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もし日本がハル・ノートを受け入れていたら
歴史の問題に対して「たら・れば」はないものとは思っていますが、 今年終戦70年を迎えていろいろ思いを巡らせてしまいます。 もし、アメリカのハル・ノートを受け入れていたら日本はどうなっていたのでしょうか。 そして日本が開戦に踏み切らなかったらどうなっていたのでしょうか。 現在の日本の状況、国際上のパワーバランスなど、きたんないご意見を伺えればと思います。 どうぞ、よろしくお願いたします。 追記:この件に関して有効な書籍などありましたら教えていただけると嬉しいです
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punizoku2さん、こんにちは。 ハルノートを飲むということは条件の通り、日中戦争で得た中国での占領地域からの撤兵、仏印からの撤兵、蒋介石政権の承認ですから、当時の日本政府、特に軍部にはとても受け入れがたい内容でした。今まで膨大な資源と時間、そして人命を犠牲にして得た地域ですから、当然です。 ハルノートを飲むということは和平交渉がうまくいったということですから、それはそれで幸運なことといわねばなりません。ただ、日本の国体は大日本帝国のままですから、強力な軍部が政府の外にあるというのは当然の理です。また、その当時、石油や鉄はアメリカから買っているのですから、アメリカのいうことを聞かないと凍結されてしまうでしょう。 おそらく、第2次大戦後を見越して、アメリカと協力してソ連と対峙するんでしょうね。もしかしたら、蒋介石政権が没落した後の共産党政権とも対峙して満州を最前線にした冷戦構造になると思います。でも、満州国での日本人による差別から、早々に満州国は崩壊し、中国に併合されるのが、少し遅れるくらいでしょう。台湾はともかく、朝鮮も同じことから独立運動が高まるに違いありません。もしかしたら、植民地戦争として、満州や朝鮮でアメリカと一緒に戦っているかもしれません。 しかしながら、国内では依然、軍国主義ははびこっているのですから、民主主義なんてあるかどうかわかりません。国防予算は今の何倍になるのでしょうか? おそらく、今よりもしっかりした政権はできないでしょう。 寄生地主制度は残るし、財閥はそのまま存続するということですから、資本主義ではありますが、今の韓国みたいに超格差社会の到来ということになると思います。 経済的には今よりももっと成長が遅く、社会的にも未成熟なため、内需に期待が持てないため、海外への輸出以外成長が見込めないでしょう。戦時中に関する限り、アメリカやイギリス、ソ連などに輸出需要はありますが、戦後になれば、そういう需要は期待できません。 しかも、前述のとおり植民地経営にかなり重大な問題を抱えているので、今よりも負担が大きいに違いありません。 詳細は下記のURLを参照ください。 ハルノート https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88
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- hekiyu
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受け入れても、結局米国は戦争に持ち込んだと 思われます。 開戦に踏み切らなくても同じです。 何か罠を仕掛けてです。 当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。 GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が 失業し、あちこちで暴動が発生していました。 ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は さっぱりです。 それでどうしても戦争をやる必要があったのです。 戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国 経済は見事な復活を遂げています。 これは私の偏見ではありません。 米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は 公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ 過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分 にされてしまいました。 31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に 引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。 彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。 マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと 米国議会で証言しています。 ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって 喜んだ、という側近の証言が残っています。 「これで戦争ができる」 また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう と述べています。 ●では、日本が米国に屈してハルノートを受け入れれば、戦争を避けられた でしょうか。 私はそうは思いません。イラク戦争を見て下さい。 ありもしない大量破壊兵器を口実に戦争を始めたのは 米国です。 その後、英国BBCは、911以前から米国はイラク、 アフガン戦争を計画していたことを暴露しました。 米国は何か罠を仕掛けて、戦争に持って行ったと思います。 1898年 2/15 ハバナ湾で、米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しました。 これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、 ということになり、あの米西戦争が始まっています。 後になって米国政府は、事故だと発表していますが 陰謀ではないか、という説が強いです。 ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。 1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の 哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した とされる事件です。 これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、 その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し 真実が明らかにされました。 湾岸戦争 1990年 では アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが イラクのクエート攻撃に対して 「介入するつもりはない」と発言しており これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、 米国軍等により撃退されています。 米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には 一切姿を見せなくなりました。 その他にも怪しいのはいくらでもあります。 米国はこういうことをする国なのです。 以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。
