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数学で記述できない物理現象はありますか?

カントールの無限に関する考察を勉強して、以下の事がわかりました。 ===私の理解=== 事象A:数学で記述できること 事象B:自然界に観察される(+予測される)現象 としたときに、 「事象Aであれば事象Bである」という命題は偽である。 ==以上== 逆に「事象Bであれば事象Aである」という命題が真か偽かに興味を持ちました。 質問1:上記の「私の理解」は妥当でしょうか? 質問2:命題「物理現象を元とする集合は、数学で記述可能なモノを元とする集合に全単射である」は真か偽か? 物理学の知見のある方より、素人向けの解説をいただけれありがたいです。

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  • tgb
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回答No.5

 自然界の観測・予測可能な現象から数学で記述可能な内容への対応を考える場合に 必ずしも1対1にならない例をいくつか挙げることが出来ます。いずれの例も数学的な抽象化により自然現象としての相違が無視可能となり同一の数学的な記述が与えられます。 例1: ●地球の体積も月の体積も同一の公式を用いて半径から体積を計算できる。 地球に関する事象と月に関する事象で異なるが半径と体積だけに着目すれば(数学的な抽象化をすれば)同一の公式を用いることが可能となる。 ●銀河における惑星の合計数も地球上の人口の合計数も同一の式Σaiで求まる。 ここで惑星に関してはaiは恒星系iにおける惑星数、人口に関してはaiはi国の人口である。 例2: ●ポテンシャル問題として考えると地下水の流れを電気モデルで予測できる。 ●確率・統計としてはある物理現象が金融問題に応用できるので金融関係に転職してお金儲けをした物理学者がいたと聞いています。  数学で記述できない物理現象があるかについて考えてみます。結論から言えばそう簡単に結論は下せないと言うことです。  数学で記述できない物理現象があるか否かは全ての物理現象を数え上げた上で、その1つ1つについて数学的に記述できるのかを調べて初めて結論を下すことが可能になると考えられます。  ところが物理現象をいくつ数え上げてもこの数え上げは完了しません。これは直ちに物理現象が無限にあると言うことを意味する訳ではなく、たとえ有限であったとしてもそれが最後の物理現象だと言うことが結論できず不明のまま残ると言うことです。これが最後だと或いはまだ残っていると結論づける手段がないのです。この点は数学の場合にどのように公理を付け加えても真偽の判定できない(原理的に決定できない)命題が常に存在することが保証されているのと大きく異なります。  更に見つかった物理現象に対して数学的な記述を与える作業についてもその作業が完了すると言う保証はありません。 幸い、これまでの物理現象については先人の努力によって多くの完了したと言える作業が挙げられますが、同時に未完了の作業も数多く残っていると言えます。これらの作業未完了の物理現象については将来は数学的な記述が可能になると言う楽観的な見通しの元に作業が続けられていますが、その保証があるわけではありません。  このような困難さは「現実の」問題に対して原理的につきまとうものです。つまり、「全ての対象について~だ」という主張は、対象が現実のものである場合、1つ1つ現実の行為によって帰納的に証明する以外に手がないのです。結果としてどうしても漏れが生じてしまう、或いは未完了の部分が残ってしまう。これによって主張の正当性が完結しないのです。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

有難うございます。 >いずれの例も数学的な抽象化により自然現象としての相違が無視可能となり同一の数学的な記述が与えられます。 はい。同感です。 >数学で記述できない物理現象があるか否かは全ての物理現象を数え上げた上で、その1つ1つについて数学的に記述できるのかを調べて初めて結論を下すことが可能になると考えられます。 からずしもそうではないと思います。 かりに、ひとつだけでも数学で記述できない物理現象が知られていれば、「~である」の命題は偽であることがり称されます。 ご指摘の様に「~である」の命題が真であることを立証するのは難しいので、この場合は対偶をとって立証できるかどうか検査する事になると思います。

その他の回答 (4)

noname#221368
noname#221368
回答No.4

 #3です。  自分はカオス理論には詳しくないので、#1さんの真意は謀りかねますが、でもカオスを持ち出すまでもなく、数学とは抽象化,一般化を志向するものだとすれば、「物理現象を元とする集合から、数学で記述可能なモノを元とする集合」への対応は、多対一になる可能性が高いですよね。考えてみれば、単射の可能性の方が低そうだった。  数学はそう努力するからです。異なる現象間に、同一の数学的構造を発見しようと常に努力するからです。  余談ですが、「ことごとく単射である」⇒「全単射」と言いたくなる。わかります、その気持ち(^^;)。  自分はオタクにも以前、大学の学部レベルの数学科の講義をつまみ食いした事があるのですが、そこで「双射」と言ったら怒られました。ちょっと古い用語だったんですね。それは全単射と同じ意味ですが、「全単射」⇒「ことごとく単射である」⇒「要するに単射という事だ」、みたいに感じました(^^;)。  それから「先生」はやめて下さいよ。たぶん同じくらいの歳だし・・・(^^;)。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

