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最高の音楽家たちが集結するベルリン・フィルについて思う
- ベルリン・フィルは最高の音楽家たちが集まる唯一のオーケストラであり、その結集によって他のオーケストラでは到達できない作品を創り出すことができると信じています。
- 音楽家たちの使命は観客の心を揺り動かす音楽を演奏することであり、ベルリン・フィルに集まることでその使命を果たすことができると考えています。
- ベルリン・フィルの演奏は他のオーケストラとは一線を画し、その独自の音楽性によって観客を魅了することができると確信しています。
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回答No.4で終わりにするつもりでいながら、何度も追加してすみません。 実は、オーストリアの友人とその後もこの話題が続いていました。今日受け取ったメールでは、この文は複雑に入り組んでいて良い文章ではないものの、やはりその場で思いつくままに言い足して言った結果そうなっただけなので、特に悪気があってしているものではないということです。これは私もそう思っていました。ただ、ほかに最初から気になっていることがありました。それは、ausloten、wuchern, Fundなどの語の使い方です。auslotenはまだ分かったのですが、wuchernとFundの使い方がおかしいのではないかと思っていました。オーストリア人の友人によると、やはりwuchernという動詞のこういう使い方は正しくないとのことです。wuchernをmit(ここではdamitですが)と一緒に使う場合、mitのあとに置けるのは「お金」とか「利子」などの語で、人間を意味する言葉は置けないそうです。また、Fundは本来Fundusという語を使うべきだとのことです。Fundは「発掘物」「拾得物」の意味で、文脈に全然合わないわけでもなかったので、回答No.1ではそのまま訳しましたが、本来はFundus(所蔵、蓄え)と言うのが正しいということなので、話者のドイツ語があまり洗練されていないことを示しています。 そういうわけで、話者が本当は何を言いたかったかまでを斟酌し、wuchernやFund、またそれに即してirgendwieなどの語の訳も修正することにします。umで始まるzu不定詞句の部分は、意味が通りやすいように前に移動します。 そして私が確信するのは、この哲学、つまり、われわれが成長するために、考えられうる最高の音楽家を呼び集め、それによって、とにかく保有している所属演奏家たちからの選択ができるようにするという哲学、これが、ほかのどのオーケストラにもできないかもしれないほどに、真に音楽作品の深みを探り知ることができるということだ。 翻訳は、直し始めるときりがなくなるので、今回はこれで最終稿とします。
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- Tastenkasten_
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BASKETMMさんがおっしゃるように、私も実を言うと、最初から「悪文」と感じました。ちょうど私用があって、オーストリア人の友人とメールのやりとりをしていたので、この質問の文と前回の質問の文を送り、これは良いドイツ語と言えるのかと尋ねたところ、回答No.4で私が書いたように、こういう文をSchachtelsatzといい、一般的に好まれない、ということでした。そして彼自身、意味を把握する前に、このUngetüm(化け物)を何度も読み返さなければならなかったそうです。もちろんドイツ語は彼の母語です。しかも彼はプロの作家です。 yosshi0901さんは、以前質問された外国人のインタビューにしても今回の文にしても、あまり普通でないテキストをお読みになる機会が多いのでしょうか。ドイツ語として必ずしも正しくないという自覚のもとに読まれる分には問題ないのですが、ドイツ語の勉強という意味では手本になるテキストではありません。必要があって読まなければならないのなら仕方がありませんが、これらの文の意味がとりにくいのは、yosshi0901さんのドイツ語力が足りないからではなく、テキスト自体に問題があるからです。 もっとも、私個人としても、今までお出しになったテキストについて、内容的には興味を持ちます。どのような経路で入手されたのでしょうか。もし差支えがなければお教えください。
お礼
Tastenkasten_さま、いつもありがとうございます。今回、質問させていただいた文章を丁寧にご説明いただいたこと、そしてご友人にまでお問い合わせいただいた文章の読みやすさ、ドイツ語としての良さなどについても深く書いていただき感謝しております。ドイツの文化について勉強している者です。そのためインタビューを起こした記事などを読む機会があり、手に負えず、ご質問させていただいております。ありがとうございました。
- BASKETMM
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yosshi0901さん 貴兄が、複雑なドイツ語と感じられ、私も「悪文」と思ったのですが、 Tastenkasten_さんも名文ではないと云われるので、安心いたしました。 Tastenkasten_さんに100%賛成です。 尚、私は現在「数学文章作法」基礎編/推鼓編/結城浩著を読んでいます。 数学という題名ですが、数学の本ではなく誰でも読めます。 名文/悪文とは何かよく分かります。推薦します。 脱線が過ぎて、事務局から叱られそうです。