お礼
アメリカは何が何でも日本を戦場に引きずり出そうと思っていたようですね。 詳しく教えて頂き、大変有難うございました。
補足
アメリカはなぜそこまで日本と戦争をしたかったのでしょうか。 当方の知識不足によるものですが、教えて頂ければと思っております。 どうぞ、よろしくお願いたします。
- JS_Lover
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ハルノートの時点で日本は行き詰まっていました。もはや選択肢もない。 それだけ、日本の戦略眼が皆無だったという事です。ifの前提をその5-10段階前 ぐらいから考えないと意味がない。 日露戦争だって戦術面では何とか勝ちと言えるが、戦略面では負けです。
お礼
大変貴重なご意見ありいがとうございます。
補足
私個人はあまり日露戦争の内容に詳しくありません。 「戦略面では負け」というのを詳しく教えて頂ければと思います。 どうぞ、よろしくお願い致します。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34518)
「中国からの撤退、蒋介石政権の承認」というのは今のアメリカに対して「イラクから完全撤退し、ISを国家として認めよ」っていうくらいの無茶苦茶です。もしアメリカの大統領がそんなものを飲んだらその大統領は持たないでしょう。辞任させられるか、暗殺されるかです。 なぜ中国からの撤退と蒋介石政権の承認がとても受け入れられないのかというと、実は当時の日本は鉄鉱石の輸入を中国の大治鉱山に頼っていたんです。日本国内や朝鮮からは質のいい鉄鉱石が採れなかったのです。大治鉱山の鉄鉱石は質が良かったんです。まず撤退すると直接中国から日本主導で輸入ができない。そして蒋介石政権に任せるとまともに管理ができないんです。 第二次大戦が始まると、アメリカは蒋介石軍に対しても膨大な物資を提供するようになります。しかし膨大な武器や補給品を送ったはずなのに、現場の部隊にはちっとも届かないのです。どういうことかと思って調べたら、途中で横流しされて私腹を肥やされていたんですね。蒋介石政権というのはもうそういうところで、今の中華人民共和国が可愛く見えるほどの腐敗っぷりだったんです。これはアメリカから派遣されてきたアメリカ軍の将軍も激怒して本国に「あんなやつの支援なんかやめたほうがいい」とまで言わしめるほどだったのですが、政治的配慮によりその将軍が解任されてしまいました。 大治鉱山からの鉄鉱石の輸入が滞れば、軍需だけではなく民需の鉄鋼生産にも影響が出てしまいます。そのくらい大治鉱山という存在は大きかったのです。日本政府も朝鮮や満州で必死に鉱脈を探していたんですが、今に至るもこれらの地域で質のいい鉄が大量に出る場所は見つかっておりません。 今回は鉄を例にとりましたが、とにかくハル・ノートというのはそういう「絶対に受け入れられない内容」を(おそらく意図的に)多く含んだものなんですね。それでもなお質問者さんがいうように「それでももし政府が受け入れた」としたら、政治は混乱しておそらく二二六事件のような軍事クーデターが起きたことでしょうね。
お礼
とにかく日本にとって中国の大治鉱山が大きな存在だったのですね。 当方十分な知識がなくこのご回答で初めて知りました。 ご回答大変有難うございました。
- D-Gabacho
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当時の日本が降伏にも等しい内容のハル・ノートをもし受け入れるとしたら、昭和天皇が政府や軍の意見を無視して独裁的に受諾の命を下す以外にあり得ないでしょうが、それでことが丸くおさまるとは到底思えません。中国で天皇の意向を無視して暴走を続けてきた軍部は、謀略でもクーデターでもなんでもして中国での戦争を続けようとするかもしれませんし、そこまで暴走しなくても、実際問題として日本人居留民の安全上そう簡単には撤兵できないだろうと思います。アメリカにしても、日本のハル・ノート受諾を期待していたかどうか疑問で、日本側のちょっとした協定内容不履行をあげつらっては圧力をかけ続け、開戦に追い込もうとするかもしれません。ハル・ノートの段階では、それを受け入れようとどうしようと、もう日米開戦は避けられない状況だったように思えます。
お礼
昭和天皇が決して戦争を良としなかったことが伺えます。 私も同じ認識です。 中国に進出していた陸軍に関してどうにも出来なかった状況があるのでしょう。 大変、参考になりました。ありがとうございました。
- あずき なな(@azuki-7)
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ハルノートが無くても日本は結果的に戦争に踏み切ったでしょう 当時の日本はABCD包囲網で経済封鎖されてます 受け入れるという事は 満州を手放し日本がアメリカの植民地になる事を受け入れる事です 2500年の歴史をもつ日本がたかだか300年の国家アメリカの植民地になるなど 武士道が許さなかったでしょう
お礼
満州を手放す。これは日本にとってとても苦渋の選択だったと考えられます。 大変貴重なご意見ありがとうございました。
補足
日本の武士道はその当時誰が持っていたのでしょうか? 軍人?政治家?国民?マスコミ? ここではあえて昭和天皇を外して考えたいと思います。 どなたかこの辺り思う所があれば、さらなるご意見を伺いたく思います。 どうぞ、よろしくお願い致します。
- catpow
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>>もし、アメリカのハル・ノートを受け入れていたら日本はどうなっていたのでしょうか。 アジア・アフリカ、中南米の大多数の地域は、欧米の植民地支配が続き、日本もそれらの植民地と同じ扱いを受けていたでしょうね。 そして、当然のことながら、戦前の「白人優位主義」が続いて、有色人種は差別されて、家畜とか奴隷とされる扱いが地球的に続いていたと思います。 日本という国が無くなって、ハワイのように米国に属する州のひとつになっていたかもしれません。 また、インドは独立できず、英国の支配が続き、それ以外のアジアやアフリカ、南米の国も、独立した国家にはなりえずに、欧米諸国が支配する属州ってポジションでありつづけたと思います。
お礼
開戦しなければハワイのような属州になっていた可能性があったのですね。 もしそうなっていたら、これまで育んでいた日本文化が違うものになっていたのかもしれないと思いました。 貴重なご意見ありがとうございました。
今ほど発展はしていないでしょう。
お礼
ご意見ありがとうございました。
お礼
回答頂きまして、大変有難うございます。 当方まだ知識が足りないので当時の経済国際情勢を考える必要があると案じました。 ハル・ノートについてもよく解読したいと思います。