒党主義に対して屈することのない反感を抱いています。このような理由のすべてから、わたしは熱狂的な平和主義者かつ反軍国主義者であり、いかなる国家主義も拒絶します。たとえそれが単なる愛国主義の振りをしていたとしてもです。 地位や財産をみなもととする特権は、わたしにはいつも不当で堕落したもののように映ります。度を過ぎた個人崇拝も同様です。わたしは、民主主義的国家形態の欠点はよくわかっていますが、それでも民主主義の理想に賛成することを表明します。個人のための社会的均等と経済的保護は、常に国家組織の重要な目的であるように思います。 わたしは日常生活では典型的な偏屈者ですが、真実、美、正義を目指している人たちの、目には見えない共同体に属しているという意識が、自分が孤立しているという感覚を生じさせなくしています。 人間が体験しうる最も美しく深いものは、神秘の感覚です。それは、宗教、そして芸術や科学におけるすべての奥深い努力の根底にあるものです。これを体験したことがない者は、死人と同じだとまでは言えないとしても、盲目と同じであるようにわたしには思えます。体験し得ることの裏側に、わたしたちの精神が到達し得ないもの、その美と崇高さが間接的にのみ、また弱い反射光の中でのみわたしたちに達するようなものを感じとること、これが宗教性なのです。こういう意味において、わたしは宗教的な人間なのです。わたしには、このような神秘を驚嘆とともに予感し、存在するものの崇高な構造から朧げな模写を謙虚につかみとるだけで充分なのです。
補足
Tastenkasten_さん Ich bedanke mich bei Ihnen fuer die schnelle und ausgezeichnete Uebersetzung herzlich. ausgezeichnet という形容詞は先生から生徒に、つまり上の人から下の人へ使う言葉かも知れませんが、他の言葉が思い浮かばないのでご勘弁願います。 これから仕事の合間を見て、内容についてよく考えます。本日お礼の欄に書くと、追加発言が出来ないので、補足欄に記入いたします。以下に経過のみを書いておきます。 私は、機械の技師です。いくらかのドイツ語が使えます。理系ですから、大数学者 Hilbert を知っており、その肉声をインターネットで聞くことが出来ると、雑誌 数学セミナーで知りました。大変興奮いたしました。流れに乗って、 Einstein の声を求め、スイス/ベルンのアインシュタイン博物館に問い合わせ、この信仰告白に辿りついたのです。 少し先になりますが、仲間の集まりで、いただいた翻訳を使わせていただきます。教授、大学院生、卒業生の集まりです。 中間報告を兼ねたお礼です。 Information; 雑誌 数学セミナー 2015年12月月号に、ヒルベルトの声を聞いたことがありますかという東北大学の西川青季先生の書かれた随筆があります。 http://www.maa.org/press/periodicals/convergence/david-hilberts-radio-address-german-transcription をクリックすると1930年(昭和5年)に録音されたヒルベルトの声が聞こえます。 西川先生が紹介しておられる次のサイトをクリックすると、ヒルベルトの放送内容(ドイツ語)と和訳が出てきます。神戸大学の渕野 昌先生のサイトです。 http://kurt.scitec.kobe-u.ac.jp/~fuchino/HilbertRadiojp.html
No.1です。 補足をいただきありがとうございました。 1.Googleの検索にドイツ語原文で検索しました。 ブラッシュアップの件は私も力不足のため申し訳ございませんでした。 2.Googleの検索された結果のすぐ下に、「このページを訳す」という機能があり、翻訳機能を作動させて日本語訳を得て、それのURLをお知らせ致しました。Googleの翻訳機能はかなり利用できると感じており、海外の文献検索等に利用致しております。 3.特別なブラウザーではなく、IE11を使用しております。 末尾に、中途半端な情報となりましたことお詫び申しあげます。
お礼
重ねてのご回答有り難うございます。 >>末尾に、中途半端な情報となりましたことお詫び申しあげます。 とんでもありません。いろいろな情報を交換し、助け合わねばと常々考えております。 大会社や、大学に在籍していれば、自分の知らないことが容易に入手できるでしょう。 しかし、個人で研究したり、仕事をしたりしていると、日々助けて下さる方が、 重要なのです。 今後ともよろしくお願いいたします。
ドイツ語原文 https://www.lmz-bw.de/fileadmin/user_upload/Medienbildung_MCO/fileadmin/bibliothek/einstein_glaubensbekenntnis/einstein_glaubensbekenntnis.pdf 日本語訳 https://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=de&u=https://www.lmz-bw.de/fileadmin/user_upload/Medienbildung_MCO/fileadmin/bibliothek/einstein_glaubensbekenntnis/einstein_glaubensbekenntnis.pdf&prev=search ご参考まで。
補足
Flau_Lein さん 有り難うございます。 1. グーグルの自動翻訳は、私もしばしば利用しております。これを下訳として利用することにより翻訳時間は短縮することが出来、有り難く思っております。 また、グーグルは、翻訳にもビッグデータ技術を使っているようで、この面からも、興味深く、発展を祈っております。 ただ、今回の題材は、ここからのブラッシュアップが困難で、そのために参考文献を探しているのです。私の知識が不足で、翻訳の精密化が出来ないのです。 2. Flau_Lein さんは、今回の回答を作られるとき、PCを上手に使われたと思います。どのようにして、日本語訳を https://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=de&u=https://www.lmz-bw.de/fileadmin/user_upload/Medienbildung_MCO/fileadmin/bibliothek/einstein_glaubensbekenntnis/einstein_glaubensbekenntnis.pdf&prev=search という形にされたのでしょうか。教えて下さい。 Google Chrome などを使われたのでしょうか。 Vielen herzlichen Dank.
お礼
もう、お礼の書きようがないので、感想を述べます。 1.私なりに、訳す努力をいたしましたし、訳していただいた内容も、考えました。驚いたのは、古い古い辞書 博友社の相良守峯著 Grosses Deutsch-Japanisches Woerterbuch がとても役に立ったことです。捨てずに持っていたことを誇りに思います。 2.最近読んだ本で、数学文章作法/基礎編、推鼓編/結城浩/ちくま学芸文庫があります。文章作法の本で、数学の本ではありません。当たり前のことしか書いてありません。ですから内容にすべて賛成なのです。Tastenkasten_さんの訳文改訂を拝見すると、文章作法に合致したやり方を自然に取られるのだなと感心いたしました。 3.Einstein, von Neumann などヒットラーに追われたユダヤ人で、後に原爆開発に関わった人は沢山いたようです。そして、原爆を使用したことへの対応がいろいろであることに最近気付きました。Einsteinは都市に原爆投下をしたと聞き、大変落ち込んだそうですね。
補足
驚かせてごめんなさい。それほど大層な物ではありません。 参加する現役の大学院生は、それぞれの修士論文に関し研究進展状態を報告します。 惚け防止に、参加をしている卒業生/私は、合間を見て、数分間話題提供をするのです。 Hilbert の肉声を聴いて貰おうと考えました。純粋数学の人は、Hilbert に関心があるでしょうが、周辺の人には、 Einstein の方がよいかと、こちらも急遽付け足したのです。 ドイツ語の音声を聞くだけで、内容の討論はありません。 お礼が遅れましたが、またまたお知恵、時間と労力を使っていただき有り難うございます。