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なぜ中国人は三皇五帝を
なぜ中国人は三皇五帝の時代を理想のように言うのですか?
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古代中国では盛んに新思想が出ていて、特に多かった時期について諸子百家などと言うことがあります。 新しい思想を打ち出すときには、以前にモデルとなる偉人がいたという話を付け加えることがよくありました。伝統があるイメージとなりますし、中国では先祖を敬う民間思想があったため、有効だったのです。 しかし、既に記録があって歴史がよく分かっている時代では神話的な話を作るわけにはいきません。すぐにウソとばれてしまいます。そこで、記録の少ない昔に時代設定して、伝説を作ることになります。 そのような昔の時代設定の偉人伝説が流布されると、リアリティを持たせようとその時代の様子をだんだん詳しく語るようになり、その時代の他の偉人も語られるようになります。 そうなると、同時代に偉人が乱立して個々の人物が目立たなくなりますし、架空とはいえその時代の様子が詳しく語られすぎて、想像で話を作り出す余地がなくなってきます。そうなると、さらに過去の偉人の伝説を作るようになります。ある架空の時代より、さらに過去の偉人は、さらに偉大であるとするようにもなります。 つまり、過去へ遡るほど、偉大な人物がいて、偉大な人物がいる以上、よく国は治まり、民は皆、偉人を見習って素行が良かったという伝説になってきます。常に昔のほうが良かったという歴史観になるわけです。 放っておけばどんどん過去にもっと良い時代があったとする伝説ができた可能性がありますが、漢の時代に司馬遷が有名な歴史書「史記」をまとめます。当時としては非常に詳しく、よくまとまった歴史書で、内容は信用されました。その後も同様な、本格的な歴史書が編纂されます。 どれも、はっきりとした歴史資料がある以前の歴史についても、口伝、伝承などから詳しい記述を心がけています。当時としては、資料が充分ではなく、現在のような考古学的手法なども未発達であったためです。 また、ある歴史書を編纂するときには、以前から権威あるとされる歴史書を大いに参考にします。はっきりした証拠や論証も無しに、無暗に以前の歴史書を否定するような内容は書けません。書いてしまえばデタラメ扱いされかねませんから。 そうなると資料がない、いわば神話的時代でも、おおむね似通った記述になってきます。そうやって、昔話的な歴史として辿り着いたのが三皇五帝になります。著名な歴史書が三皇五帝以前を特に語っていない状況になりますので、それ以前に伝説は作られなくなります。 こうして、どの歴史書も最も過去で最も良かったと賛美する三皇五帝とその時代が最上というイメージが定着していったわけです。いったん、誰もが褒め称えるようになると、敬わざるを得ませんよね。そんなにすごかったのかと疑おうとしても、何の証拠も出てきませんし。
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- hekiyu
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孔子がそう洗脳したからです。 昔は理想的だった。だから昔に戻そう て思想です。 孔子とて、本当にそう信じていたかは 疑問ですが、理想像の具体例として、 つまり説得の材料として、そう訴えた のでしょう。 三皇五帝は抽象的な理想として、 具体的な政治としては「周」時代に憧れ それに一歩でも近づこうとしました。 過去に遡れば遡るほど優れている。 これでは発達の余地はありません。 儒教の根本的欠陥です。
- SPS700
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三皇五帝とは、下記のように誰がその八名なのか本でみんな違うほど実体のない時代です。 ですから「むかしむかし」の伝説の時代、悪いことは無かった時代、という曖昧模糊たるフワフワとした理想の時代、なんでしょう。 http://homepage3.nifty.com/kyousen/china/3k5t/ 日本で言えば高天原、あっちの方では誰かがリンゴの味を占める前のエデンの頃、と言った理想の時代の一つだと思います。