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森鴎外の「柵草紙の本領を論ず」

森鴎外の「柵草紙の本領を論ず」の内容がいまいちわかりません。 何について語られているのでしょうか? 又、何が重要なのでしょうか? ぜひとも教えていただけたら嬉しいです。

みんなの回答

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

 下記では次の2点があがっています。  http://aska-r.aasa.ac.jp/dspace/bitstream/10638/4131/1/0002-027-198601-017-035.pdf 1。「能く運用の妙を悟るもの」のないこと 2。徒らに人をして隴を得て蜀を望む(下記)想あらしむること  http://kotowaza-allguide.com/ro/rouwoetesyoku.html  したがって、同時代の、とくに坪内逍遥などの小説に関する考えを批判したもののようです。「没理想論争」などもご参考になるかと思います。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

軍医としての任官経験もある、森鴎外らしい指摘だと思います。 蘭学塾にみる「和魂洋才」の教育観 - 大阪市立大学所蔵 音谷章洋 著 http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/infolib/user_contents/kiyo/111E0000012-24-2.pdf 『: 第1節「和魂洋才」の定義 近代文学の大家森鴎外(1862~1922)は、留学先のドイツから帰国した翌明治22(1889)年10月に、文芸批評を目的とする雑誌『柵草紙』(しがらみさうし)を刊行し、初号に「柵草紙の本領を論ずJ (以下、「柵草紙」) という論文を掲げ、その冒頭で次のように述べた。 「西学の東漸するや、初(はじめ)その物を伝へてその心を伝ヘず。学は則(すなわち)格物窮理、術は則方技兵法、世を挙げて西人の機智の民たるを知りて、その徳義の民たるを知らず。況(いはん)やその風雅の民たるをや。」 「西学の東漸」すなわち西洋学術の日本伝来は、当初、「物」を伝えて「心」は伝えないものであった。「格物窮理」の学や「方技兵法」の術だけが入って来たのである。直接役に立つ医学や兵学などの学問や技術が移入され「心」つまり精神文化は等閑に付されていた、と森はいう。 :』

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