- Tastenkasten_
- ベストアンサー率98% (339/345)
回答No.2でBASKETMMさんが書かれたことに関連して補足します。 今回のベルリン・フィルに関連した二つの御質問に挙がっているのは、書いた文章ではなく、談話を書き起こしたものです。先の御質問のときにすぐにそう感じたのは、複雑に見える文が、考え抜かれて構成されたものではなく、思いつくことを羅列的に挿入している印象があったからです。そしてこれらの文は、文字として見せられると、非常に入り組んで読みにくい複雑な文章と感じます。おそらく、談話そのものを耳で聞いた場合は、区切り方や抑揚等でわかる部分もあると思うのですが、それにしても回りくどい話し方のようで、はたして「良いドイツ語」なのかどうかちょっと疑問に思いました。いずれにしても話し言葉であり、その場での思いつくままでの発言であって書かれた文ではないので、「名文」と言えるようなものではないと思います。 回答No.1で、「die Philosophie」がどういう「哲学」かを説明する要素を3つに分けて並べてしまいましたが、ここは少し補足が必要です。この3つはいずれもzu不定詞句ですが、3番目の不定詞句は、その前の二つの不定詞句とは違いumで始まっているので、「~のために」という「目的」の意味を持ちます。したがって、最初の2つのzu不定詞句は並列的ですが、3つ目のum+不定詞句は、前の2つの不定詞句にかかっており、それらの内容の目的を説明しています。ここを余計にわかりにくくしているのは、2回繰り返して使われているdamitで、これも最初のdamitと2回目のdamitは、指し示す内容が同一ではありません。最初のdamitは「優れた音楽家を集めることによって」ということを指しており、2番目のdamitは、「集めること」と、それによって「選択できること」の両方を指すと考えられます。このようなdamitの繰り返しも、話し言葉ゆえの曖昧さであるように思います。 複文というのは、主語と動詞が備わっているものという定義があるので、zu不定詞句を複文のうちに入れるかどうかについては、ドイツの文法家の間に解釈の違いがありますが、役割としては複文と同じということで、省略複文と名付けていることもあります。いずれにしても、この文章は、核となる文にすでに2つの複文(dass以下とwie以下)があり、その間に1つ目の複文(dass以下)を説明する省略複文としてのzu不定詞句が2つ挿入され、その2つ目に関係代名詞による複文が一つ、さらに両方のzu不定詞句にかかる第3のzu不定詞句が付け加えられるという4重(!)の構造になっています。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 主文(=主語文): Und ich glaube tatsächlich ・・複文1(主文の目的=目的語文): dass diese Philosophie (…) tatsächlich die Werke so ausloten kann ・・・・zu不定詞句1(複文1中のdie Philosophieの内容説明): die allerbesten Musiker zusammen zu holen ・・・・zu不定詞句2(複文1中のdie Philosophieの内容説明): und damit die Option zu haben, aus diesem instrumentalen Fund ・・・・・・複文2(直前のFundの説明=付加語文): den man irgendwie hat ・・・・・・・・zu不定詞句3(zu不定詞句1と2の目的): um damit zu wuchern ・・複文3(複文1につながるさらなる説明=継続的複文): wie es vielleicht kein anderes Orchester kann. ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ さて、ドイツ語における複文の構造と日本人の思考回路とのことですが、私は基本的に、それぞれの民族の言語の文法には大きな違いがあっても、人と言葉の関係はやはり似たようなところがあると思います。日本語で長い文章を書くのにはかなりの技術が要ります。不用意に書くと、悪文の一つの典型である「ねじれ文」になりがちで、そうなると主語と述語の関係が不明になり、文全体が何を言っているのかさっぱり分からなくなります。ドイツ語の複文は、それ自体は論理的な構造で、主文を言ったあとに複文を付け加えていけるのは、慣れると日本語より便利に思うこともあります。複文を含む文をSchachtelsatz(箱入り文)といいますが、複文の数があまり多くなってしまうと、やはり日本語のねじれ文のように全体の見通しがきかなくなります。こういうものは、Bandwurmsatz(Bandwurm=さなだ虫、長たらしいことのたとえ)とも呼ばれますが、Schachtelsatzは良いドイツ語を書く場合の一番の敵とも言われ、やはり短い文が推奨されることは日本語と同じです。特に、文章を途中で中断して挿入するZwischensatzも文を難解にします。