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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:英語の文章と訳があります。和訳は正しいですか?)

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このQ&Aのポイント
  • 関ヶ原の合戦後、家康は称号の重要性に注目しました。
  • 家康は征夷大将軍の地位を正当化することに困難はありませんでした。
  • 家康は二年間だけ将軍職を務めましたが、その後も国家や家庭の事務に専念しました。

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  • Nakay702
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回答No.1

以下のとおりお答えします。(全体的に素晴らしい訳文で、脱帽です。) >After Sekigahara, Ieyasu immediately attended to the important matter of titles. Fortunately for him, Yoshiaki, the titular Ashikaga shogun, had recently died; and although the authentic genealogy of the Tokugawa house did not stretch back beyond the fifteenth century, Ieyasu had little difficulty claiming appropriate Minamoto lineage to take the title of sei-i-tai-shogun for himself and his descendants. The court meekly issued the formal letter of appointment towards the end of 1603. >関ヶ原の合戦ののち、家康はすぐに関心を向けた称号という重要な問題に。幸いなことに将軍職を持っていた足利義昭がごく最近亡くなったのです。徳川家の正当な系譜は15世紀をさかのぼることは無かったが、家康は彼自身とその子孫が征夷大将軍の地位を得るための正当な源氏の流れであることを宣言するのに何の困難もなかった。朝廷は従順に1603年の暮れ(将軍宣下する旨の)勅令を出した。 (第1文で語順を変更し、第2文でfor him「彼にとって」を追加すること以外、添削すべきことは見当たりませんでした。) ⇒関ヶ原の(合戦の)のち、家康は直ちに称号という重要な問題に関心を向けた。彼にとっては幸いなことに、将軍職を持っていた足利義昭が亡くなったばかりであった。徳川家の正当な系譜は15世紀をさかのぼることは無かったが、家康は彼自身とその子孫が征夷大将軍の地位を得るための正当な源氏の流れであることを宣言するのに何の困難もなかった。朝廷は従順に1603年の暮れ(将軍宣下する旨の)勅令を出した。 >Ieyasu was shogun for only two years, since in 1605 he arranged for the title to be passed on to his son, Hidetada. He lived on for another eleven years, and in his ostensible retirement was as busy as ever, but he preferred to watch over the affairs of the nation and his house, rather than be concerned with details of routine administration. >1605年に息子の秀忠に位を譲ったので、家康が将軍だったのは2年間だけだった。隠居した後、11年間存命だったが、表向きの引退をして以降も相変わらず多忙を極めたが、幕府運営の些事に関わるよりも国家や幕府の行く末を見守ることを好んだ。 (お見事! 少し加えますが、このままでも完璧と思います。) ⇒1605年に息子の秀忠に位を譲ったので、家康が将軍だったのは2年間だけだった。彼は(隠居した後)、さらに11年間存命だったが、表向きの引退をして以降も相変わらず多忙を極めたが、幕府運営の些事に関わるよりも国家や幕府の行く末を見守ることを好んだ。

iwano_aoi
質問者

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