>数学とは抽象化,一般化を志向するものだとすれば、「物理現象を元とする集合から、数学で記述可能なモノを元とする集合」への対応は、多対一になる可能性が高いですよね。 私もそう思うようになりました。 ちなみに私が他人様を先生と呼ぶのは物理的年齢の上下ではなく、SMEとして知見をお持ちの方かどうか、というクライテリアなので、どうぞお気になさらぬよう。

noname#221368
noname#221368
回答No.3

質問1:  自分は正しいと思います。ただこういう問題ではあんまり正しいと決めつけると行き過ぎの事もあるので、妥当だと思います。 質問2:  単射にはなるかも知れないが全射にはならないだろう、が自分の意見です。  というのは数学は、現実とは関わりなく論理的に成立する全ての関係が、数学に成り得るからです。これは質問1の裏返しになると思います。  ただ、現実とは関わりなく論理的に成立する全ての関係を追及し過ぎると、公理的ゴミクズ(アブストラクト・ナンセンス)になる危険もあります。  数学は、現実と関わりないゲームだという立場を公式には取りながら(現実の職業数学者達は実はそうでないと、自分は思っていますが)、実用と抽象的理想の間で適度もしくは適切な抽象化(一般化)をやっている気がします。  ところで、あなたも見たかも知れないですが、Eテレ特集で「神の数式」という番組をちょっと前にやってました。それを見た印象ですが、少なくとも量子論以前は、現実の実験や観測先行で、それに合わせるように理論(数学)も進んできた。  ところが量子論登場以後は(原子内部の世界に踏み込んでからは)、手に取って了解できるような実験,観測はほとんどなくなり、逆に数学モデルが導きの糸となって先行して行ったと思えます。この時点から実験,観測は、数学モデルの結論の後追いとなった。  別に上記がまずい訳ではないですが、それを数学的操作に投影すると、「物理現象を元とする集合から、数学で記述可能なモノを元とする集合への単射」を、せっせと作ってる事にはなりませんか?。  この作業は、ひどく大変だと思う(^^;)。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

有難うございました。 先生の回答を読ませていただき、質問2の命題を間違えて書いたことに気づきました。 数学の考えを自然言語で表現しようとすると過ちを犯しやすいですね。 しかし「単射にはなるだろう」とのご回答は、回答#1のFEX2053さんのお考えとは相いれないものですよね。 カオス理論が確立する前の時点では、「単射になっていなかった」ということですから、カオス理論が確立した現代でも、別の物理現象(観測事実)に関して「単射になっていない」と言う可能性があるのではないかと思います。 ーーー「物理現象を元とする集合から、数学で記述可能なモノを元とする集合への単射」を、せっせと作ってる事にはなりませんか?。 はい。 数学者が数学を発展させるだけでなく、物理学者が数学を発展させるという側面があるのかなと思います。

Mokuzo100nenn
質問者

補足

質問2の命題に誤記がありましたので、訂正します。 誤:数学で記述可能なモノを元とする集合に全単射である 正:数学で記述可能なモノを元とする集合に単射である

回答No.2

数学は、論理学の1分野だと言える。 数字を用いた演算は、量化を伴う限定された定義に基づいた 論理式(数学=一階述語論理)であり、ゲーデルの「完全性 定理」が成立し、即ち無矛盾=物理現象の記述が可能である。 しかし、「論理」をより自由にした二階述語論理(メタ論理) においては、「不完全性定理」が成立する。 即ち、論理的に破綻のない「公理系の完全性」と、現実を有限 に記述する「無矛盾性」は、両立しない事が証明されている。 こうした「不完全ゆえの無矛盾(存在の発生)」は、不確定性 原理における、「原理的に絶対的に確定しようとすると無限 不確定に発散するが、経験的に現象表面的に(いい加減に) 捉える事で、有限な性質が生じている」という事実、あるいは 超弦における、「原理的な根源において量子定常波=光速に 還元(=時間停止)されるものを、階層現象表面化に付随して 生じる非光速性に応じて、時間の流れは(仮想的に)生じる (超光速=過去(記憶)と光速下=未来(予測)の相補分化)」とい う事実に反映していると言える。 つまり、質問の1も2も、そこで用いられるのが一階述語論理 か二階述語論理であるかによって異なる。 そもそも、「真か偽か?」という形の問い自体が、「論理的に 破綻してないか」という意味と「無矛盾=Aと非Aを同時に 導かないか」という意味を兼ねている時点で、既に素朴唯物論 的な一階述語論理を先入化しているように感じられる。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

回答有難うございます。 二階述語論理というのは勉強したことがありません。 何でも述語までも量化してしまうとのことですが、まだ概念も理解しておりませんでした。 機会があれば数学に留まらず論理学の方も勉強してみようとおもいます。

Mokuzo100nenn
質問者

補足

質問2の命題に誤記がありましたので、訂正します。 誤:数学で記述可能なモノを元とする集合に全単射である 正:数学で記述可能なモノを元とする集合に単射である

  • FEX2053
  • ベストアンサー率37% (7991/21371)
回答No.1

質問2は現状では「偽」です。 ですが、数学界は「質問2を真とすべく努力してきた」ことも確かです。 カオス現象の数学的な解は、「質問2を真とする努力」から発見された もので、多くの自然現象を、この方法でうまく表現できることが分かった のは、比較的最近のことです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%AA%E3%82%B9%E7%90%86%E8%AB%96 ただ、複雑系ですべてが説明できるというと、そうではないことは、天気 予報が必ずしも当たるわけではない・・・ということと同義だと思いますよ。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

有難うございます。 数学が数学の中で発展進化するだけでなく、物理現象の理解から数学を発展させるケースがああるわけですね。 純粋な実験物理学(自然の観察)をすれば、数学でモデル化できない事象を発見することもあるでしょう。しかし、最近の宇宙物理学とか、観察が難しい物理現象は、数学のモデルから予言され、後から物理現象が確認されるケースも多いと聞きます。 複雑系、カオス理論が非線形性だけでなく、初期値鋭敏性とか有界性という性質に取り組んでいる事を知りました。 どうもありがとうございます。

Mokuzo100nenn
質問者

補足

質問2の命題に誤記がありましたので、訂正します。 誤:数学で記述可能なモノを元とする集合に全単射である 正:数学で記述可能なモノを元とする集合に単射である

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