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森鴎外の高瀬舟の読んでどう感じたのか教えてください。
森鴎外の高瀬舟の読んでどう感じたのか教えてください。 できれば詳しく。 私は、羽田庄兵衛(はねだしょうべえ)がなぜ喜助のことを「喜助さん」と呼んだのか きになりました。
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「高瀬舟」は前に一度くわしく読んでみましたが、今回もう一度軽く読んでみて、あらためて考えてみました。どうして現在までこうも長く読み継がれているのか。 今回気になった箇所は以下のところです。 >庄兵衛は只漠然と、人の一生というような事を思って見た。人は身に病があると、この病がなかったらと思う。その日その日の食がないと、食って行かれたらと思う。万一の時に備える蓄がないと、少しでも畜があったらと思う。畜があっても、又その畜がもっと多かったらと思う。かくの如くに先から先へと考て見れば、人はどこまで往って踏み止まることが出来るものやら分からない。それを今目の前で踏み止まって見せてくれるのがこの喜助だと、庄兵衛は気が附いた。 庄兵衛は今さらのように驚異の目をみはって喜助を見た。この時庄兵衛は空を仰いでいる喜助の頭からごう光がさすように思った。< ・・・から庄兵衛は「喜助さん」と「さん」づけで呼び掛けたわけです。つまり後光が差しているように感じました。それは彼が二百文をでも貯蓄と見て喜んでいること、欲のないこと、足るを知っていることに対してです。 この箇所のように人間の欲は歯止めが利きません。食欲でも性欲でもお金儲けでも行こうと思えばどこまでも底なしのようにむしゃぶりつくことができます。それをこの辺でやめとこうかと踏み止まる根拠は何でしょうか?それはたぶん人間の身体には限度、限界があるということだと思います。格差、貧困、デフレはピンチなのか、チャンスなのか、まだよくわかりませんが・・・
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- awazo
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読書感想など人にたずねて教えてもらうものではありません。 もう3回お読みなさい。
お礼
お返事が遅れ申し訳ないです。 やっとモヤモヤしていた気分が晴れました。 ありがとうございました。