有名なところでは、ドイツの作家クライストがこのような文を書きましたが、この質問の談話文中のzu不定詞句などもZwischensatzと言えるもので、非常にわかりにくいものです。「何歳の子供から、この様な構造の文章を理解するのでしょう」というBASKETMMさんの疑問ですが(笑)、これについては、Wolf Schneiderという人が著した「Deutsch für Profis(プロのためのドイツ語)」という本の冒頭を引用するのがよさそうです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ Der Duden hat kapituliert ドゥーデンは降参した Wer sich aus Funk und Presse informieren will, wird großenteils mit miserablem Deutsch bedient. Das Fernsehen bekommt dies wenigstens dann und wann zu hören: Die Fernsehnachrichten seien für die meisten Adressaten undurchschaubar und damit unsozial. Nur 20 Prozent der Zuschauer könnten die Fernsehinformationen „einigermaßen verstehen“. 放送局や新聞から情報を得ようとする者は、たいていお粗末なドイツ語に迎えられる。テレビ局は、少なくともときどきは次のようなことを聞かされる。テレビのニュースはたいていの享受者にとって不明瞭であり、ゆえに大衆の利益に反する、視聴者の20パーセントだけがテレビ放送の情報を「まあどうにか理解できる」と。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ これが現実です。入り組んだ文章がわかりにくいのは何語でも同じで、文法構造によるものではないと思います。悪文の原因になるのは、論理的思考と適切な語彙の不足です。 ドイツの新聞社などでは、エージェントから受け取ったニュースをクライストの2倍も複雑なSchachtelsatz に書き換えるということが行われ、しかしその質は、クライストの半分も良くない、と、上の書物で指摘されています。 本来の質問内容から大分離れて長くなりました。この辺で終わります。御参考まで。
- Tastenkasten_
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ほかの回答者の方からせっかっくコメントをいただいているのですが、今仕事から手が離せないので、火曜日ごろ補足させていただきます。
- BASKETMM
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回答ではありません。感想です。(サイトの規則違反でしょうか。) 日本語には、副文章という構造が発達していないように思います。 対応して日本人の思考回路も単純に出来ているのかも知れません。 そのために、入り組んだ文章は分かり難いと通常の人は感ずるのでしょう。 よい(日本語の)文章を書くための指導では、長すぎる文章は、なるべく避けるように言われます。 今回のドイツ語文は、【名文】でしょうか。 一つの文章の中に、七つもの動詞が入っています。 ドイツ人たちは、この文章を抵抗なく読むのでしょうか。 朗読されたら、聞いていて分かるのでしょうか。 寝転んで間違いなく読めるのでしょうか。 何歳の子供から、この様な構造の文章を理解するのでしょう。(哲学は別として。) みなさま、そして Tastenkansen さんはドイツ人、日本人の思考回路の差についてどう思われますか。
- Tastenkasten_
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文章の核は下のようになります。 Und ich glaube tatsächlich, dass diese Philosophie tatsächlich die Werke so ausloten kann, wie es vielleicht kein anderes Orchester kann. die Philosophieがどういうものであるかを説明するのが、下の要素です。 1) die allerbesten Musiker zusammen zu holen 2) damit die Option zu haben, aus diesem instrumentalen Fund, den man irgendwie hat 3) um damit zu wuchern 全体の訳は そして私が確信するのは、この哲学、つまり考えられうる最高の音楽家を結集し、それによって何らかの方法で得られる器楽演奏の発見物(=見出した器楽演奏家たち)から選択し、また繁栄するという哲学、これが、ほかのどのオーケストラにもできないかもしれないほどに、真に音楽作品の深みを探ることができるということだ。
お礼
Tastenkasten_さま、いつも本当にありがとうございます。訳だけでなく、文章の構造も説明していただいて、話している内容が分かりました。
お礼
何度もご考察いただきありがとうございます。